暮れ方の惨劇
「何が起きた?」
暮れ方。地元の名士たちの会合を終えて帰路についていた実業家の男性、ダントリクの乗る馬車が突然路上で暴れ出した。御者の右腕が突然出血し、操作を誤ったためだ。周囲はたちまち騒然となり、往来の人々は馬車に巻き込まれないように、慌てて距離を取っていく。
「と、止まれ!」
御者は痛みを堪えながら、必死に馬を落ち着かせ馬車を停車させた。御者の腕は鋭利な刃物で切り付けられたように裂けている。しかし、何者かが馬車に攻撃を仕掛けた様子は一切なく、本当に全てが突然の出来事だった。
「ダントリク様、決して我々の側を離れないでください」
立ち止まった馬車はいい的だ。護衛たちは即座にダントリクを脱出させ、襲撃に備えて直ぐに周囲を固めた。人格者と評判のダントリクだが、実業家という立場上、思わぬ形で恨みを買っている場合もある。有事に対する警戒は怠っていない。
「狙撃の可能性もある。注意しろ」
護衛たちは御者の傷の形状まで確認しておらず、弓矢による狙撃が御者の腕を掠めた可能性を疑っていた。常識的に考えればそう思うのも無理はない。恐るべき魔剣による襲撃など普通は可能性の外だ。
「があっ!」
護衛の一人が突然右足を斬りつけられ膝をついた。風切り音も飛来した矢の姿もどこにもなく、傷はやはり突然生じた。理解しがたい状態に混乱は深まる。
「と、とにかくダントリク様を安全な場所まで――」
言いかけて、護衛のリーダーの首が突然跳んだ。吹き上がった鮮血がダントリクに降り注ぐ。
凄惨な光景を前に、遠目に状況を静観していた人々の間でも悲鳴が噴出した。
見えない攻撃に恐怖を抱きながらも、護衛たちはダントリクの周辺を守り続ける。しかし、次から次へと腕や両足を切断され、一人、また一人と倒れていく。
三人いた護衛は全滅し、残されたのはダントリクただ一人だけ。助けに入りたいと思いながらも、惨劇に巻き込まれることを恐れ、周囲の人々は見ていることしか出来ない。
「……いったい、何が起きたというのだ?」
凄惨な状況を前に、ダントリクは力なく膝をついた。背後から夕日が差し、ダントリクの影が大きく伸びる。すると、両刃の剣のような形状をした黒い靄がダントリクの影の右手へと伸びた。次の瞬間、黒い靄の一閃と同時にダントリクの影から右手首が落ちた。影の動きと連動し、まるで鋭利な刃物で両断されたかのように、ダントリクからも右の手首が落ちる。
「ぎゃああああああああ!」
激痛に悶えながら、ダントリクは左手で右手首の切断面を押さえた。指の隙間から血液が次々と溢れ出してくる。手首を直接切られた様子はない。誰の目にも突然手首が落ちたように見えた。今この瞬間、影は肉体の状態をなぞらず、肉体の方が影の状態をなぞっていた。
「何が、何が起こって――」
黒い靄の一閃でダントリクの影から首が落ちた。誰も近づいていないにも関わらず、肉体からも首が落ちる。最期の瞬間まで何が起こったのかを理解出来ず、驚愕の表情を浮かべたままダントリクの首が地面へと転がった。
「いやあああああああああ」
一部始終を目撃していた群衆から次々と悲鳴が上がる。次は自分達が同じ目に遭うのではと恐怖し、我先にとその場から逃げ出していく。
「どうだった。日陰者に全てを奪われる気分は?」
少し離れた建物の影で、男が愉快そうに口角を釣り上げた。男が日の当たる路上に出た瞬間、手にしていた剣のような黒い靄は男の影へと吸い込まれていった。影に吸収されずに留まった、赤い石だけを男は右手に握り込む。
混乱する人の流れに混ざって、男はその場を立ち去っていった。




