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愛してるなんて言うから  作者: 空原海
閑話 愛してると何度でも (アラン視点)
24/96

6 繊細な男、エインズワース

「アラン様との婚約解消後、この店にわたしがまだ立っているとは思えません。わたしは父と共に、ウォールデン家から独立するつもりですから」




 ウォールデン商会が経営する、オープンしたばかりのカフェでメアリーとの定例茶会を終えると、俺は働かない頭を叱咤し早馬を出した。

 一つは次期ウォールデン商会当主であるメアリーのご令叔へ。もう一つはエインズワース公爵家へ。


 指示を出したものの、カフェチェアーにまたもや座り込んでしまう。


 メアリーが、ウォールデンを出る。


 いや、それはいい。

 もともとメアリーの夢を叶えられる、働きやすく居心地のいい場を整えようと思っていた。

 しかしメアリーの口から、ウォールデンを出ると聞いて、冷水を浴びせかけられたようだった。


 ――本当に?

 俺はメアリーが自由に羽ばたくことを望んでいたのか?

 俺の知らぬうちに、俺の見知らぬ土地で、メアリーが幸せならそれでいいと?


 違う。

 俺は、俺の用意した箱庭で、メアリーが幸せそうに笑うのを見守りたかっただけだ。


 ウォールデン氏にメアリーが活躍する場を設けるよう、幾度となく忠言してきた。俺の貧相な人脈のうち、メアリーの商才や、教養の高さを俺なりに売り込んできた。メアリーが生き生きとその才能を伸ばす姿を見たいと思っていた。


 俺は、俺の見える範囲にメアリーがいてくれると勝手に思い込んでいたのだ。

 エインズワースの言う通り、俺は思い込みが激しいらしい。

 メアリーが、俺の目の届かないどこかへ行ってしまうなんて、思いもよらなかった。


「は……っ」

 肘をテーブルにつき、額に手を当てる。


 息が苦しい。手が震えているようだ。

 思い切り髪を掻きむしる。


 俺は、なんて独善的だったのだろう。

 メアリーの望むことを聞けと、エインズワースは言っていた。メアリーが本当に望むことは何か。誰を望んでいるのか、メアリーに聞けと。


 これが、メアリーの答えなのか。

 俺の顔など見たくもない。そういうことだろうか。

 やはり俺は、メアリーから憎まれていたのか。





 どれくらいそうしていたのだろう。背後からカランコロン、とドアベルの音が鳴る。

 また客が入ってきたのかとボンヤリ意識を飛ばすと、俺の肩に固い男の手が置かれ、頭上で大きな溜息が聞こえた。


「何があった、コールリッジ」

「……エインズワースか」


 顔を上げもせず、両手で顔を覆ったままの俺に、エインズワースはまたもや嘆息した。


「早馬まで飛ばしておいて、説明もなしか?」

「まさかここにお前が来るとは思わなかった」


 手を外し、のろのろとエインズワースを見上げれば、エインズワースは腕を組んで立っていた。


「浮かれきった君から、メアリー嬢との茶会だと聞いていたからね。ご丁寧に場所まで教えてくれたじゃないか。どうぞ僕の次のデートに使えとね」


 悪気はないのだろうが、全く嫌味だったよ、とエインズワースが言う。


 嫌味のつもりはなかった。

 だがよく考えてみれば、確かにそうだ。俺はメアリーとの逢瀬にカフェへ行くのに、エインズワースの真実想いを寄せる王女殿下が城下へ降り、民草に混ざって小さなカフェでお茶をすることなど、出来るはずがない。

