5 恋愛年齢三歳とはなんだ
「メアリー嬢は今、生徒会執行部に居るはずだよ。迎えに行くといい」
エインズワースが軽薄な様子でヒラヒラと手を振る。
俺は首を振った。
既に俺は学園を卒業している。入れ代わるようにメアリーはこの春、学園に入学した。
メアリーと共に学園生活を送りたかったという思いを無理やり胸に沈めていたのに、エインズワースは俺を学園へと呼び立てる。そしてついでにメアリーを送っていけと言う。
付き合ってみると、見かけによらずエインズワースは世話焼きで、なかなか人情に厚く義理堅い、いいやつだった。
放蕩不羈に見せかけて、実のところ潔癖で純情な男だとも知った。
「俺が顔を出せば、メアリーの学園生活に水を差す。メアリーが新たな人間関係を築くのに、俺が居ては差し支えるだろう」
「君はメアリー嬢と未だに婚約解消する気なのかい?」
エインズワースは露骨に呆れたように、目を眇めてくる。
「当然だ。俺が居ては、メアリーは幸せになれないからな」
「それ、コールリッジの思い込みじゃないのか。君、思い込みが激しいからな。猪突猛進だし。メアリー嬢にちゃんと聞いたの?」
肘をついてだらけきった様子で顎を手に載せるエインズワースは、麗しのエルフの君から程遠い。
母といいエインズワースといい、外面のいい人間というのは、落差に驚くというより、日常的にこうまで己を装うのか、とその労力に感心する。
しかし視野が狭いのは自覚しているが、猪突猛進とまで言われたくはない。確かに気は利かないだろうと思うが、その分、常にメアリーの希望を確認している。
「勿論だ。メアリーは結婚に夢は見ないと。そして結婚したくないと言っていた。よほど俺との婚約が嫌なのだろう」
エインズワースの手に載せていた顎がずり落ち、ガクンと机に叩きつけられた。
「痛っ」
「何をしている。エルフ様の顔が崩れるぞ」
エインズワースは赤くなった顎をさすりながら、恨めしそうに俺を睨みつけてきた。
「王女様はこの顔が気に入らないみたいだからね。刀傷でもつけたいくらいだよ」
エインズワースの幼馴染みだというこの国の第ニ王女殿下は、秀麗なエインズワースの容姿を『まるで人形のようにつまらん顔だな』と歯牙にもかけてくださらないらしい。全てエインズワースの外面が悪いと思うが、それを指摘すると、「幼馴染みなんだから、殿下は僕の正体をご存知だよ」と寂しそうに眉尻を下げた。
それもそうか、と納得したが、それならば余計に殿下はエインズワースの外面を外して欲しくて、そのような辛辣なことを仰せになられたのではないだろうか。しかしどちらにせよ、王女殿下お相手に、筆頭公爵家の令息とはいえ、三男のエインズワースでは難しい。
「…そうなれば殿下は悲しまれるぞ」
「どうだか。でももし、あの方のお心に少しでも残るなら、それもいい」
エインズワースはわざとらしく悲観した態で自嘲すると、瞑目した。
「いや、今僕のことはいい」
エインズワースが真剣な目で俺に向き合う。
「いいか、コールリッジ。メアリー嬢が結婚に夢を見ないのも、結婚したくないのも、相手が君じゃないからだ。君との婚約を否定しているわけではない」
そんなわけがないだろう。溜息が口から漏れる。
「メアリーは婚約の顔合わせした当初から、この婚約を否定していた。だいたい俺はメアリーの憎むあの男の息子だ。受け入れられるわけがないだろう」
エインズワースは俺を馬鹿にするように片眉を上げた。
「では君は、君の憎むべき初代真珠姫のご息女であられるメアリー嬢のことをどう思う?君のご母堂を苦しめた先代真珠姫のご息女であるメアリー嬢を受け入れられないのか?メアリー嬢のためだと嘯いてその実、君自身がメアリー嬢との婚姻に耐えないだけではないのか?」
「違う!」
激情に駆られて机を乗り出すと、ガタンと大きな音を立てて椅子が倒れた。
教室の出入り口あたりから、女生徒と思われる小さな悲鳴が耳に飛び込んできて、はっと我に返る。エインズワースに掴みかかりそうになっていた。
「これだから猪突猛進だと言っているんだ」
エインズワースは心底呆れたように嘆息した。
「……悪い。以前母にも指摘された」
「どうせご母堂にも、メアリー嬢のことで揶揄されたかしたのだろ」
返答に詰まる。その通りだったからだ。
押し黙った俺を見て、エインズワースが額に手を当てた。
「ご母堂のご心労が忍ばれるね」
エインズワースの言う通りだ。あの男だけじゃない。俺自身がまた、母に要らぬ苦労をかけているのだろう。それに母にとっても特別なメアリーを、俺が母から引き離そうとしている。
「……母には申し訳ないと思っている。だが、俺はメアリーに幸せになってほしい…」
俯いた俺の前に、影が落ちる。エインズワースが俺の前に立ち塞がったようだ。
なんだ、と顔を上げると、冷え冷えと表情を無くしたエインズワースが立っていた。
「立て、コールリッジ」
「何を……」
