魔女の噂
「事情は分かった。事件が解決する可能性があるのなら大変ありがたい。町長として全面的にダミアン殿へご協力しよう」
町長の屋敷を訪れたダミアンは、農夫とともに事情を説明した。町長も現状に強い危機感を抱いているようで、ダミアンの介入に好意的であった。藁にも縋る思いなのだろう。
町長は一連の事件でそうとう心労をため込んでいる様子で、老齢であることを差し引いても随分とやつれた印象を受ける。
「早速だが、一連の事件についての詳細を伺っても?」
「……うむ。事の始まりは二ヵ月前。犠牲となったのは兄妹で家具店を営んでいたハンナという娘だ。美人で気立てが良く、働き者で愛嬌もあって、町の人気者だったよ。
そんなハンナがある朝、河川敷で見るも無残な姿で発見された。遺体は人相が分からなくなるまで顔をズタズタに切り裂かれていた。これが人間のやることかと、強い憤りと恐怖を覚えたものだ。
最初は誰もそれがハンナだとは分からなかった。実の兄であるフォルクハルトでさえもだ。前日から行方不明となっていたこと、衣服や身体的特徴から最終的には遺体がハンナであると断定された。
全員が顔見知りの小さな町だ。住民に犯人がいるとは考えにくいし、考えたくもなかった。宿場町という土地柄、真っ先に疑ったのは町に滞在している旅人だ。偶然町に滞在していた異常者が、評判の美人だったハンナを襲った可能性を探ったが、残念ながら犯人の特定には至らなかった。行方不明から遺体発見までに二日ある。すでに町を発った旅人の中に犯人がいれば、もはや追跡のしようはない」
最初から外部の人間の犯行と決めつけるのは早計だが、正式な捜査機関ではない住民たちの捜査活動であればそれも致し方ない。隣人を疑いたくはないだろうし、偶然居合わせた外部の人間の犯行と考えた方が気持ちも楽だ。
「亡くなったハンナには申し訳ないが、生きずりの犯行と判断したことで町は平穏を取り戻しつつあった。ハンナの死は悲劇だったが、犯人がすでに町にいないのなら安心だ。全ては不運だったと、そう思いたかったが……」
「間を置かずして第二の事件が起きた?」
「……うむ」
事件はハンナの一件だけに留まらず、この二カ月間で五件も発生している。偶然町に滞在していた旅人を疑うことには無理が生じる。
「僅か一週間後、今度は工務店の一人娘のサンドラが、農園近くの林道で遺体となって発見された。ハンナの時と同様に人相が分からなくなるまで顔をズタズタに切り裂かれていたよ。一人娘を喪ったロルフの慟哭は今でも耳から離れない。サンドラもハンナに負けず劣らずの美人だった。遺体の状況と合わせて同一犯の犯行を疑うのは当然だが……」
「町に滞在している旅人の中に、ハンナの時と共通する人物はいなかった」
「宿を利用していない可能性も考え、自警団が空き家の捜索や山狩りを行ったが、不審な人間が潜伏している形跡は見当たらなかった。考えたくはなかったが、町の住民の中に犯人がいる可能性を疑わざる負えない……しかし、二カ月がたった今でも事件解決には至らず、被害者は増えるばかり。住民の間にも疑心が広がり、ヴァールの町は混迷を深めている」
「混迷か。女性の姿をあまり見かけないのも事件の影響か」
「犯人の正体は不明だが、被害者がみな美しい娘であることは共通しておるからな。娘を遠くの親類に預けたり、都市部の寮付きの職場に出稼ぎに行かせたり。そういった宛てのない者はせめて、娘に外出を控えずっと家の中にいるように言い聞かせたり。
いずれにせよ、町で若い娘の姿を目にする機会はめっきりと減った。その影響か犯行のペースは落ちてきているが、犯人を突きとめぬ限り根本的な問題は解決しない。
家庭の事情で町を離れらない娘もおるし、今回遺体で見つかったイルメラのように、身寄りがなく一人で生きていかねばならぬ娘は、そう簡単に新しい土地で仕事を見つけたり、ましてや家に閉じこもるというわけにもいかぬ」
「そうだな。私の経験則ではこの手の凶行には際限がない。いずれは閉じこもった娘さえも標的にし、家に押し入る可能性だって考えられる」
これが仮に魔剣士の犯行とするならば、この町の娘を全て狩り尽すまで犯行は終わらないかもしれない。犯行に終止符を打つには魔剣士を殺す他ない。
「今日発見された女性も含め、残りの事件についても可能な範囲で話を聞かせてくれ」
内容が前後してしまったが、事件の概要についてはまだ二件目までしか聞けていない。ダミアンが町長に続きを促したが、突然の来訪者が二人のやり取りを遮った。
「失礼、町長に話がある」
強面なオールバックの男性を先頭に、男達が突然町長の屋敷に押し入って来た。屋敷内は物々しい雰囲気に包まれ、同席していた二人の農夫は肩身が狭そうに部屋の隅へと身を寄せた。
「ロルフ、突然どうしたね?」
「町長が余所者に事件の捜査を依頼するつもりだという話を小耳に挟んだものでして」
「うむ。今ダミアン殿に事件の概要を説明しおったところだ」