 エインズワースに使えと言ったのは、彼に纏わりつくご令嬢とでどうだ、ということだったが、それこそ俺の無神経なところだ。


「すまない。俺はいつも考えが足らない」


 項垂れると、エインズワースが面倒くさそうに手を振った。


「辛気臭いな。君の視野が狭いことなど、今更だ。それより何があった? メアリー嬢に愛を告げて、振られでもした?」


 エインズワースは長い足を華奢なカフェテーブルの下に滑り込ませ、チェアに腰を下ろした。

 注文を取りにやってきた店員に、笑顔で紅茶のセットをオーダーするエインズワース。店員はぼうっと一瞬見惚れたようにのぼせると、慌てて奥に引っ込んでいった。


「メアリーが、ウォールデンを出ると……」

「よかったじゃないか」


 エインズワースの朗らかな声に、弾かれるように顔を上げた。エインズワースは頬杖をつき、目を細めている。


「君達が結ばれるのに、ウォールデンの家は邪魔じゃないか? 当代ウォールデン氏は頭が固い上、棺桶に足を突っ込んでいるにも関わらず、未だ下半身の緩い御仁だ。昔は切れ者だったらしいが、今では時代遅れのやり方を強要する、ただの老害」


 エインズワースの繊細な芸術品のように整った上品な顔から繰り出される、とんでもない暴言に唖然とする。


「次期ウォールデン当主は商才はあるものの、姉である真珠姫に恨みつらみを募らせて、幼少期からの屈折を拗らせているし、姉に似た容姿のメアリー嬢を内心快く思っていない。なお悪いことに、姉は商売がサッパリだめだったから、彼はそこで溜飲を下げていたのに、メアリー嬢には商才がある。それももしかしたら彼より能力があるかもしれない。この状況はどう考えても、メアリー嬢にとって不幸でしかないよね。メアリー嬢がいいように使われて、切り捨てられるのが目に見えている」

「なんでそこまで詳しいんだ」


 エインズワースは肩を竦めた。


「ご令嬢達と時間を過ごす際、ウォールデン商会にはよく世話になっているんだ。付き合いを重ねれば、人となりや、その関係も見えてくる。それに前にも言ったけど、エインズワースの血に惹かれて群がる羽虫は沢山いるんだ。そいつらが自由気儘におしゃべりしてくれるよ」


 エインズワースの抱えるものが隠れ見えたような気がして、薄ら寒くなる。

 この男はどんな世界で生きてきたのか。


 コールリッジはそれなりに旧家ではあるが、それなりだ。母が嫁いでくるまで、王家の血筋も入っていなかった。

 エインズワースのような、王家に最も近い家とは違う。


「話を戻すけど」


 エインズワースがまた、つまらなそうに手を振った。俺の同情的な視線に気が付いたのだろう。


「コールリッジ、君がメアリー嬢と婚姻するのなら、メアリー嬢がウォールデンで活躍しようとしたとき、君の顔を立てる意味で、ウォールデンも体裁だけは取り繕うだろう。だが、それにしたって内情はどうかな。

 貴族ばかりがその厭らしさを指摘されるが、商人だって似たようなものだよ。そして彼等は貴族と違い、矜持や体面をさほど重要視しない。さらに君がメアリー嬢との婚約を解消などすれば、彼女を守る砦は何一つない」


 エインズワースの真っ直ぐ向けられた目が、俺に問いかけている。お前はそれを承知で婚約を解消するつもりだったのかと。


「それはわかっている。次期ウォールデン氏に幾度かメアリーのことを頼んだが、現状婚約者の身であっても、のらりくらりと躱された。無理強いすれば体裁を整えるくらいはしてくれたが、メアリーのご尊父から聞く話はとても満足のいくものではなかった」


 エインズワースは頷いた。


「まぁ、それくらいは知っているか。視野が狭いといえど、さすがにこの状況下で愛しのメアリー嬢を放り出すほど、無能な男ではないとわかって安心したよ」


 口元に笑みを浮かべて軽口を叩いているが、エインズワースの目には親しみなどなく、俺を見定めるかのように冷たく光っている。


 試されているのだとわかった。


 エインズワースも俺も、学園の外では家名を負って立つのだ。友情はあれども、判断を誤ってはならない。

 俺達の背には一族郎党、それに領民がいる。情に引き摺られて、諸共自滅するわけにはいかない。


 しかしだからこそ、エインズワースは最上位貴族とは思えぬほど、情に厚く、優しい男だ。

 わざわざこうして駆け付け、俺に警告してくれる。

 その友情に俺も応えたい。せめて真摯に向き合おう。


「エインズワース、感謝する。俺は社交もうまくないし、人の機微を読むことも苦手だ。コールリッジ家を負って立つ者として、あまりに不甲斐ないことは承知している。お前が俺と付き合う利点など、あまりないだろう。だが、お前は俺と向き合ってくれた。

