スカーレット・オルグレンの独白 6
ギルバートは領地に、私は王都に。
それぞれ顔を合わせることも、ほとんどなかった。
だが真面目なギルバートが、かつての恋人と逢瀬を交わしていないことは確信していた。
メアリーは王都のウォールデンの分家屋敷で大人しくしていると、ウォールデン家と親交を続けている弟から聞いていたし、ギルバートとて領地から出てこない。
社交シーズンとなれば王都に出向くが、その間は私の住むタウンハウスに身を寄せる。勿論寝所は別室とするが。
ギルバートは息子のアランを可愛がった。
私はギルバートの幼少の頃と生き写しのようなアランを前にすると、どう振舞ってよいのかわからなかった。
ギルバートへの愛憎と罪悪感とが、アランを前に渦巻くのだ。
アランにとって私は、冷淡な母親であったと思う。
アランは私の顔色を伺うような様子を見せ、年相応に素直に甘える素振りを見せなくなった。
そんなアランの様子を懸念したギルバートは、アランを領地で育てたいと言った。自然豊かな領地で、伸び伸びと過ごさせてやりたいと。
ギルバートのその言葉は、半分真実で、半分は嘘だろう。
ぎこちない母子の様子に違和感を抱き、私からアランを引き離そうとしたのだ。
けれど、アランを奪われてしまえば、私はギルバートとの接点を失ってしまう。
私は了承せず、アランを王都に留めると主張した。
ギルバートは何度も私を説得しようとした。私もアランと共に、家族皆で領地で暮らせばいいと。
しかし私は、マナーハウスで私に向けられる、使用人達のあの侮蔑の視線に晒されたくなかった。
女主人として認められない、みっともない姿をギルバートにもアランにも見られたくなかった。
ギルバートは遂に折れ、一人で領地に戻った。
このとき、私が共に領地に戻ってたのなら。
そうすれば、きっとまだやり直せた。
ギルバートとアランと私と。家族揃って領地で過ごし、ぎこちなくも徐々に家族としての情を交わし、絆を育み、家族の歴史を紡いでいく。
愛情深く誠実なギルバートならば、きっといずれ私を受け入れてくれた。許してくれた。
たとえメアリーから助けを求められたとしても、それに応じることはなかった。
再会することなど、きっとなかった。
これが愚かな私に与えられた、最後のチャンスだったのだ。
◇
アランが六つか七つになった頃。弟からメアリーについて報告があった。
その頃は既に私も弟も、メアリーへの警戒心は大分薄れていた。
弟はのんびりとした様子で私に告げた。
「メアリー嬢……いや、ウォールデン夫人は最近、学生時代の友人の家へ遊びに出向くことが増えたらしいよ。これまで辛気臭く分家屋敷に引きこもっていたくせにね。
どんなに悲劇のヒロインを演じても、ヒーローは迎えに来ないとようやく気が付いたのかな? まあもともと、そのヒーローは役立たずだっただけなんだけどね」
弟は幼少の頃からの劣等感に加え、ギルバートが私を妻として尊重しないことに憤り、ますますギルバートを憎んでいた。
そろそろ領地を治める父に代わり、アスコット子爵を継いでほしいと打診され。これまで自由気儘に王都で遊び歩いていたものが、遂にその自由を制限されることへの苦痛も、そこに上乗せされたのだろう。
弟は進学のために王都に足を踏み入れてから、悪い遊びを覚えるようになった。
娼館や賭博場に出入りするようになり、大学では学問を疎かにし、何度か留年を繰り返し。学費を負担するギルバートが苦言を呈して、ようやく卒業した。
卒業後も領地に戻らず、社交の勉強だと称して家督を継ぐ予定のない次男、三男や、また商家の放蕩息子といった者達と連れ歩いた。
弟の生活費を保証するカドガン伯爵夫人として、というよりも、オルグレン=アスコット家の人間として。次期アスコット子爵の姉として。
時折弟に小言を説いたが、「領地に戻ったら、メアリー嬢の監視は出来なくなるけど。それでも姉さんはいいの?」と言われてしまうと、強く出られなかった。
