13 前カドガン伯爵と真珠姫が退場した後で
「メアリーさん……?」
力なく震えるお声が耳に入る。
振り返ると銀色に光る目を見開き、真っ青なお顔をなさったお母様がこちらを見つめていた。
お母様の惨痛を湛えたご様子に、胸が重く沈む。
ようやくお母様の娘になれるかと喜びを分かち合ったところだった。けれどこの身は穢れている。
真珠姫と前カドガン伯爵は、それでもアラン様が私を見捨てず守るだろうと、確信している様子だった。
アラン様の高潔なお人柄を思えば、二人の信頼は正しいとわたしも思う。
かといって、この穢れた身で、さらにそれが周知のものとなった今。名も財も権威もある、将来を嘱望される若きカドガン伯爵であるアラン様の妻に納まることが出来るかといえば。
それはわたし自身、許せることではない。
わたしの存在がアラン様を貶めてしまう。カドガン伯爵夫人としてアラン様を支えることなど不可能だ。
愛する人達、これまでわたしを見守り、慈しんでくださったお二人。アラン様とお母様を、ウォールデン家凋落の巻き添えにするわけにはいかない。
わたしはお母様の瞳をまっすぐに見据えてから、礼をした。
アラン様に肩を抱かれていたため、不格好な礼になったのは否めない。
お母様がはっと息を呑むのがわかった。
「オルグレン婦人、これまで長らくお世話になりましたこと、感謝の意に堪えません。本来ならば、身体を賭して賜った厚恩に報いる心積もりでおりました」
「メアリー、やめろ。それ以上口にするな」
アラン様が強く肩を抱き寄せ、わたしはふらりとアラン様の胸元に倒れこむ。
頭につけたヴェールがかさりと音を立てた。
鍛えていることが伺われる厚く固いアラン様の胸元は温かく、そのまま凭れかかってしまいたい誘惑にかられる。
ようやくアラン様とも思いが通じ合えたのに。
目頭に涙が浮かび上がるのを、唇を噛むことで堪える。
「わたしの身は、由緒正しいコールリッジ=カドガン家とオルグレン=アスコット家の御血を引かれるカドガン伯爵の妻に相応しくありません。どうぞこの下賤の者にご慈悲を――」
「いい加減にしろ!」
獣のように荒々しい咆哮で一喝されると、アラン様はぐるりとわたしの身を回転させ、両腕を力強く抱え引き上げた。
痣になりそうなほど、アラン様のお力は強く。指が食い込むように掴まれた二の腕が痛む。
アラン様の炯炯たる眼光はわたしを鋭く射抜き、憤怒に彩られている。
「これ以上、世迷い事を口にするようなら、もう二度とお前を外には出さない!
知っているか? カドガン伯爵領にいくつ屋敷があるか。どの屋敷ならば人に知られず、終生お前を閉じ込めることができるのか」
「何を仰いますか! アラン様こそ世迷言ですわ!」
そんな狂気の沙汰。アラン様がなさるはずはないけれど、このような社交の場で口にしてよいことではない。
アラン様の品性を疑われてしまう。
小声で「冗談も大概になさいませ! 皆が耳を傾けているのですよ!」とアラン様を窘める。
けれどアラン様は私の焦りを意に介さず、銀色の瞳に昏い狂気を滲ませ、うっそりと嗤った。
「馬鹿だな。聞かせているんだ」
「何を……!」
思わぬ応えに目を見開くと、強く掴まれていた両腕が解放され、アラン様は私の頬に触れた。
そっと添えられたかさついた親指が、ゆっくりと目の下をなぞっていく。
その指先はとても蠱惑的で、じっとりとした眼差しと合わさり、身動きも取れずアラン様に捕らえられてしまう。
アラン様の色香に魅入られ、ふらりと後ろに傾ぐ体。
アラン様のもう片方の大きな手に引き寄せられる。ぴったりと体が寄り添い、アラン様の熱が伝わる。
このような衆目の元、なんてはしたないこと!
これほどまでに淑女らしからぬ振る舞いでは、今日社交デビューしたばかりだというのに、さすが汚れたウォールデンの娘だといよいよ進退窮まってしまう。
確かに、既に落ちるところまで落ちただろう名だ。
この身の上で、そんなことは些事にすぎないだろう。
けれどこれ以上自らの名を堕としたいわけじゃない。
血は努力如何ではどうにも曲げられないけれど、振る舞いによる悪評はまだ巻き返す余地がある……と信じたい。
色眼鏡ありきで判じられ、その上弱みを見せれば即座に蹴り落され、あることないこと囁き合って足を引っ張りあう社交界では、至難の業だけれど。
とはいえ、何も抵抗せずそのまま堕ちていくつもりもない。そしてそんな馬鹿馬鹿しいことにアラン様を巻き込むつもりもない。