遺跡の番人
「で、出やがった。遺跡の番――」
直ぐ目の前にいた傭兵は武器を抜く間もないまま、遺跡の番人が振り下ろした拳で脳天を潰された。
遺跡の番人の姿は、噂に違わず人間離れしている。五メートル近い筋骨隆々の肉体は、上半身裸にも関わらず何重にも鎧を着こんだかの如く分厚い。古傷だろうか。右胸の辺りには炎のような形をした特徴的な痣がある。
強靱な両腕は成人男性一人分はあろうか。頭部には髑髏を模した黒いフルフェイスの兜を被り、除く双眸は紅玉のように怪しく輝いている。
鮮血を吸った直後の肉切り包丁は、巨体の遺跡の番人が持っているからこそ適性サイズに思えるが、常人が持てば大剣に相当する大きさだ。大剣を持った大男という範疇はとっくに超えている。もはや別の生物と思えるような圧倒的な存在感だ。
「おえっ――」
アルテミシアは凄惨な光景に耐えられずに堪らず嘔吐した。
「ばばばばばば、化け物だ……」
「旦那様。どうか気を確かに」
今にも恐怖に押しつぶされそうなグレゴリオスは壁に背をついてなお、意味なく後退しようとしている。秘書のティモンは動揺しながらも主人を背に庇い、戦闘態勢を取った。
傭兵たちは武器を手にしながらも、一瞬で二人が殺されたという事実に大きく動揺。トレジャーハンターのゼノンも、これまで遭遇したことない圧倒的な脅威を前にその場を動けないでいる。
「無礼躯!」
魔剣士狩りのダミアンはその存在感に飲まれることなく、即座に強烈な刺突を遺跡の番人へと放った。遺跡の番人は反応速度も速く、肉切り包丁の腹で刺突をガード。一歩も後退することなくその場で勢いを殺し切った。
――屈強な肉体を持っていようが、首は致命傷のはずだ。
ダミアンが攻撃した瞬間、遺跡の番人の背後に回り込んだラケスが壁を蹴って跳躍。無防備な首筋目掛けて短槍で刺突した。
「何て反応――がっ!」
後ろに目がついていると錯覚させる驚異的な反応速度で遺跡の番人は首を逸らし、刺突は薄皮を掠めるに留まった。遺跡の番人の反応はそれだけでは終わらず、即座に後方に左腕で肘打ち。腹部に直撃を受けたラケスは吹き飛ばされ、背中を壁面へと打ちつけた。
「盗寧土」
今度はダミアンがすかさず強烈に上方へと切り上げる。狙いは使い手ではなく巨大な肉切り包丁を手元から弾き飛ばすことだ。どんなに強靭な肉体を持っていようとも得物を手放せば戦闘力は低下するはず。刀身は肉切り包丁へと接触し、刃を上向かせたが。
「馬鹿力め……」
遺跡の番人は不意打ちを力技だけで凌いだ。弾かれかけた肉切り包丁を決して離さず、逆に剛腕で刃を押し戻した。切り上げたダミアンの体の方が沈んでいく。
「暗野雲!」
ダミアンは低い姿勢のまま咄嗟に硬質な鞘を抜き、刀身とクロスさせて強烈に開いた。この衝撃には流石の遺跡の番人も抗いきれず、刀身ごと体を弾かれ壁面へと衝突。壁面を崩して尻餅をついた。限界を超える腕力を発揮したダミアンの両腕は筋肉が断裂していたが、乱時雨による再生能力で修復がすでに開始されていた。しかし、修復完了までのほんの数秒間でさえも今の状況では大きな隙だった。
――まだ刀が振れない。
遺跡の番人は即座に身を起こし、猛烈な勢いでダミアンへと迫り、頭部を鷲掴みにした。ダミアンは乱時雨こそ握っていったものの、腕が治りきっておらず、反撃に転ずることが出来ない。鷲掴む右手に力が込められ、ダミアンの頭部を万力のように締め上げる。
「そいつを離しやがれ!」
頭部から流血しながらも、ラケスが腰に携帯していた投擲用の小槍を二本、遺跡の番人目掛けて抜き放った。遺跡の番人は回避行動は取らず、小槍は背に命中。しかし、遺跡の番人はまるで意に返していない。本能的に最優先で排除すべきはダミアンであることを遺跡の番人は理解していた。多少の負傷を伴おうとも、腕に込める力を絶対に緩めようとはしない。
――流石に、不味い……な……。
グシャリと、頭が握り潰される鈍い音が鳴った。遺跡の番人の右手からおびただしい量の血液が溢れ出し、ダミアンの体は糸が切れた人形のように脱力する。
勝利の雄たけびを上げた遺跡の番人はダミアンの体を壁面へと叩き付けた。衝撃で壁が崩れ、ダミアンの体は壁の向こうへと消えた。
「いやあああああああ!」
「嘘だろおい……」
疑い用のないダミアンの死。アルテミシアの絶叫が木霊し、ラケスはダミアンを救えなかった後悔に拳を床に叩きつけた。
「あ、あんな化け物に勝てるわけがねえ!」
「に、逃げろー!」
傭兵達は戦意を喪失し、我先にと元来た迷宮へと逃げ帰っていく。隊の中で最も強いのがダミアンであることは誰もが抱く共通認識だ。彼が敗北した今、それは全体の敗北を意味していた。
「お、お前らどこへ行く! わ、私を守らんか!」
誰もが生存に必死で、もはや雇用関係など存在しない。グレゴリオスの周りに護衛の傭兵は一人もいなくなり、残ったのは秘書のティモン、トレジャーハンターのゼノン、荷物持ちのルカだけだ。
しかし、喚き散らしながら逃走することは、逆に遺跡の番人の注意を引いてしまったようだ。遺跡の番人が逃げ出す傭兵達の最後尾へと斬りかかり、阿鼻叫喚が木霊する。
「旦那様、このままでは危険です。こちらへ」
「俺も秘書さんに賛成だ」
「ぼ、僕も行きます」
混乱に乗じてティモンとゼノンが広間の奥の道へとグレゴリオスを連れ込み、荷物持ちのルカも慌てて後に続いた。この場に留まったり、迷宮を引き返しても、遺跡の番人に殺されるのがオチ。何が待ち受けているか分からなくとも、未開の道を進む以外に選択肢はない。
「俺達も逃げるぞアルテミシアちゃん。ここにいたら殺される」
「……で、でも。迷宮の方へ逃げ込んだ人達が」
「俺達には救えない。諦めろ」
「そんな……」
「自分を責める必要はない。傭兵として未熟な俺を責めてくれていい」
生きるためにはそうする他ない。ラケスは沈痛な面持ちでアルテミシアの手を取った。
「……胸の痣。やはりあの怪物は」
「おっさん、死にたくなければ俺についてこい」
「は、はい!」
放心状態で呟いていたロマノスは、ラケスに肩を引かれて我に返った。邪念を振り払うように頭を振り、ラケスとアルテミシアの後へ続く。
――馬鹿野郎。魔剣士狩りが狩られてどうするんだよ……。
広間を飛び出す直前、ラケスは一瞬ダミアンが倒れている方向を見やる。出会って間もない間柄だが、喪失感を伴う程度にはダミアンは好ましい相手だった。




