14 お父様の謝罪とウィンク
お父様はウォールンデンに飼い殺されようとしていた。
当主がお祖父様から叔父様に代替わりしても、きっとそれは変わらない。
「いいえ、お父様。お父様はわたしをウォールデンの魔の手から守ってくださいました。お父様はわたしを叔父様に売ることをなさらなかった」
「……当たり前のことだ。メアリー。それは父親としてではなく、人間として当然のことなんだよ」
苦しそうに声を絞り出し、額に手を当てるお父様の背に手を当てる。
小柄なお父様の背がさらに小さく見える。
「いいえ。ウォールデンの者にとって、それは決して『当たり前』などではございません。叔父様はわたしを疎んじていらっしゃいましたし、お母様はわたしに興味もなかった。お祖父様はお母様によく似た顔を気に入ってはいらっしゃいましたが、ウォールデンを継ぐでもない女子は、お祖父様にとって商売道具の一つでしかありません。わたしの容姿には利用価値がありました」
背に当てた手から、お父様がお身体を震わせていることが知れた。両手でお顔を覆い、ぐうっと喉を鳴らしたお父様をソファへ促す。
お父様は腰を下ろすと、ああ、と静かに息を漏らした。
「すまない……。すまない、メアリー。幼い君を修羅の世界へ招き入れてしまった。私が君を守るべきだった……私しかいなかったのに」
肩を大きく上下して深く息を吸うと、お父様は覆っていた両の手を外し、涙に濡れたお顔でわたしを見た。
「伯爵の元へ君を嫁にやらなければならなくなって、初めて私は、君を喪うことに恐怖した。……その話をお嬢様から聞いたときは、何も感じなかったんだ……」
お母様に似たわたしをどう捉えればよいのか、お父様はわからなかったのだろう。
神に罪を懺悔する敬虔な教徒のように、お父様は頬を濡らし、真摯な眼差しを向け、拳を両膝に載せ背筋を伸ばす。
「メアリー、君は私に、君達の婚約に納得しているのかと聞いたね。……納得するかどうかなど、私の考えることではないと放棄していたんだ」
すうっと息を吸う、その静かな呼吸音が部屋を満たす。
わたしはお父様の骨ばってかさついた手を取った。
「あの日初めて、君の悲鳴のような叫び声を聞いた。お嬢様によく似た聞き分けのいい人形ではなく、傷つき、心で血を流し、瞳から涙を溢す、生きている小さな少女だった」
お父様が握りしめた手とは逆の腕を伸ばし、わたしの肩を抱く。
わたしはお父様の痩せた薄い胸元に頭を凭れかける。
「コールリッジ卿に縋り付き、世界に二人しかいないかのように抱き合って泣く君を見て、わたしは初めて……」
お父様を見上げると、お父様は微笑んでくれた。
「何も感じなかった心が動いた。君を喪いたくないと、思ったんだ。メアリー、君を、あんな男の息子にやってたまるかと……」
頬を撫でるお父様の手はかさついていて、ぐんぐんとわたしの頬を伝う涙を吸っていく。
「だけど、君がお嬢様と違うように、コールリッジ卿も前カドガン伯爵とは違うお人なんだね。この婚約を止められなかったことに、私はこれまで後悔していたが、今は感謝しているよ」
既にアラン様との婚約は解消されているのに、何を仰せになっているのかと首を傾げると、お父様は目を瞬いた。
「もしかして、コールリッジ卿から何も聞いていないのかな?」
「なんのことでしょう?」
わたしの頬を撫ぜていたお父様の手が離れ、お父様は口元に拳を当てて、相好を崩した。
「ふふ。それは私からは口に出来ないな。メアリーがコールリッジ卿から聞くといい」
目を細めるお父様に、わたしは頬を膨らませてみせる。
「アラン様とお会いすることは、もうございません。ですからどうぞお教えくださいませ」
ぷくっと膨らませた頬をお父様が突つくので、わたしは唇を尖らせる。
「そうだね。私から言えることは、解消された婚約は、当時のカドガン伯爵とウォールデン家の間で取り結ばれたものだということだ」
「……どういうことです?」
拗ねた声色を作ってみるものの、頬が緩んでいくのがわかる。
お父様はそんなわたしに愛おしそうな眼差しを向け、額に落ちた前髪を優しく梳いた。
「もうわかっているくせに。ああ、でもメアリーがここに残りたいというのなら、私は反対しないよ」
茶目っ気たっぷりにお父様がウィンクする。
……ウィンク、流行っているのかしら。
「わたしは……でもポリーブティックは? せっかくウォールデンから独立出来ましたのに」
念願の独立だ。それに、ブティックでやりたいこと、学びたいことはたくさんある。
ウォールデンの指図を受けず、成果を横取りされず。初めて自由に自分の力を試し、挑むことができる。
「それもウォールデンの名を流用する許可に加えて、完全なる独立……支配下からの脱却と、いずれ波に乗れば、ウォールデンの名を外してよいと、これ以上ない条件ですのよ! この機を逃してはなりません! 『ポリー』の名にかけて、わたしも繁栄に尽力したいのです! お父様お一人に任せ、無責任に去ることなど出来ません!」
目を吊り上げ、拳を握りしめてお父様に詰め寄ると、お父様は「メアリーがお嫁さんに行かずに、ずっとここに居てくれるなら、私は嬉しいけど」と肩を竦めた。
「けれどもそれじゃ、私は敵に回してはいけない方々の恨みを買ってしまうな。恩を仇で返すのは、私の主義ではないし」
振り上げた拳を下ろして、怪訝な面持ちを向けると、お父様はわたしの鼻先に指を突きつけた。
「ポリーブティックがウォールデンの手から離れて店を構えられたのは、アンジェリカ第二王女殿下とエインズワース卿と……。それからコールリッジ卿、いや、現カドガン伯爵のお三方がご尽力くださったお陰だってこと。メアリー、君は知っていたかい?」
そんなこと、知らない。