剣聖の町
「この町にはかの高名な剣士、レンジョウ氏が在住していると聞いてきたのだが」
「森の方に大きなお屋敷が見えるだろう。あそこがレンジョウ様の住居兼道場だよ」
三つ揃えのツイードスーツにハンチング帽、腰には刀を携えた洋装の剣客ダミアンは、大陸北西部の田舎町オクトスを訪れていた。
旅人がレンジョウを訪ねてオクトスの町を訪れることは珍しくはない。ダミアンに声をかけられた露天商の男性も、慣れた様子で町外れの森の方角を指差した。
「見たところお兄さんも剣士のようだが、ひょっとしてレンジョウ様へ弟子入り志願かい?」
「剣技については間に合っているよ。ただ、一人の剣士としてレンジョウ氏には一目会いたいと思ってな」
「なるほど、ファンってわけだな。剣聖レンジョウと言えばまさしく生きる伝説。憧れない剣士はいないわな」
剣聖レンジョウ。現代で最も有名な剣士の一人であり、その剣技は百年に一度の才気と評された。数十年にも及ぶ流浪の旅の中で各地に多くの武勇を残し、救われた人々はその剣技と高潔さから彼を剣聖と称えた。それがそのままレンジョウの通り名となっている。
老齢を迎えたことで近年は一線を退き、数年前よりオクトスの町へと定住。
後継者を育成するために門戸を開き、後進の育成に励んでいるという。
「こんにちはおじさん。注文していた茶葉なんですが届いていますか?」
露天を黒髪を結んだ青年が訪れた。話の途中ではあったが、商売の邪魔をしては申し訳ないので、ダミアンは横にずれて露天商の正面を譲り渡した。
「今朝方届いたよ。ちょいと待ちな」
そう言って露天商は奥から注文の品の入った紙袋を取り出した。
「運がいいな兄ちゃん。レンジョウ様に会いたいのなら彼に案内してもらうといい」
話題を振られ、二人のやり取りを静観していたダミアンの視線が黒髪の青年へと移る。
「リヒトはレンジョウ様の門下生で今や一番弟子だ。お屋敷に住み込みだからこのまま一緒に連れて行ってもらえばいい」
「おじさん、こちらの方は?」
「旅の剣士さんだよ。是非ともレンジョウ様にお会いしたいとさ」
「出会ったばかりで申し訳ないが、案内を頼めるだろうか?」
「そういうことでしたら喜んでご案内させて頂きます。レンジョウ様は元々世界中を旅していたお方ですから、旅人との交流に寛容です。よろしければ歴遊のお話しでも聞かせてあげてください。きっと喜びます」
黒髪の青年リヒトは人懐っこい笑みを浮かべてダミアンの手を取った。社交的な性格も手伝い、レンジョウを訪ねてくる旅人との接し方にも慣れているのだろう。
「旅の剣士、ダミアンだ」
「リヒトと申します。よろしくお願いします、ダミアンさん」
※※※
「露天商は一番弟子だと語っていたが、失礼ながらずいぶんと若く見える」
屋敷までの道すがら、ダミアンは先導するリヒトに訪ねた。
「その認識は間違っていませんよ。僕は十六歳ですし、入門してまだ二年にも満たぬ身ですから。現在の門下生の中では僕が一番の古参なので、一応は一番弟子の扱いを受けてはいますが」
「古参? 兄弟子は一人もいないのか?」
レンジョウが後進育成のために門扉を開いて少なくとも数年は経過している。レンジョウの知名度を考えれば、当然これまでにも多くの門下生が所属していたはずだ。独立や落伍などで道場を去った者もいるだろうが、だからといって入門して二年の若手が最古参となるのには違和感がある。
「レンジョウ様は普段は温厚な方ですか、こと剣術に関しては非常に厳格です。期間には個人差がありますが、門下生が十分な実力を身に着けたと判断すれば、その時はレンジョウ様自らが器を見極めるための最終試験を行います。そこでレンジョウ様に認められなかった門下生は、いかなる例外もなく破門されてしまう。そのため門下生の入れ替わりは相当激しい。
四カ月前までは二年先輩の兄弟子がいたのですが、兄弟子も力及ばず門下を去りました。せめてお別れの挨拶ぐらいはしたかったのですがね」
「なるほど、これまでの兄弟子は全て破門されているから、現在は君が一番弟子にあたるということか」
「そういうことです。レンジョウ様の後継者を目指して日々鍛錬は欠かしていませんが、まだまだ先輩方の足元にも及びません。果たして僕はレンジョウ様に認めてもらえるのかどうか、正直なところ自信がない」
「過度な自信は身を亡ぼす。自信がないというのは裏を返せば冷静な自己分析が出来ているということだ。それ自体は恥ではない。重要なのはその根源が臆病ではなく慎重さであることだ」
「自信がないこと自体は恥ではない、ですか。今までは考えたこともありませんでした」
リヒトにとっては一つの金言だったのだろう。それまでは歩きながら会話を続けていたリヒトが足を止めた。先輩が門下を去り自分が一番弟子となってからというもの、弟弟子たちに本音を漏らすわけにもいかず、靄がかかった気持ちを一人孤独に抱え込んできた。偶然この町を訪れただけの後腐れのない相手だからこそ、思わず本音を漏らしてしまう。
「ダミアンさんの言葉には熟練の戦士のような重みを感じます。まだお若いのに、多くの修羅場を潜り抜けてきたのでしょうね」
「よく言われるんだ。若く見えるとな」
冗談も言える人なんだなと感じ、リヒトは朗笑を浮かべた。
「レンジョウ様とお会いしたとのことでしたが、具体的にはどういったご要件ですか?」
「レンジョウ氏とは過去に面識があってな。近くまで来たから顔を見に伺った。あちらは私のことを覚えていないかもしれないがな」
「そうでしたか、レンジョウ様とは以前に面識が。きっと面影からダミアンさんのこともお気づきになりますよ」
外見から察するにダミアンの年齢は二十代前半といったところ。覚えていないというのはダミアンがまだ幼かったからだろうとリヒトは一人で納得した。
「そろそろお屋敷に到着しますよ」




