11 愛してるなんて言うから、勘違いしてしまった
その後、アラン様の宣言通り、わたしはアラン様の腕に手を置き。そしてその上からアラン様が手を乗せる、という格好のまま過ごすことになった。
とても動きにくかったけれど、それ以上に問題だったのは、絶え間なくアラン様の温かな眼差しが注がれていること。それらが逃れようもなく感じられること。
胸の高鳴りはいつまでも静まらないし、身体中が火照るように熱いし、アラン様の腕に載せた手はジットリと汗をかいているようだし。一挙手一投足を見られているようで。
どう動いてよいのかわからない。
ちらりと見上げると必ずアラン様と目が合い、ふにゃりと微笑まれる。そしてわたしの手に載せた御手でキュッと軽く握られたりする。
慌てて視線をそらすと、今度はエインズワース様が微笑ましいといった様子で、こちらを慈愛に満ちたお顔で眺めていらっしゃる。
なんなのでしょう。
このお二方は、一体なぜ今日こちらにいらしたのでしょうか。
「……あの。本日はどのようなご用向きでいらしたのですか?」
やたらと生温かく不可解な眼差しを向けてくるだけ――本当にそれだけで、特に何もしない、使用人の出したお茶を飲んでいるだけ――のお二人に、いい加減痺れを切らしたわたしは、おずおずと口を開いた。
その間もアラン様はわたしに、熱情のこもったうっとりとした眼差しを向けているし。エインズワース様もまたアラン様とは種類の違う、憧憬のような、どこか遠巻きな感のある、うっとりとした眼差しを向けてくる。
身分の高い美貌の男性二人からそのような視線を受けて、大変座り心地が悪い。
繰り返しになるが、わたしはしがない平民なのだ。
自由な方の手に持った扇で口元を覆い、アラン様を見上げる目を細める。
それからすっと上半身を退き、アラン様から距離を取った。するとアラン様はわたしの手をきゅっと握られた。
「メアリーに会いたかった。迷惑だったか?」
いえ、そういうことではなくてですね。
どう説明しようかと、エインズワース様へちらりと視線を向けると、わたしの手を握る力が強くなった。
痛いです、アラン様。
「メアリー。他の男を見るなと言っただろう?俺を前に、わざとしているのか?」
「違います」
なぜそうなるのか。
恋人宣言を受けてから、アラン様の思考回路が全くわかりません。
「ならば無意識にエインズワースを見てしまうということか? やはり斬るしかないな」
「おやめください」
「やめろ!」
ギラリと好戦的、かつ仄暗いお顔をなさって、お腰のサーベルに手をやるアラン様。
エインズワース様は慌てて腰を浮かした。アラン様の視界から外れるところへと移動していく。
「メアリー嬢。今日は僕がコールリッジに無理を言って、連れてきてもらったんだ」
学園で見かけるお姿同様の、エルフの君の麗しい微笑み。しかしながら常にない、ぎこちなさを感じる笑み。
エインズワース様は、わたしにお言葉をかけてくださいながらも、視線は交わらず。どこか外れたところへ、その眼差しを向けている。
「エインズワース様が……?」
エインズワース様の方へ上半身を向けようとすると、アラン様がぐっとお身体を乗り出してこられ、視界が遮られる。
「エインズワースと殿下……第二王女殿下は変わったご趣味をお持ちでな」
アラン様が覆い被さるように迫ってくるので、はしたないと己を叱責しつつも、ずりずりと臀部を滑らせ、後ろに退いた。
「変わったご趣味、ですか?」
「そうだ」
アラン様はなぜか苦虫を噛み潰したかのようなお顔をなさっている。
エインズワース様に助けを求めたいのだが、アラン様がわたしの視界いっぱい占めているため、首を伸ばしてもエインズワース様に視線を向けることができない。
アラン様はわたしの伸ばした首の方へ、ずずい、とお身体を傾ける。
どうしたものか、と思案していると、アラン様の背後からエインズワース様のお声が聞こえた。
「アンジェリカ第二王女殿下には、公には出せない秘密の執務があってね」
アラン様が小さく、「何が執務だ」と呟かれた。
「それにあたって、コールリッジとメアリー嬢。君達の婚約関係、いや恋人同士の進捗具合を殿下に具に報告する必要がある」
「えっと……? アラン様とわたし……ですか?」
「うん。微に入り細を穿って、との仰せだ」
アラン様の広い胸元が視界を遮って、エインズワース様のご表情が窺えないけれど、その声色は嬉々としているように軽やかな調子だ。
全く意味がわからない。
理解の及ばないことに戸惑い、アラン様を見上げると、またもやアラン様がふにゃりと微笑まれる。
心臓に悪いので、その気の抜けたようなお可愛らしい微笑みを乱発するのは、やめていただきたい。
「あの……申し訳ございません。無知なわたしには、殿下のご意向を汲むことができかねますわ」
だって意味がわからない。
しかし不敬にならないだろうか、と恐る恐るアラン様越しに、エインズワース様へ返答すると、エインズワース様が朗らかにお声をあげられた。
「ああ! いや、メアリー嬢は何も気負わなくていい。僕はただ、君達の恋愛模様を間近で見守っていたいだけだから」
「はあ……」
やっぱりよくわからない。
「そうだ、メアリー。こいつらのことは気にするな。ただの出歯亀だ」
出歯亀。天下のファルマス公爵令息様をもって、出歯亀。
「いやいや。殿下直々の指令だからね。メアリー嬢が気にすることは特にないけど、出歯亀なんて言われ様は酷い。それに僕はこれでも、コールリッジ、君の助けになっていると思うけど?」
「……それは感謝している」
まるで不本意だ、というようにアラン様が唸った。
よくわからないけれど。
アラン様が先日、突然恋人になろうだなんて言い出されたことも。急に甘いお言葉をくださるようになったのも。気障な振る舞いをされるようになったのも。
全て、殿下のご意向で、そしてアラン様はそれに従っただけということなのだろう。
それならば、アラン様のこの変わり様に得心が行く。
おかしいとは思っていたのだ。
わたしを疎んじているはずのアラン様が、婚約解消までの短い期間とはいえ、わたしと恋人になろうだなんて。
冗談でもわたしのことを、愛してるだなんて。
……愛してるなんて言うから。少し、勘違いをしてしまった。
わたしは瞑目して深く息を吸い、暴れ始めそうな心を抑える。そしてアラン様を見上げ、にっこりと微笑みかけた。
「つまり、エインズワース様に仲の良い婚約者同士の様子をお見せすればよいということでしょうか?」
「その通り! メアリー嬢は飲み込みが早くて助かるな」
愉快そうなエインズワース様のお声とは対称的に、アラン様は怪訝そうにわたしの顔を覗き込んだ。
「メアリー? なぜそんなに悲しそうな顔をしているんだ?」
「そんなことはございませんわ。ただ恥ずかしいだけです」
アラン様は「ああ」と頷かれた。
「まあそうだよな。わざわざ己の恋路を他人に見せるなど……。俺もそんな趣味はないのだが、しかし殿下の頼みとあっては断れなかった。すまない」
「いいえ。わたしも誠心誠意、努めてまいります」
悲しくなんてない。
アラン様が愛してるなんて言うから、烏滸がましくも勘違いをしてしまった自分が、恥ずかしくてたまらないだけ。