感情のない冷たい目で俺を見下ろすエインズワースは、まるで本物のエルフのように酷薄に見えた。
「いい加減僕も腹が立ってきた。ここまで話が通じないのでは、何を言おうと無駄だ」
だから殴る、と言うが早いか、エインズワースは俺の腹に拳を叩き込んだ。
優男に見えるエインズワースの繰り出す拳は強烈だった。構えもしていなかった俺は、椅子ごと窓際まで吹き飛んだ。
「君の思い込みが諸悪の根源だとなぜ気が付かない! いいか! カドガン伯爵や先代真珠姫など関係ない! メアリー嬢が今傷ついているのは、紛れもなくコールリッジ、君のせいだ!」
常は秀麗な眉と目を吊り上げ、顔を真っ赤にし、淡い金の髪を振り乱し、体全体で感情を爆発させるエインズワースの姿に、呆気に取られる。
「メアリー嬢が何を望んでいるのか、誰を望んでいるのか、本人に確かめろ! 君のそのくだらない思い込みは捨てろ! メアリー嬢に幸せになって欲しいだと? 君が! 君がその手で幸せにしろ! その甲斐性もないのか!」
肩で荒く息をするエインズワースに、教室に残っていた数名の生徒や、騒ぎを聞きつけて廊下に集まっていた者達の視線が刺さる。
「お前、熱い男だったんだな……」
エインズワースは眉を顰めると、はぁ、と乱雑に前髪をかき上げ、そのまま床に座り込んだ。
「君のせいで麗しのエルフ像が崩れたじゃないか」
「俺のせいなのか?」
「違うとでも?」
ギロリ、と凶悪な目を向けてくるエインズワースに、釈然としないものの、向けられた友情に心が温まる。
「……何を聞けばいい?」
エインズワースは呆れたように首を振った。
「僕はメアリー嬢と言葉を交わしたこともないんだぞ? そんなこと知るか…と言いたいところだが」
こちらを覗き込んできたエインズワースの目には、迷子のように情けない顔の俺が映っていた。
「まずは何より、メアリー嬢に真摯に愛を伝えろ。おそらくメアリー嬢は、君の想いに気がついていない」
メアリーの負担になってはいけないと、自重するように心掛けていたから、気が付かずとも無理はない。だが。
「メアリーは聡い女性だ。俺の想いなど気がついている」
いかに隠そうとも、メアリーが気が付かぬはずがない。婚約破棄を申し出た六年前とは違う。
婚約者の茶会が月一義務で催されていただけとはいえ、これまで逢瀬を重ねてきた。互いに高め合い、良好な関係を築いてきた。
メアリーが大事だということも、伝えてきた。
だがエインズワースはそんな俺を鼻で笑った。
どうやら完全に公爵令息の仮面を脱ぎ捨てたらしい。品性の欠片もない。
「君のその思い込みの激しさは、全く驚嘆に値するね。どうしたらそこまで頑なになれるんだ?」
「……わかった。改めて伝える」
頷くと、エインズワースは顔を両手で覆った。
「出来の悪い息子が出来たみたいだ」
同い年なんだが。
「だけど、氷の貴公子が実はただの唐変木で、初恋を拗らせただけの恋愛年齢三歳のガキだなんて、知っているのは僕くらいだろうな」
エインズワースが手をおろすと、その口元にはニヤニヤと気色悪い笑みが浮かんでいた。しかし恋愛年齢三歳とは。
「恋愛年齢三歳とはなんだ」
エインズワースはまたもや鼻で笑った。これのどこがエルフだ。
「ママ、ママ! 好き好き! 大好き! こっち見て!」
突然両手を広げ、満面の笑みで迫ってくる男に寒気を覚える。後ずさりすると、エインズワースはさっと笑顔を消し、つまらなさそうに腕を下した。
この変わりよう。公爵令息なんてやめて、役者になった方がいいんじゃないのか。
「……って喚いてる幼児と君が、大差ないってことだよ。自分の気持ちばかり押し付けて、相手のことを考えない。考えているつもりで、的外れ。迷惑。どう? 同じだろう?」
言い返してやりたいが、倍になって返ってきそうなエインズワースの様子に、言葉を飲み込む。代わりに気になったことを尋ねてみる。
「……氷の貴公子ってなんだ?」
エインズワースは目を見開き、それからジロジロと俺を見てくる。
「なんだ?」
「君、本当にメアリー嬢以外、興味がないんだね。一年しかいなかったとはいえ、あんなに騒がれていたのに」
あいつら二人に纏わる醜聞について、俺を見ては陰口を叩かれていたのは知っている。噂好きの女生徒達が、よく遠目で俺を見ては、何やらコソコソやっていた。目が合うと、化け物でも見たかのように蜘蛛の子を散らすように、慌てて逃げていった。
それを告げると、エインズワースが天を仰いだ。
「これは筋金入りの唐変木だ。まったく、孤高の貴公子だの氷の貴公子だの。これほど実態にそぐわない二つ名もないな」
「なんだその孤高の貴公子とやらは。エルフに次ぐ、お前の渾名か? 恥ずかしい名ばかりだな……」
妙な讃えられ方ばかりするエインズワースを憐れんでいると、エインズワースがぞんざいに手を振った。その目を心底呆れたように細めて。
「氷の貴公子も、孤高の貴公子も。どちらもコールリッジ、君の通り名だよ」
なんてことだ。