秘密の道場
「……くそっ、気に入らねえ」
感情的に道場を飛び出したベルデは、屋敷の裏手にある森へとやって来ていた。
屋敷内に留まってリヒトやダミアンと顔を合わせるのは気まずいし、ベルデは気性の粗さから町での評判も悪く、町へ下りても肩身が狭い。ほとぼりが冷めるまで気兼ねなく時間を潰せる場所はこの森くらいしかなかった。
この森もレンジョウが所有しており、一部は体力作りのための走り込みや、実戦を想定した訓練のために整備されている。弟子たちも頻繁に利用している場所だ。
「……レンジョウ先生。町長との会合が終わったのか?」
人の気配を感じて目を凝らすと、木々の奥にレンジョウらしき後ろ姿が見えた。レンジョウが会合で町へ下りてからまだ二、三十分しか経っていない。ずいぶんと帰りが早いし、どうして屋敷ではなく森にいるのか疑問だ。
「あんな場所に何の用だ?」
レンジョウは舗装された道を外れ、生い茂る草木を掻き分け森の奥へと進んでいく。弟子のベルデたちも普段は立ち入らないような場所だ。師匠に対して無礼なのは承知で、ベルデは好奇心から十分な距離を取って後をつけることにした。
――こんな場所に建物が? 作りは離れの道場に似ているが。
道なき道をしばらく進むと、人為的に切り開かれた一角が見えてきた。その中心には屋敷の道場によく似た建物が存在していた。偶然道にでも迷わなければこの場所はまず見つからない。
――レンジョウ先生はどこに行った?
ほんの一瞬、建物の外観に気を取られた間にレンジョウの姿が忽然と消えた。道場に入ったのだろうかと思い、ベルデは身を潜めていた茂みを出て、辺りを見回した。
「ベルデ、ここで何をしている?」
背後から肩を叩かれベルデはビクリと体を震わせた。いつの間に背後を取られていたのか、まるで気がつかなかった。黙って尾行してきたことが後ろめたく、ベルデは背を向けたまま返答した。
「す、すみません先生。森を散歩していたら偶然先生の姿を見かけたもので、つい後をつけてしまいました」
「君たちは今はダミアン君の指導を受けている時間ではなかったかな?」
「あの剣士とは折り合いが悪く、つい感情的に道場を飛び出してしまいました」
「愚かな。貴重な体験を投げ出すばかりか、恥じも知らずに私の後をつけるとは」
「大変申し訳ありませんでした!」
罪悪感に耐え切れず、ベルデは身を翻してその場で土下座をした。人当りが悪く、周囲とは衝突を繰り返してばかりのベルデだが、剣聖レンジョウを慕う気持ちは本物だ。幼い頃から知る剣聖の逸話はまさに憧れの象徴。そんな相手に師事出来ることは、なにものにも代えがたい喜びだ。
「来てしまったものは仕方がないか。面を上げなさい」
「……本当に申し訳ありませんでした」
呆れ顔のレンジョウに促され、ベルデは静かに顔を上げた。
「先生、ここはいったい何なのですか? このような場所があることを私は知りませんでした」
「三年前に建てて以来、特別な時にだけ使用している道場だよ。最後に使ったのは四カ月前になるか」
「四カ月前? もしやここは最終試験の」
「そうだ」
四カ月前といえば当時一番弟子だったミディという剣士が門下を去った時期と一致する。普段使用している道場には手合わせをした形跡がなかったのでどこで行ったのか疑問だったのだが、専門の場所を用意していたというのなら納得がいく。
「明日、リヒトの器を見極めるために最終試験を行う。町長との会合というのは、密かに抜け出しその準備をするための方便だよ」
相成れない兄弟子の名前を聞いた瞬間、ベルデの負の感情が湧き上がった。
「この際ですから無礼を承知で物申します。どうしてリヒトばかりが優遇されるのですか? あんな覇気のない男よりも、私の方がよっぽどレンジョウ先生の後継に相応しいと自負しております」
「君を入門させたのは失敗だったかもしれないな。剣術の筋は良かった。その直情的な性格も、リヒトと競合することで成長へ繋がると期待していたが、育つのは下らぬ自尊心ばかりか」
「先生?」
「ベルデ、君は今日限りで破門だよ」
「な、何を言って――」
瞬間、ベルデの背筋に怖気が走った。レンジョウが真剣を握り、今にも抜刀しようと構えていたのだ。
「先生、何の真似ですか?」
「君の性格を考えれば、この場所を引き合いに出しリヒトに絡むと容易に想像がつく。魔剣士狩りを名乗るあの青年が滞在している今、それは私の望むところではない」
「待っ――」
弟子目掛けて、レンジョウは躊躇なく抜刀した。




