親切な村
カリーナの日記帳を読み終えたダミアンは、カリーナが潜んでいた建物の中へと入った。ここはエルネスト村長の自宅のようで、無礼を承知で室内を検めると、埃を被った机の引き出しから一冊の書物を見つけた。村長が毎日欠かさず、村での出来事を綴っていた日誌のようだ。
『昨晩、村に泊めた青年を、今日は地図に載っている大きな街道まで案内した。ここから先は彼一人でも大丈夫だろう。近くに来た際には改めてお礼に伺うと彼は言ったが、それは丁重にお断りした。ニエブラの森の奥深くにあるセルバ村を訪ねて、また道に迷ったら大変だ。気持ちだけ大切に受け取っておく。そもそも私達はお礼を言われるようなことは何もしていない。困っている人がいれば手を差し伸べる。それは人として当然のことなのだから』
前日に森で迷っていた青年を保護し、翌日に安全な場所まで案内した旨が村長の日誌には綴られている。日付は四カ月ほど前。カリーナが村に現れる数日前のことのようだ。
『今日、猟師のレグロが森で熊に襲われそうになっていた女性を保護し、村へと連れて来た。彼女はカリーナというらしい。可哀想に、何があったかは知らないが、随分とやつれた様子だった。今はゆっくりと休ませてあげることにしよう。生きていれば色々とある。彼女も相当苦労したのだろう。事情は言いたくなった時に話してもらえればそれでいい。今の彼女にはゆっくりと体を休める時間が必要だ』
カリーナが村へやってきた日の出来事を、村長はそのように綴っている。
『幸いにも怪我らしい怪我もなく、十分な食事と休息をとったカリーナは元気を取り戻しつつある。しばらくこの村にいたいというので快く承諾した。この村の雰囲気を気に入ってくれたのなら村長としても嬉しい限りだ。
森へ猟へ出かけたレグロが今日はなかなか戻って来なかった。幸いにも日が落ちる前には村に戻って来たが、腕利きで引き際も弁えている彼にしては珍しいことだ。どこか目が虚ろで、怠そうにしていた。朝は元気だったが、強がっていただけで疲労が溜まっていたのだろうか? 明日は猟にはいかずに養生するように言っておいた』
カリーナの日記と照らし合わせると、猟師のレグロはこの日にスクアドラを寄生させられ、村で最初の被害者となったと思われる。
『最近、何だか村に漂う空気がおかしい。レグロに始まり、フラビオやエビータ、盛り上げ上手のキケまでもが、目が虚ろで口数も随分と少ない。他にも似たような症状の者が数名確認出来る。ただの疲労ならば良いが、何かの流行り病だったら一大事だ。今後もこのような状況が続くようなら、一度町の医者に相談へ向かった方がよいかもしれない』
カリーナの日記と照らし合わせると、この時点ですでに村人の半分以上がスクアドラに寄生されていたと思われる。流行り病では無かったが、何かよからぬものが蔓延しているという村長の予測は的外れではなかった。
『どうやら異常は、すでに私とカリーナを除く全ての住民へと広がっているようだ。彼女を疑いたくはないが、異常の発生は彼女が村へやってきた時期と合致する。一度しっかりと話しをしてみる必要があるだろう。彼女が関係を否定すれば、それを素直に受け止めるつもりだ。彼女も私達の村の大切な仲間の一人なのだから』
村長の日誌はこの日を最後に更新されていない。この日誌を綴った翌日に、村長は全身にスクアドラを寄生させられ、カリーナの操り人形と化している。
カリーナの日記とエルネスト村長の日誌。二つを照らし合わせることで、以前の村の様子と崩壊までの経緯の一端を知ることが出来た。ダミアンは静かに村長の日誌を閉じると、机の引き出しへと戻した。
「ここは、本当に余所者に対して本当に親切な村だったようだ。その優しさを否定するつもりはないが、今回ばかりは招き入れた相手が悪すぎた」
村長の机から周辺の地図を拝借すると、ダミアンは一人セルバ村を後にした。
※※※
夜明けと同時にニエブラの森を抜けたダミアンは、街道沿いの大きな宿場町へと移動した。町に到着した頃にはすでに正午近かった。
ダミアンはその足で大衆食堂へと向かい、遅めの朝食をとることにした。傷は塞がり、服も旅行鞄に入れていた予備に着替えたので、食事中の紳士がほんの数時間前まで、深い森の奥で死闘を繰り広げていたとは、周りの客は夢にも思っていないだろう。
「すみません。ニエブラの森に奥にセルバという村はありますでしょうか?」
食事を終えた一人の青年が、会計を済ませながら食堂の女将にそう尋ねた。大荷物なところを見るに、青年は旅人のようだ。
「実はここ数カ月間はほとんどセルバ村の人を見てなくてね。元々住んでいる人も多くはないし、村が今でもあるのかどうか」
「そうですか……ありがとうございます」
女将に礼を述べると、旅人の青年は大衆食堂を後にしていった。
「君はセルバ村に用があるのか?」
食事を済ませたダミアンは、旅人の青年の後を追って声をかけた。青年は道行く住民にもセルバ村について尋ねている様子だった。
「はい。四カ月ほど前に森で迷っていたところを、村長さんに助けて頂きました。宿を恵んでくださり、翌日には道案内まで。用事で近くまで来たので、一言挨拶をしたいと思っていたのですが、元々迷って辿り着いた場所ゆえに、行き方が分からなくて」
村との関係性と四カ月前という時期から、ダミアンは直ぐにその青年が、村長が日誌に綴っていた人物だと理解した。
「正確な場所も分からない場所を目指して、また深い森で道に迷ったら本末転倒だろう。それは君を助けた村の住民が望むところではあるまい」
日誌で目にした村長の意思をダミアンは代弁した。青年の求める親切な村はもう存在しないし、森で迷ってしまった青年を、親切に導いてくれる者も現れはしない。
「確かにその通りですね。僕を街道まで案内してくれた時に、村長さんも同じようなことを言っていました。また村の方々の親切に甘えることになったら申し訳ない」
ダミアンの言葉に思うところあったようで、青年は素直に納得した様子だった。別れ際の村長の言葉が無ければ、容易くは説き伏せることが出来なかったかもしれない。
「セルバは親切な村だったか?」
「はい。とても親切な村でした」
「そうか。あの村の住人が親切で心優しい人々だったことを、ずっと覚えていてやってくれ」
旅人の青年にそう言い残すと、ダミアンは踵を返して歩き出した。
親切な村はもう存在しないが、その優しさを覚えていてくれる人間がいることが、せめてもの救いとなってほしい。
親切な村の章 了
影追いの章へと続く