「そう。彼女が前向きになったのならよかったわ。これでも少しは罪の意識を感じていたの」
弟は片眉を上げ、紅茶を口に含んだ。
紅茶は私が入れた。お茶請けとして出した焼き菓子も、私が焼いたものだ。
タウンハウスでは使用人を最低限の人数の留め、結婚するまでアスコット子爵領のオルグレン=アスコット家で過ごしたときと同じように、使用人とは身分を感じさせない付き合いを心掛けた。
料理や掃除も共にした。
洗濯だけは私を慕ってくれる使用人達が、「奥様にそんなことはさせられません!」と譲ってくれなかったけれど、その他の家事は使用人達に交じってこなした。
新しく雇い入れた際、効率のよい家事を私が使用人に伝授したこともある。
それだからタウンハウスの使用人達は皆、私の味方で、「貴族の夫人らしからぬ親しみやすく、使用人に親切で、茶会だ夜会だと、使用人の手間を増やさず、浪費をせず質素倹約で金銭感覚が庶民と同じ奥様」である私を放って領地にこもり、蔑ろにするギルバートを目の敵にしていた。
「罪の意識? それはあの女こそ、姉さんに抱くものじゃないか? それなりの罰は受けたかもしれないが、そもそも人のものに手を出すのが悪いよね」
人のものに手を出すのが悪い。
それは私が内心思っていても、口に出せずにいたことだ。
メアリーにした仕打ちを考えると、同じ女性として、私の所業が許されないことはわかっていた。
弟が為したことだとはいえ、それは私が望んで、弟に代行してもらっただけなのだ。
それだから、こうして弟から肯定してもらえたことで、ほっとする。
――なんだ。やっぱり私は悪くない。
私は紅茶を含むことでティーカップで口元を隠した。
愉悦と安堵に醜く歪んだ口元を、弟から隠したかったのだ。
私は弟の前でも悲劇のヒロインを装い、弟の同情を引こうとしていた。
弟はメアリーのことを悲劇のヒロインを演じていると嘲ったが、実際悲劇のヒロインを装っていたのは姉である私なのだ。
「そんなことを言うものではないわ。彼女の身に起きたことは、同じ女性として同情して余りあるもの」
我ながら白々しいことこの上ない。
だが弟は眉尻を下げ、心底私を憐れむといった様子で肩を竦めた。
「姉さんはお人よしが過ぎるよ」
これ以上この話題を続ければ、醜い本性を弟に曝け出しかねない。
弟は受け入れるだろうが、私は弟の同情が心地よかった。
ギルバートから愛をもらえないのならば。弟にタウンハウスの使用人達といった私の狭い世界からの同情だけは、手放したくなかった。
息子のアランはわからない。
ギルバートに似すぎている。
けれど、タウンハウスで育つ中、使用人達からギルバートの悪評を教え込まれれば、きっとアランも私の味方となる。
私はアランと接する中で、今後も一切ギルバートを悪く言うつもりはない。
私のギルバートに対する振る舞い、視線。
あらゆるもので、ギルバートへの思いをアランに見せつける。傷ついているのだとアランに悟らせる。
父親であるギルバートの仕打ちが、いかに母親に冷酷であるのか。
アランが一人で勝手に父親を疑い、失望し、恨んでくれればいい。
自分によく似た、可愛い一人息子に憎まれるギルバートは、どんな気持ちになるだろう。
ああ、早くその日が来ないだろうか。
「それより貴方。そろそろ領地に戻りなさい。お父様だっていつまでもお元気なわけではないのよ。今のうちに領地経営を学びなさい」
そう言うと、弟は「うへえ」と言って顔を顰めた。
可愛い弟が領地に戻れば、私の話し相手は使用人だけだ。
けれど、これ以上王都で弟を野放しにしていれば、金銭的援助を続けてもアスコット子爵領はいずれ、本当に立ち行かなくなる。
オルグレン=アスコット家の没落を許すわけにはいかないのだ。
ギルバートとの婚姻は、そのために成されたのだから。