「こんな得体のしれない男に協力を求めるなど本気ですか? 犯人の関係者だったらどうするのですか!」
「善意で協力を申し出てくれたダミアン殿に失礼ではないかロルフ? ダミアン殿は今日この町に到着したばかりだ。これまで一度でも町で彼を見かけたことがあるかね?」
「だとしても、これはヴァールの町で起こった我々の事件です。突然現れた男を頼りにするなど、正気の沙汰とは思えない」
「お前の言い分も分かる。だがな、我々だけではもう限界だ。新たな可能性に賭けてみたいと思う儂の気持ちも汲んでくれないか?」
「限界だって? 解決はもう目の前でしょう。どうせあの女の仕業に決まっている」
「ロルフ! お前たちはまだそのようなことを――ゲホゲホ」
語気を強めた瞬間、町長がせき込み、苦しみだした。
「町長、興奮してはいけませんって」
農夫二人が慌てて村長の背中を擦ってやった。高齢と心労で、町長の体調は芳しくない。
「……失礼、少し熱くなり過ぎました」
弱った町長の姿を見て少し頭が冷えたのだろう。高圧的だったロルフの態度がやや落ち着いた。
「とにかく、部外者に頼ることに我々は反対です。そのことはお忘れなきよう」
去り際にロルフはダミアンを一瞥した。あれだけ好き勝手言われておきながら表情一つ変えないダミアンに対して、只ならぬ雰囲気を感じているようだ。
「事件解決に協力したいという心意気は買おう。だが部外者の手など借りない。これは我々の事件だ。早々にこの町を立ち去れ」
「こちらにも事情というものがある。邪魔をする気はないが、私は私で勝手にやらせてもらう」
「気に入らんガキだ」
吐き捨てるようにしてロルフたちは町長の屋敷を後にした。
「ロルフがとんだご無礼を。本当に申し訳ない」
「彼らは?」
「先程お話しした、勇士で結成された自警団だ。ロルフは自警団の団長を務めておってな。自らの手で事件を解決することに執心している」
「ロルフという名、二人目の犠牲者の父親か?」
「……そうだ。ロルフは工務店を経営する傍ら、事件以前から長年善意で自警団の団長を務めてきた。自警団の団長としてなによりも父親として、娘を守ってやれなかったことに慚愧の念を感じておるのだ。
ロルフ以外にも自警団には子供や兄弟、恋人を喪った者が所属している。大切な人の命を理不尽に奪われた彼らの、己の手で事件を解決したいという気持ちも理解出来る。暴言は全て儂が詫びよう。だからどうか彼らを悪く思わないでやってください」
「私は別に気にしていないよ。それよりもあのロルフという男、事件の解決は目の前だと言っていたが、あれはどういう意味だ?」
町長が渋面を浮かべ、後ろの農夫二人も気まずそうにお互いの顔を見合わせた。
「証拠なんてない危険な推理だが、捜査に進捗が見られない現状、ロルフたちはその考えに固執してしまっている。何か良くないことが起きるのではと、不安を覚えずにはいられない」
「推理とは?」
「町はずれに住むグレーテルという娘がおってな。彼女が事件の犯人ではないかといロルフは疑っている。
町長として己の力不足を恥じるばかりだが、彼女を取り巻く状況は以前から過酷だった。グレーテルは昨年、弟のイザークと共にこの町に移住してきた。新参者であることに加え、グレーテルは体が弱くて外を出歩く機会が極端に少ない。それをいいことに彼女について根も葉もない噂が流れるようになったのだ。
町長として儂も沈静化に努め、騒ぎは一応は治まったが、一度焼き付いた印象というのはそう簡単には変わらぬ。結果、姉弟は町から浮いてしまった。それが今でも尾を引き、事件の発覚と共に再燃しているのだ。
もちろん本人はとても良い子だ。交流のある者で彼女を悪く言う者はおらぬ。だが、人間とは主観に左右される生き物だ。いくら我々が彼女の関与を否定しようとも、疑心に満ち、彼女を知ろうとしない者たちの心を動かすには至らない。残念な話だが、浮いた存在を悪者とすることで、思考を放棄している者もいるのだろう」
「理不尽な話だ。しかし浮いていることを差し引いても、グレーテルという娘に嫌疑がかかるのは不自然に思えるが。病弱な娘が五件の連続殺人の犯人だというのは現実味に欠ける」
「儂も同意見だが、信じる者たちには信じる者なりの根拠があるようだ。事件の始まりと前後して、町でグレーテルの姿を目にする機会が増え、以前と比べて顔色も良い。まるで事件が起きる度に体調が回復しているようだとな。
グレーテルの美貌もまた理不尽な誤解を生んでいる。一部には嫉妬も含まれているのだろう。あれだけの美人が何故まだ無事でいるのかと……ある者はこう言ったよ。グレーテルの正体は美しい娘から生気を奪い取る魔女だとね。まったく馬鹿げている」
「魔女か」
ダミアンは噂になど左右されない。魔剣士狩りにとって魔女というワードが関心事なのは事実だが、思い込みは危険だ。相手が本当に魔剣士かどうかの判断は己で下す他ない。いずれにせよ、グレーテルという女性には一度会ってみる必要がありそうだ。




