第一の事件
翌朝。ダミアンは連続猟奇殺人の最初の被害者、ハンナの遺体が発見された河川敷を訪れていた。今日は一日がかりで全ての遺体発見現場を回るつもりだ。
直近のイルメラの事件を除いて、すでに当時の痕跡は残されていないだろうが、魔剣士の狂気を探るにあたって現場を見ておくことには意義がある。
今となっては痕跡は消えているが、事件当時は辺り一面血の海だったそうで、殺害現場もこの河川敷だと考えられている。町医者の検死によると、ハンナは生きたまま顔を切り刻まれており、それは彼女が息絶えた後も執拗に続いた。
凄惨な顔面とは対照的には他の部位には目立った傷は存在せず、犯人は一貫して顔を傷つけることに執心している。死んでしまったのは結果であって、犯人の目的は顔をズタズタに切り裂くという行為そのものだった可能性がある。
「先客がいるなんて驚いたな」
河川敷で思案していたダミアンに後ろから男性が声をかけた。
振り返った先では、くせ毛気味の赤毛と色白な肌が印象的な長身の男性が、花束を手にしていた。喪服なのだろう。服装は黒一色で統一されている。
「もしや彼女の?」
「ハンナの兄のフォルクハルトです。今日は妹の月命日でしてね」
フォルクハルトはダミアンの横を通り抜けると、妹の遺体が発見された場所に花束を供えた。
「私にも祈らせてくれ」
死者へは礼節を尽くすものだ。調査する立場でこれから事件へ関わっていく者として、ダミアンはフォルクハルトと肩を並べて黙祷を捧げた。
「妹のために祈ってくださりありがとうございます。あなたのことは町中で噂になっていますよ。旅の剣士が事件の調査を行っているようだとね」
「ダミアンだ。噂というのは必ずしも好意的なものではなさそうだな」
「失礼ながらそうですね。自警団を中心に余所者の介入を快く思わぬ声は多い」
「あなたの意見は?」
フォルクハルトは昨日のロルフとは異なり、感情的になったりダミアンに敵対心を見せる様子はない。落ち着いて話が聞けそうな印象だ。
「僕の意見は町長さん寄りですよ。捜査に進展が見られない現状、僕は外部からやってきたあなたが状況を変えてくれることに期待しています。自分の手で事件を解決したいというロルフさんの気持ちも分かりますが、重要なのは誰が解決するかではなく、悲劇を繰り返さないことです。そうでないと妹も浮かばれません……」
言葉を詰まらせ、フォルクハルトは表情を隠すように上向いた。最愛の妹の命を理不尽かつ残酷に奪われ、その犯人は未だ特定に至らない。怒りの矛先を見つけられずに、フォルクハルトの時間は事件を境に止まってしまっているのかもしれない。
「……兄である私が言うのは親バカかもしれませんが、ハンナは聡明で、優しくて、美人で。欠点といえば欲が無かったことぐらいでしょうか。ハンナは仕事の覚えが早くて人付き合いも上手だ。大きな町に出ても十分に活躍できたことでしょう。だけどあの子は地元を離れることなく、代々続いて来た家業を僕と二人で守っていきたいと、店を手伝ってくれていました」
事件を捜査するにあたって、ダミアンは事前に町長からフォルクハルトとハンナの経歴については聞かされていた。兄妹は家具職人の家系で代々、家具の製造、修理、販売などを手がけてきた。先代である父親が五年前に他界して以降は二人で家具店を営んでいる。
体の弱かった父親は子供たちの未来を案じ、生きていくための術としてフォルクハルトに幼少期から職人として技術を叩き込んできたそうだ。その甲斐あってフォルクハルトは若くしてその技術を評価され、立派な家具職人として活躍している。
フォルクハルトの代となってからは、旅客向けに製造を始めた工芸品や看板娘のハンナの存在が評判を呼び、地元民だけではなく遠方からの来客も増加。ハンナの死は順風満帆の中で唐突に訪れた悲劇であった。
「職人としての技術には自信を持っていますが、僕は内向的で接客が少し苦手でね。話し上手で愛嬌があるハンナには助けられてきました。結局、僕はあの子の優しさに甘えてしまっていたのでしょうね。だけど、今となっては後悔していますよ。あの子の将来を思って大きな町にでも出してやっていれば、このような悲劇は起こらなかったでしょう」
「酷なことを言うようだが、もしもを考えることに意味などない。人は過去には戻れないのだから」
「……正論だが、厳しい言葉だ」
若い外見には不相応の説得力がダミアンの発言には伴っていた。果て亡き執心に身を焦がし、時の軛からも外れてしまったダミアンが目の当たりにしてきた来た、もしもの数は計り知れない。
「だが、過去には戻れなくとも未来くらいは変えてみせよう。私がこの町にやってきた以上、魔剣士の好きにはさせない」
ハンチング帽を被り直すと、ダミアンは踵を返して歩き始めた。
「どちらへ?」
「次の現場検証だ。私の時間は無限でも、町の状況は予断を許さない」




