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10 まるで絵本の王子様とお姫様のように

 外観は質素で紋章もない。

 ごてごてと金で飾られた本家屋敷の馬車に比べ、一見見劣りするが、車内は広い。

 また配されたクッションや、座席に敷き詰められた天鵞絨の滑らかさ。一級品であることは間違いない。

 なによりガタガタとした悪路を通る際も衝撃が少なく、乗り心地が非常によいことに驚いた。


 それを口にすると、艶やかな黒髪と澄んだ蒼い目の麗しい相貌に、逞しい体躯の紳士は微笑んだ。

 その紳士はわたし達母子を出迎えてくれた方で、洗練された所作は品があり、ウォールデンの人間とは異なる様相をしていた。


「この馬車の車体には、最新の板バネ式サスペンションを用いているんだ。ウォールデン商店は、馬車については後進だったね」


 ウォールデンの家に特別思い入れもないつもりだったが、初めて会う身分の高そうな紳士に、自身の家を馬鹿にされた気がして、わたしはムッと頬を膨らませた。

 するとその紳士は、途端に慌てたように言い繕った。


「すまない。君を貶めるつもりはなかったんだ、小さなレディ」


 それまで貴公子然として泰然たる様子を見せていたのが、困ったように眉尻を下げる紳士。

 助けを求めるようにお母様にチラチラ視線を投げるのを見て、わたしは機嫌を直した。

 一人前の立派な紳士をやりこめた優越感に浸ったのだ。

 「小さな」が頭についたが、子供のつまらない癇癪だと馬鹿にせず、レディ扱いしてくれたことも嬉しかった。


 わたしは得意になって「いいのよ。許してあげる!」と尊大な様子でのたまい、そのやり取りを眺めていたお母様は、ころころと楽しそうに笑った。


 わたしはお母様がこれほどまで楽しそうに、無邪気に笑うのを、それまで見たことがなかった。

 わたしに優しく甘い微笑みをかけてくれるお母様だけれど、どこか痛ましげに哀しそうにわたしを見ていたし、お父様や使用人には冷酷な人だった。


 家令や執事にメイドも、ほとんどの者達がお母様の指示ではなく、本家の人間の言葉に従った。

 お父様は指示することすらなく、使用人達とほとんど同じような扱いだった。

 料理長とメイドの一人だけが、お母様の意思を尊重しようとしていたけれど、彼等もまた、屋敷内での発言力はほとんどなかった。


 それだからお母様は、固く心を閉ざし、使用人達を物として扱った。

 時折癇癪を起して、使用人に暴言を投げつけることもあったし、本家に断りを入れず、独断で使用人の暇を出すことも多々あった。

 それでも使用人達は本家の意向を押し通したし、お母様はそんな使用人達を疎んでいた。

 お母様は分家屋敷の女主人ではあったけれど、家政を取り仕切ることはできなかった。


 そんな鬱屈としたお母様の姿を見ていたわたしは、愉快でたまらない、というように、繕うことなく大口を開け、朗らかな笑い声をあげるお母様の姿に驚いた。

 そしてそんなお母様を慈愛に満ちた眼差しで見つめる、前方の紳士の姿にもまた驚いた。


 だってお父様は、お母様を無感情な瞳で眺めるだけだった。


 使用人達がお母様に心を寄せないのは、使用人だからだと思っていた。

 使用人は仕える主に特別な感情を抱かないものだ。

 けれどなぜお父様も使用人と同じ目をお母様に向けるのだろう、と不思議でたまらなかった。


 絵本で見る王子様は、お姫様をとても大切にするのに。


 けれどお母様もまた、お父様を使用人と同じように扱っていたから、大人の男女というのはそういうものなのかと落胆しながらも自分を納得させていたのだ。


 それなのに。


 目の前の紳士は、お母様を愛おし気に見つめ、お母様もまた自由に楽しそうに振舞われる。

 まるで絵本の王子様とお姫様のように。


 わたしは、そんな二人の様子がたまらなく嫌だった。

 お母様を見知らぬ男に奪われた気がしたし、お父様への裏切りだと思ったのだ。


 またもやむっつりと黙り込んでしまったわたしを、お母様は抱き寄せた。

 「あなたを笑ったのではないのよ」と頭を撫でてくれたお母様。

 お母様は、わたしがお母様と目の前の紳士の様子に嫌悪を感じているのだとは気が付かないようだった。

 それがまた一層、目の前の穏やかで優しそうな紳士への嫌悪に拍車をかけた。


 今日はお母様と二人きりのお出掛けのはずだったのに。

 お母様と目を合わせて眉尻を下げる紳士に、わたしはその日一日、拒絶を示すことを決意した。

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