画材屋のレベッカ
「荷物になるから、買い物は私の用事を済ませてからでもよいだろうか?」
「構いませんよ。お天気も良いですし、私も歩きたい気分です」
ダミアンの存在が心強く、グレーテルは普段よりも心穏やかに過ごすことが出来ていた。買い物が後回しになるというのは、それだけダミアンと一緒にいられるということ。体調も良好だし断る理由は何もない。
「先ずはどちらに?」
「レベッカという女性の営む画材屋へ行く。不躾な言い方だが、彼女と君の関係は良好か?」
「良好ですよ。レベッカさんは誰に対しても分け隔てなく接してくださる方で、顔を合わせれば楽しく世間話を交わしたりもします」
「そうか、ならば良かった」
護衛も兼ねているとはいえ、関係の悪い人間がいる場に連れて行くことには引け目を感じてしまう。関係が良好だというのなら安心だ。
思えば昨日、宿でイザークがレベッカの名前を出した時も敵意や不快感はなく、純粋に心配している様子だった。彼もレベッカに対しては好感を抱いているのだろう。
「ここがレベッカさんのお店ですよ」
グレーテルの案内もあり、裏通りにあるレベッカの画材屋まで迷うことなく到着した。
「いらっしゃいませ」
奥で商品の整理を行っていたレベッカが顔を覗かせ、笑顔で来客を迎えた。
レベッカはショートヘアーの似合う長身の美女で、身に着けたエプロンにはところどころに絵具が飛んでいる。
レベッカは画材屋を経営する傍ら画家として活動している。宿場町であるヴァールは行商人や画商の往来も盛んで、レベッカはそこへ積極的に営業をかける行動力の持ち主だ。そういった職業上の理由もあり、彼女は活動拠点であるこのヴァールの町を離れずにいる。
「こんにちは、レベッカさん」
「あら、グレーテルちゃん」
その言葉に棘はなく、レベッカはグレーテルの来店を純粋に喜んでいる。グレーテルが言っていたように彼女は理解者のようだ。
「そちらの方は?」
「こちらはダミアンさん。旅の剣士さんです」
「あら、あなたが。かっこいい剣士さんが町にやってきたとは聞いていたけど、噂以上に良い男ね」
「そんなことを言われたのは初めてだな」
聞き込みでは警戒感ばかり受けてきたダミアンにとってレベッカの反応は何とも新鮮だった。
実はダミアンがこれまでに警戒感と受け取った反応の中には、美男子のダミアンの前で緊張してしまい、口数が減ってしまった女性も含まれている。物怖じしないレベッカが今回たまたま言葉にしただけで、ダミアンのルックスが町の女性達の注目を浴びていることは紛れもない事実である。
「ねえねえ、私の絵のモデルにならない。もちろんヌードで」
「ヌード!」
ダミアンよりも先に、隣にいたグレーテルが赤面して声を上ずらせていた。
「丁重にお断りしよう。絵でも写真でも、私は自身の姿を残すことを好まぬのでな」
芸術活動には理解を示すが自身がモデルとなれば話は別だ。時の軛から外れた不老の身。どんな時代、どんな形であれ、自身の姿を残すことにダミアンは抵抗がある。
「あら残念。こんなご時世じゃモデルを捜すのも一苦労だし、いっそのこと次の作品は自画像にしようかしら」
「それがいいですよ。レベッカさんはとても美人ですし」
「お世辞が上手いわね」
「お世辞なんかじゃありませんよ」
レベッカとグレーテルが楽しそうにやり取りを交わしてると。
「レベッカさん、ご依頼の件で参りました」
「ありがとうフォルクハルトさん」
仕事道具一式を抱えた家具職人のフォルクハルトが画材屋を訪れた。フォルクハルトの店では家具の修理や要望に応じたカスタマイズも行っており、閑散期には出張で修理も行ってくれる。
「こんにちは、フォルクハルトさん」
「グレーテルさん。お元気そうで何よりだ」
「フォルクハルトさんも。ハンナさんのことがあって心配してたんです」
「……喪失感は計り知れないけど、生きるためにも悲しんでばかりもいられないからね。仕事に集中している方が気も紛れる」
フォルクハルトとハンナもグレーテルたちを支えてくれた恩人で、男手のイザークの不在がちの中、フォルクハルトは時々壊れた家具の修理を、ハンナは同年代の友人として積極的にグレーテルの話し相手になってくれていた。
ハンナの事件以降、傷心のフォルクハルトは家を訪れることもなくなり、二人が顔を合わせるのは久しぶりだった。
「またお会いしましたね。その後、捜査の進捗は如何ですか?」
「順調だ。少なくとも犯人に次はない」
「期待してもいいのですね?」
「無論だ」
短いやり取りだったが、フォルクハルトの表情は満足気だ。犯人に次はないとまで言い切るダミアンの自信は、町の住人からしたら心強い限りだろう。
「仕事の邪魔をしては申し訳ない。私たちはこれで失礼するよ」
※※※
レベッカの画材屋を後にしたダミアンは次に、花売りのマルテに会おうとしたが、彼女の知人に確認したところ、マルテは昨日から新品種の種を求めて都市部の市場に買い付けに行っており、数日間はヴァールの町に戻らないとのことだった。
空振りではあったが、幸いなことに町を離れている間は彼女が命を狙われる可能性は低くなった。犯人の狩場は間違いなくこのヴァールの町だ。後をつけて出先で殺害する強い殺意を有してるのなら、彼女はもっと早い段階で殺されていたはずだ。
「あの荷車は?」
「マルテさんがお花を売り歩く際に使っているものですよ」
花屋の軒先に止まっていた一台の荷車がダミアンの目に止まった。かなり年季が入ってるようで、修理を重ねながら使い続けているようだ。修理の腕前はなかなかのもので、使いやすいように改造も施されている様子だ。
「付き合わせてすまなかったな。そろそろ食材の買い出しに向かおうか」
「はい」
用事といっても画材屋と花屋の二軒に寄っただけだが、病弱なグレーテルを伴っているので流石のダミアンも気を遣う。幸い体調は良好なようで足取りは軽いが、なるべく負担にならないようにダミアンは歩く速度を落とした。
周囲からは奇異の目も多く注がれているが、ダミアンはそんなもの気にしないし、ダミアンと一緒に歩くことで、グレーテルも普段は負担に感じる視線も意識せずに済んでいた。
「ダミアンさんは何が食べたいですか? ダミアンさんにはお世話になっていますから、なんでもお作りしますよ」
「なら、君が一番自信のあるメニューを所望しよう」
「分かりました。でしたら特製のシチューをご馳走させて頂きます」
やる気に満ち溢れたグレーテルが胸の前で両手の拳を握った。偏見の目を向けられ、いつも俯いていた女性が晴れやかな笑顔を見せている。遠目に様子を伺っていた町の住民達はあからさまに驚いていた。
「……血に塗れた魔女が人間みたいな表情をしやがって」
遠目に様子を伺っていた住民の中には、自警団の代表を務めるロルフの姿もあった。最愛の娘を喪ったショックで妄執に囚われつつある男の瞳には、淀んだ狂気が浮かんでいた。