 勿論打算がなかったとは思わない。互いに立場がある。それを捨て置いて、友情のためだけに俺に近寄ったなど、幼子ではないから、そんなことは夢見ていない」


 エインズワースの目を見て、そこまで言い切ると、エインズワースはポカン、と口を開いた。

 麗しのエルフの君も、こうして見るとなかなか間抜けだ。


「あー……。君って本当に……」


 何かブツブツと不穏に呟くと、お綺麗な顔をしたファルマス公爵令息はクソっと、汚い言葉を吐き捨て、乱暴に頭を掻き毟った。


「悪かったな! どうせ貴族的理由もなく、君に近付いた大馬鹿者だよ、僕は!」

「は?」


 エインズワースは顔を赤らめ、これでもかと言うほど眉根をきつく寄せ、目を吊り上げて、不満やるかたないといった顔で吐き捨てるように言った。

 いつもの貴公子然とした優男エインズワースの面影は欠片もない。


「僕は、単純に君と友情を築きたかっただけだ! ……僕の周囲には、エインズワースに群がるクソみたいな奴らしかいない。ご婦人方も、僕の顔と家に惹かれて、その場限りの享楽と自己認識と、僕と遊んだという箔をつけたいだけだ。誰も彼もが実に貴族的だ」


 エインズワースの元へ、注文の紅茶セットを持ってきた店員が、エインズワースの投げやりで乱雑な様子に怯えている。

 エインズワースはそれを一瞥したが、そのまま視線を外した。代わりに俺がトレイを受け取ると、店員はそそくさと去っていった。


「八つ当たりはよくない」

「……そうだな」


 エインズワースは紅茶を口にすると、嘆息した。

 そして道化のように手を広げた。


「純朴そうな子だったな。まるで男遊びなど知らなそうな。だけどあんな子も、何度か会ってエインズワースの名を出せば、容易に身体を開くんだ。嫌になる」


 エインズワースの名がなくとも、この男の魅力だけで落ちる女性は多いだろう。それに平民と未婚貴族女性とで、貞操観念は異なる。

 何も恋い焦がれる男に操を捧げようというのは、平民女性にとって、おかしなことではない。


「それは言葉が過ぎるんじゃないか」

「わかってる。わかってるよ。彼女達は平民で自由恋愛を許されて生きている。だけど僕はこれでもエインズワース=ファルマス家の男として育って、貴族としての貞操観念を女性に求めてしまう」


