17 なんてみっともなくて、なんて幸せ
既に火照った体に夜風が気持ちいい。
アラン様が先に馬車の乗り込み、わたしに手を差し伸べる。その手を借り、アラン様の真向かいに腰を下ろすと、アラン様が口を開いた。
「俺一人の力で、メアリーに贈りたかった。だが残念ながら、俺は貴婦人の装いに詳しくない」
そんなことは知っている。
アラン様がこれまで必死に学ばれていたのは、一刻も早く伯爵位を継ぐため。
学問に礼儀作法、剣術・体術に、領地経営。それから苦手ながら、貴族の力関係と多少の駆け引き。
本格的な人脈作りに手を出せるほど、アラン様に余裕はなかったし、紳士同士のやり取りですらそうなのだから、そこに貴婦人とのあれこれだなんて、入り込む隙はなかった。
「メアリーには、何一つ疑われたくない。これ以上すれ違うのもごめんだ。だから打ち明けるが、それらの宝飾品は第二王女殿下とエインズワースに相談し、殿下に口利きしていただき、王家に縁ある宝石商に頼んだものだ」
思わず息をのむ。
相当な品だとは思ったし、エインズワース様を頼られたのでは、と予想してもいた。けれどまさか、第二王女殿下のお力までお借りしているとは思わなかった。
「殿下とエインズワース様の……」
「ああ。今日の夜会には殿下とエインズワースも出席する」
アラン様が身を乗り出して、わたしの手を取った。
「そこで殿下にメアリーを紹介したい。俺の婚約者として」
アラン様の手に力が籠る。
「私、アラン・コールリッジ、カドガン伯爵はメアリー・ウォールデン嬢に愛を乞う。出会った日から今日まで、メアリーだけを愛している。これからも共にあってほしい。どうか俺と結婚してくれ」
アラン様らしい、飾らない簡素な言葉。
それも夜会に向かう、がたがたと揺れる馬車の中。
きっと馭者にも聞こえているだろう。ムードも何もない。
だけど、だからこそ、アラン様の真摯な言葉が胸に染み入る。
本当のことだと信じられる。
わたしを疎んじていたのではないと。アラン様がわたしを必要としてくれているのだと。
言葉が出ない。
燃えるように熱い目からはただ涙がボロボロと流れ落ち、きっと会場に着くころには、化粧もドロドロだろう。
アラン様はわたしの隣に移り腰を下ろすと、私の肩を抱いて、滝のように情緒の欠片もなく、涙が溢れて止まらない目元へとハンカチを当ててくださった。
アラン様に縋りつくと、耳元にアラン様の熱い吐息がかかり、ぞくりとする。
「馬車の中ですまない。花束と指輪を用意して跪き、愛を乞うべきなんだよな。殿下とエインズワースにも散々言われたんだ。思い余って舞踏会直前に先走るなと、釘を刺された。せめてファーストダンスを踊り終えてからにしろと。それから侯爵自慢の庭で、噴水前にメアリーを連れ出し、そこで貴公子らしく求婚すべきだと。俺もそのつもりではいた。
だが……。どうしてももう、我慢の限界だったんだ」
苦しそうなアラン様の甘くて低い声に、わたしはみっともなく嗚咽を漏らすことになった。
「メアリーに触れたくてたまらなかった」と。そんなお言葉をかけられて、泣き崩れずにいられるほど、わたしのアラン様への想いは生易しいものじゃない。
感動した様子を装って、化粧を崩さぬよう美しく瞳を潤ませる程度に留め、楚々として淑女らしく貞淑に振舞うだなんて。
そんな風に冷静でいられるくらいなら、とっくに割り切ることができた。
うおううおう、と聞き苦しい声で泣き縋るわたしに、アラン様は優しく背を撫でた。
使用人が丁寧に結い上げ、ベールをかけてくれた髪型を崩さないように気を遣われながら、優しく額に口づけをしてくださった。
それからアラン様は慌てたように、フラックの隠しポケットに手を差し入れた。
深い臙脂色の滑らかな天鵞絨が張られた、掌にちょこん、と載るくらいの小さな箱。
取り出されたそれをパカリとわたしの目の前で開く。
そして。
「メアリー、この指輪を嵌めてもいいか?」
アラン様は、おずおずと私の指先を持ち上げた。
ああなんてこと!
人生でただ一度きりのデビュタントボール。
まさに今を逃して他にないという、この場で。愛してるなんて言うから。
化粧の崩れた、顔面ドロドロお化けのデビュタントとして、わたしは出席することになるのね。
なんてみっともなくて、なんて幸せなのだろう。
(第1部 了)