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セシル・オルグレンの回顧録 4

「おい、セシル」

「……なんですか、先生。授業はもう終わりましたよ」


 今回客人として滞在しているカドガン伯爵のパワーハウスは、恐ろしく広大で荘厳なパレスだ。


 たった今教師に呼び止められた廊下は、ギャラリーと見間違うかのように広い。

 煌びやかなシャンデリアが、天井画を縫うようにいくつも下がり、磨き抜かれた美しい格子模様のタイル張りの床を照らす。

 大きく開かれた窓と窓の間には壁画が配され、対する壁には美しい金のレリーフが施された大きな鏡が並ぶ。

 その手前に配された装飾豊かなテーブルには、歴代カドガン伯爵がコレクションしてきたであろう陶器が趣味よく置かれている。


 王族の離宮だと言われても誰も疑わないだろう。


「てめえ、ふざけんな」

「お口が悪いですよ」


 この柄の悪いチンピラみたいな男が先程までの教師だ。

 ふざけてるのはお前だ、と言いたい。


「あん? お行儀のいい坊っちゃんにはこれくらいで丁度いいだろうがよ」

「僕、なんで貴方みたいなチンピラに師事してるんだろ……」

「知らねえよ。そもそもお前が俺を伯爵に紹介したんだろ」

「だって貴方、いつまでたっても王宮の高等文官試験に受からないんですもん。さすがにもう待てません」

「うるせえな。俺がいくら優秀だろうと無理なものは無理なんだよ。アボット侯爵(クソジジイ)が根回ししてるからな」

「侯爵の後手に回るなんて優秀なご子息が泣いて詫びますね」

「ほんっと、てめえは減らず口で生意気だよ!」


 チンピラ教師が僕の首を腕で絞め、頭を拳でぐりぐりと押してくる。


「痛いんでやめてくれませんか。チンピラ先生」

「誰がチンピラ先生だよ! クソガキ!」


 チンピラ教師のドスのきいた低い声が廊下に響く。

 長く伸びた廊下の向こうからパワーハウス付きのコールリッジ家使用人の姿が見え、僕達は慌てて近くの部屋へと駆け込んだ。


「廊下で暴れるのはやめてください。僕まで伯爵に白い目で見られるじゃないですか。これで援助打ち切りなんて事態になったら、うちの領地、ホントに干上がっちゃうんで」


 チンピラ教師のせいで乱れた衣服を直していると、頭上で溜息が聞こえた。


「……その援助だけどよ。さっきのはなんだ、セシル」

「何がですか?」


 痛いくらいに視線を感じながら、僕はテーブルに置かれた豪奢な燭台を眺めた。


「ギルバート坊っちゃんにアスコット子爵をやれって。あれ、お前本気だっただろ」

「だったらなんです?」

「くそ! 他家にみすみす譲ってたまるか! それなら俺がやってやるよ、ふざけんな!」

「いや、どう考えても無理ですよね。オルグレン=アボット家にアスコット子爵領を立て直す財政的余裕はないでしょ? カドガン伯爵の支援があってやっとどうにか綱渡りしてる状態なんですよ?

 というより、ここまでカドガン伯爵にお世話になっておいて、ちょっと上向きになったからって、これまで放置してた寄親がすり寄ってきて子爵位を奪うとか。カドガン伯爵に喧嘩売る気ですか?」

「うるせえな、わかってるよ」


 チンピラ教師は乱雑に頭をぐしゃぐしゃと掻きまわすと、天鵞絨張りの瀟洒なチェアにどっかりと腰かけた。


「くそっ! 俺が……俺が文官になって、アスコット子爵領を救ってやるつもりだったのに……」


 肘を腿に載せ、両手で顔を覆った姿は力無く、元々細く華奢な背はより小さく見えた。


「侯爵ごときに文官になるのを邪魔されてるようじゃ、例え文官になれたとしても、災害地域への復興支援なんて他王侯貴族にとって目障りな政策。講じるのは無理だったと思いますけどね」


 ゆっくりと顔をあげたチンピラ教師はじっとりとした目で僕を睨んだ。


「いや、文官になれさえすれば、ツテはあったんだ」

「そのツテの誰かさんは、文官試験に融通してくれないんですか?」

「あいつら不正は嫌うからな」


 薄情なやつらだぜ、と短く息をつく。


「試験の邪魔立ても十分不正じゃないんですか?」

「まあそうだけどよ。試験の関与っつーのは、デリケートなんだよ。不正への対抗だろうと関わったと知られれば即刻取り立てられるだろ。あいつら敵も多いし」


 あいつらって誰だよ。


「……アボット侯爵は無能だと思うんですが、それでも文官試験に関与してお咎めなしなんですか?」

「クソジジイ自身が手を回してるわけじゃねえからな。あいつは隠れ蓑に使われてるただの傀儡だよ。そもそも寄子を助けようって俺が文官目指してんのに、その邪魔してくること自体ありえねえだろ」

「ありえないくらい馬鹿だって知ってるんで、ちょっと僕には考えもつかない理由があるのかなって」

「……ホントてめえはヤなガキだな」


 チンピラ教師は「オルグレン家当主様だぞ、ちっとは遠慮して物を言え」と言う。鼻で笑ってしまう。


「イーサン、それ、本気で言ってますか?」

「……あのジジイが俺の祖父なのかと思うと吐き気がするよ」


 あーあ、と天を仰ぐイーサン(チンピラ教師)

 僕は離れた場所に置かれていたチェアを引っ張ってきて腰を下ろす。イーサンの腰かけるチェアと対になっているチェアだ。


「……学園でファルマス公んところのボンボンと、レッドフォード侯んところの変態となんとかツテを作ったんだけどなあ……」

「ファルマス公爵令息とレッドフォード侯爵令息ですか。また目立つ御仁と渡りをつけましたね。だから狙われたんでしょ。もっと小物から縁を繋げばよかったのに」

「大物を引っ掛けときゃなんとかなると思うだろ、普通」

「思いませんね。突然弱小貴族が大物貴族と親しくなるなんて、怪しい以外に何かあります?」

「お前ほど頭が回らなかったんだよ。クソガキ」


 イーサンはジロリと睨んでから僕の頭に骨ばった手を載せた。


「お前そこまで頭が回るくせに、何が貴族は嫌だ、だよ。お前ほど貴族らしい坊ちゃん、そういないぞ?」

「僕は小賢しいだけで、領主の器じゃない。領主に相応しいのはギルみたいなやつだ」


 イーサンが載せていた手でグシャグシャと僕の頭を掻き回す。


「髪が乱れるんでやめてください」

「女みてえなこと言うなよ。女みたいな顔して」

「……言っていて空しくないですか?」


 僕に悪態を吐くイーサンも十分に女顔だ。

 赤みがかった淡い金髪に銀の目。可憐だとか妖精だとか言われてしまう顔つき。食べてもちっとも太れないし、鍛えても大した筋肉がつかない。背は小さくひょろひょろと華奢な体つき。男女問わずオルグレン家の人間の共通する特徴だ。


「おう。セシルに向かって言うつもりが、自虐だったな」


 イーサンは乾いた笑いを零した。

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