 貴族として、というより、エインズワースは王女殿下を他の女性に見立てているのだろう。

 エインズワースはふと息をつくと、首を振った。


「まぁその貴族女性もね。乱れに乱れているようだけど」


 それをお前が言うのか。エインズワースは俺を見ると、眉尻を下げた。


「僕の言えることじゃないなんて、百も承知だよ。そうさ、僕もクソッタレだ。貴族社会にズブズブに浸かっている」


 言葉を返しようもなく、目の前の冷え切った紅茶を飲もうとカップを手にする。しかしカップは空だった。メアリーと別れてから、そういえば、何も注文していない。

 陰気臭く居座る嫌な客だっただろう。ウォールデンに縁のあるコールリッジ家の人間に、カフェの店員が立ち退けと言えるわけもない。


 俺は慌てて店員を呼び、エインズワースと同じものを頼む。

 エインズワースはその様子を無表情に眺めていた。


「お前は、思っていたより繊細な男だな」


 店員が去ってから、率直な感想を口にすると、エインズワースは眉根を寄せた。


「見た目通りだって?」

「いや」


 即座に否定すると、エインズワースは一層怪訝そうに顔を顰める。


「見た目通りなら、もっとお綺麗で上っ面だけの男か、もしくはエルフのように無感動で冷淡な男か、どちらかだな」


 腹黒くもない、と加えると、エインズワースは吹き出した。


「それはどうかな? 僕はこれでも、処世術には長けているよ」

「知っている」


 エインズワースが片眉を上げる。


「君に見せる僕の姿が全てではない。……まぁそんなことは君も知っているか」


 頷くと、エインズワースは肘をつき、両手を重ね合わせて、その指先を額から鼻先へと沿わせた。


「僕は自分にウンザリしていた。あの方への思慕も倦んでいきそうで……」


 はあっと漏らした吐息が熱っぽく、これに中てられた女性はイチコロだろうな、と目の前のやたら色っぽい男を見る。

 そしてメアリーの言葉を思い出した。


「そういえばエインズワース。お前、メアリーに声をかけたそうだな?」

「何を急に」


 エインズワースが顔を上げる。エインズワースの独白を遮ってしまったが、それよりメアリーだ。


「メアリーが店前に立つ日を尋ねたと」


 エインズワースがメアリーに本気で手を出すとは思わないが、この男は無駄に色気を振りまくのだ。妙な動きはしないでほしい。

 エインズワースは露骨に、物凄く嫌そうに顔を歪めた。


「僕がコールリッジの最愛の君に手を出すとでも?」

「手を出しはしないだろうが、巫山戯てからかうくらいは、やりかねない」


 きっぱりと断言すると、エインズワースはテーブルに突っ伏した。だらしなく投げ出された手に当たって、焼き菓子の載った小さな白い皿が、俺の方に押し出される。


「僕ってどんな風に思われてるわけ……?」

「エインズワース、お前が自分で言ったのだろう。処世術に長け、腹黒い質なのだと」


 エインズワースがガバリと起き上がる。その勢いでティーカップに入った紅茶が跳ね、エインズワースの青磁色(せいじいろ)のジャケットを濡らす。


「それはコールリッジ、君に見せるつもりもない僕の顔だ! だいたい何故僕が君に近づいたと思う? 僕は君とメアリー嬢の恋物語に夢を見ていたんだ! 君達の互いを思い合い、他の者を全く寄せ付けず見向きもしない、二人だけの浮世離れした、どこか退廃的で美しい世界に憧れていたんだ!」


 予想もしていなかった台詞を投げつけられ、目を丸くする。

 周囲にさっと目をやると、やはり他の客も、びっくりしたような顔でエインズワースを見ている。


 それもそうだ。ただでさえ目立つ男だ。

 そしてそのエルフのようにどこか人間離れした美貌の男が、顔を真っ赤にして叫んだ内容は、なんというか、あまりに……。


 エインズワースは仕舞った、というように顔を手で覆った。

 それからまたテーブルに突っ伏した。


「コールリッジ、頼むから何も言うな」

「エインズワース、お前、随分と少女趣味だったんだな」


 エインズワースと俺の声が同時に重なった。

 何も言うなと言われたが……仕方あるまい。


 エインズワースはテーブルに額をつけたまま、髪を掻きむしり、「くそ!」と下品に罵った。

 貴公子らしさをかなぐり捨て、みっともなく何やら呻いている様子を眺めていると、エインズワースはむくりと起き上がった。

 ぐしゃぐしゃになった淡い金髪から紫苑色の瞳を恨めしそうに覗かせて、拗ねたようにぼそりと呟く。


「アンジー……アンジェリカが最初に言い出したんだからな。僕じゃないぞ」


 アンジェリカとは第二王女殿下のご尊名ではなかったか。


 どうやら知らぬうちに、俺とメアリーが、エインズワースと殿下の少女趣味の末、何やらわけのわからん崇高なものに祭り上げられているようだ。

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