14 不本意に違いない狂気
アラン様の胸元を突っぱねて、「お離しくださいませ!」と小声で非難する。
アラン様とて、このような振る舞いはあまり好ましいことではない。
これまで王宮の権力争いには静観の立場を保っていた、歴代カドガン伯爵。
それだからこそ、無理にでも王家と縁付こうといった類の、政略結婚を推し進めることもなく。
お母様が嫁がれるまで王家の血は混じらなかった。
しかしながらアラン様はお母様より王家の血を受け継いだし、何より第二王女殿下にファルマス公爵令息という権力者に通じる方々を友人として味方につけた。
アラン様をカドガン伯爵としたコールリッジ家は、これからますます力をつけていくことだろう。
それにカドガン伯爵領の財政の豊かさは、誰もが知るところ。
政権争いに参じなくてもカドガン伯爵が一目置かれていたのは、商人達から貴族にしておくには惜しいと囁かれる、その卓越した経済力、商業的才覚による。
カドガン伯爵領は、養蚕業に絹糸紡績業、撚糸業、織物業まで一手に担う。
染色業に縫製業こそ他所に譲るが、それは技術を追求しなかったからではなく、その方がカドガン伯爵の取引相手にとって有益であるからだ。
製造側にとって自由の効く反物である方が使い勝手がいい。
そしてまたカドガン伯爵領の織物の質は抜群に優れている上、領地内で養蚕から担うため、質に見合った価格を他所より低く提示することができる。
カドガン伯爵領産であるというブランド価値を加味してさえも、他所の絹織物より低く抑えられるのは、これらの商売を担うのが純粋に利益だけを追い求める商人ではなく、公の利益を追求する貴族だからだ。
歴代カドガン伯爵は、貴族としてその利が領民に正しく分け与えられること、領内が安全で活気に溢れることを第一信条としてきた。
得られた利益を伯爵の懐に入れようとするわけではなく、領内で活動する商売人が、その商売をし易いように便宜を図ること。
それこそが貴族として領主たる務めだと弁えている。
領主は領民を守るものであって、商売人の真似事をして金稼ぎをすることを目的とするわけではない。
近年そこを履き違えたエセ商売人たらんとする貴族もいるが、歴代カドガン伯爵は、民の上に立ち民を守る貴族としての矜持を崩すことはなかった。
それ故に、カドガン伯爵領は益々栄える。他の追従を許さないほどに。
――前カドガン伯爵と真珠姫は、領地経営者として、商売人として、それぞれの立場で討論を交わし、その仲を深めていったのかもしれない。
まあ、前カドガン伯爵と真珠姫のラブロマンスはともかく。
そんな有力貴族であるアラン様だから、多少の粗相は大目に見られる。
社交場で堂々と男性が女性を口説くことに、男性側が眉を顰められることはあまりない。
とはいえ、おぞましく穢れた出自であると周知された平民の娘を監禁すると言い放ち、さらには公の場において不適切な距離をとることには、保守的な頑固者でなくとも、良識的な方々の目に忌避すべきものとして映るだろう。
これ以上アラン様の名を貶めたくない。
わたしといることでアラン様が手にするはずの栄光を掴み損ねることなど、許せるはずがない。
きっと睨みつけると、アラン様は少しだけ腕の力を緩め、目を細めた。
「メアリー、お前は我が領地に足を運んだことはほとんどないだろう。土地勘のないお前を囲うことなど容易いことだ。誰もお前を逃す手助けなどしないぞ。お前の親しんできたタウンハウスの使用人とは違い、領地の使用人はお前の言うことを聞きはしない。俺が許さないからだ」
「ですから、そのようなお戯れはもう――」
「聞け!」
アラン様の鋭い一声に、びくりと肩が震える。アラン様はそんなわたしを一瞥すると、周囲にぐるりと視線を巡らせた。
「この場で俺達の会話を余すことなく耳に入れんと好奇の耳を|攲《そばだ》てている者の誰も、我が領地に無断で入ることを許されない。王家の者とて、何の令状もなく踏み入れることは出来ないんだ」
アラン様は屈みこみ、鼻先までお顔を近づけられると、酷薄そうに口の端を歪めた。
唇にアラン様の吐息がかかり、ぞくりとする。
目の色を覗き込むと、昏く淀んだ瞳の奥に途方もない哀しみがあった。
――わたしがアラン様を悲しませている。
お優しいアラン様にとって、不本意に違いない狂気を。残酷な言葉を抉り出している。
アラン様はご自身の発する言葉で、自らを傷つけている。
これ以上言わせてはならないと思い、口を開こうとすると、アラン様の大きな手がわたしの口を塞いだ。
「こうなると、メアリー、お前が貴族でなくてよかったよ。貴族令嬢を攫おうとするならば、それなりにすべきことがあるからな。
……ここまで野卑なことを口にする男の元に、嫁ごうとする令嬢はもういない。メアリー、お前しかいないんだよ」