妖刀久遠蔓
「森の奥にこのような場所があったとは」
「最終試験の際にだけ使用する特別な場所だ。いざという時に埃が溜まっていては不格好だからね。いつでも使えるように掃除だけは欠かしていない」
「なるほど、先生は時々行き先も告げずに出かけられることがありましたが、ここの手入れをしていたのですね」
リヒトはレンジョウの案内を受けて森の奥に建てられた道場へとやってきていた。道場は周辺を高い木々に覆われており内部が日中でも薄暗い。随所に散りばめられた鬼を模した意匠も相まって、どこか空気が張りつめている。
「真剣は持ってきたね」
「はい。故郷から共に旅をしてきた自慢の愛刀です」
リヒトは真っ赤な鞘が特徴的な打刀を腰に携帯していた。故郷を旅立つ際、村一番の刀鍛冶であった叔父から餞別として渡されたものだ。無銘だがその切れ味は抜群で、リヒトにとってはどんな名刀にも勝る心強い相棒だ。
「刀匠の思いが乗った良い刀だ。私も心して臨まなくてはな」
レンジョウは予め道場の中心に置いていた打刀を手に取った。柄は白く、深緑色の鞘には植物のツルのような意匠が彫り込まれている。
――なんだ、この奇妙な感覚は……。
道場に入ってからというもの、リヒトはずっと、背筋を虫が這っているかのような怖気を覚えていた。気のせいかもしれないが、怖気の源がレンジョウの手にする刀に思えてならない。
「紹介しよう。私の愛刀、久遠蔓だ」
レンジョウが鞘から刀身を抜いた瞬間、リヒトの不快感が最高潮に達した。怖気を通り越し、嘔吐感を催すほどの歪な空気が道場内へと満ちていく。
「これより最終試験を開始する。内容は至って単純。どちらかの命尽きるまで殺し合う。ただそれだけだ」
「……今、何と仰いましたか?」
普段から冗談など言わない師が、こんな大事な場面でふざけるとは思えない。何かの聞き間違えかと、リヒトは恐る恐る聞き返した。
「聡明な君らしくもない。もう一度だけ言う。今から私と君とで殺し合いを行う」
「訳が分かりません! どうして僕が先生と殺し合いをしなければならないのですか!」
「師である私がそうしたいと言っている。それ以上の理由が必要かね?」
視界からレンジョウの姿が一瞬にして消えた。隠しきれぬ殺意を背後に感じ、リヒトは防衛本能だけで咄嗟に刀を振り抜いた。刀身と刀身が甲高い音を立てて弾き合い、両者は一度後退。距離を取って向かい合った。
「……先生?」
目の前にいる男が本当に師であるレンジョウなのか、リヒトはもはや分からなくなってきた。今のレンジョウの一撃は本気だ。一瞬でも反応が遅れていたら確実に死んでいた。
「良い反応だ。流石は私の見込んだ弟子だ。可哀想に、磨き上げればいずれは私を超える逸材だっただろうにな」
レンジョウは俯きながら声を震わせた。弟子を手にかけることに罪悪感を抱いているのではない。笑いを堪えるのに必死なだけだ。
「先生、あなたはいったい何がしたいのですか!」
堪らずリヒトは声を張り上げた。レンジョウの後継を目指して今日まで必死に努力をしてきた。実力不足で破門されたならそれは仕方のないことだが、命まで奪われる謂われはない。自分はどうして師であるレンジョウに命を狙われているのか、その理由が分からない。
「剣術の才に溢れた若者が、私は心底嫌いでね」
「何だ、この光は……」
レンジョウが邪悪な内面を吐露すると同時に、久遠蔓の刀身が怪しく発光。次の瞬間、リヒトの体は金縛りにあいその場で硬直した。愛刀は右手で握ったままだが、どれだけ力を込めようとも腕がビクとも動かない。呼吸と発声以外のあらゆる動作がリヒトから失われてしまった。
「……体が動かない。何をしたんです?」
「私の久遠蔓の能力さ。君は体の自由を奪われ、これから一切の抵抗も出来ぬまま体を切り刻まれるのだ」
「卑怯な! 相手の自由を奪って一方的に嬲り殺すなど、それが剣士のやることですか!」
「何とでも言いたまえ。若き才能が無抵抗のまま散っていく様、何度見ても飽きぬものよ」
「……何度も、だと?」
レンジョウの狂気を目の当たりにした時から気が付いていた。一連のレンジョウの行動は明らかに手慣れている。リヒトが最初の標的だとはとても思えない。
ずっと引っ掛かってはいたのだ。最終試験に落ち、破門されてしまったとはいえ、あんなに仲の良かった兄弟子がどうして自分に何も告げずに去ってしまったのだろうかと。ひょっとしたら、それ以前の門下生たちも同様に忽然と消してしまったのではないか?
「ミディは情けないことに一撃で死んでしまった。君はそうならないことを願うよ!」
「この外道が!」
凶刃がリヒト目掛けて振り被る。体の自由を奪われたリヒトは回避行動を取ることも防御行動を取ることも出来ない。目の前の狂人目掛けて激昂することが以外、今のリヒトに出来ることは何もなかった。
「剣聖の名も墜ちたものだ」
「むっ?」
道場の扉を突き破り、勢いそのままにダミアンが刺突で襲撃した。レンジョウは咄嗟に後退してその一撃を回避。ダミアンはレンジョウとリヒトの間に割って入った。
「ダ、ダミアンさん……」
「邪魔だ。退いていろ」
「うわっ!」
ダミアンは体の動かぬリヒトを容赦なく、強引に道場の入り口目掛けて突き飛ばした。丁度そこに、必死にダミアンの後を追って来たステラが到着した。
「いったい何が?」
「結局付いてきてしまったか、まあいい。今のリヒトは体の自由が利かない。お前が介抱してやれ」
「は、はい!」
状況に理解は追いつかずとも、極限まで張りつめた緊張感だけはひしひしと感じていたので、ステラは素直に指示に従った。背後からリヒトの脇を抱えるようにして体を引きずり、ダミアンの邪魔にならないように距離を取っていく。




