愛慕
「……ダミアン様と出会ってから、あっという間の日々でした」
クヴァドラート城での激戦を終えたダミアンとベニオは、小高い丘の上にある雪原へと足を運んでいた。二人にはまだやるべきことが残されている。歓喜に湧く領主町クルークから距離を置いたこの平原ならば、横槍は入るまい。
「手前の復讐は完結しましたが、この地でのダミアン様の魔剣士狩りはまだ終わってはいない。出会った時の約束はもちろん忘れていませんよ」
背を向けたまま淡々と語るベニオへ向けて、ダミアンはすでに乱時雨を抜刀している。ベニオの復讐を肯定することで彼女との対峙を後回しにしてきたが、ヂェモンらヴィルシーナを壊滅させた今、刀を納める理由は無くなってしまった。
「復讐心に駆られ、命懸けで戦う日々ではありましたが、戦いを終えた後、宿であなた様と過ごす一時の安寧が、手前を最後まで人間らしく、女らしく過ごさせてくださいました。家族と共に平穏に暮らしていた時と並び、手前の人生にとって最良の日々だったと胸を張って言えます」
表情を隠したいのだろう。ベニオはダミアンに背を向けたまま、決して振り返ろうとはしない。
「……このようなことを言われても迷惑なだけかもしれませんが、最後ですのでもう一度言わせてください。ベニオはダミアン様の事をお慕い申しております。苛烈な人生ではありましたが、あなた様との出会いは最上の喜びでした」
「……無抵抗に死を受け入れる必要はない。お前の妖刀の力なら、あるいは私を殺せるやもしれんぞ」
「……そうかもしれませんね」
刹那、ベニオがダミアンへと向き直り抜刀。覚悟の据わった真紅の瞳をダミアンへと向けた。
「先日、ダミアン様は手前の狂気とは何かと問われましたね。ヂェモンへの復讐こそが手前の狂気なのだとずっと思いこんできましたが、この地での戦いの日々で、復讐心以上に手前の胸を焦がす狂気があると自覚しました……どうやら手前は愛に狂っているようです……」
「何をする気だ?」
ベニオが宵ノ速贄の刀身を自身の首筋へと添えた。
「烏滸がましいことは百も承知。それでも手前は、ダミアン様に手前という存在を覚えていてもらいたい――」
駆け寄る間もなく、ベニオは首筋の刃を躊躇いなく引いた。出血で雪原が真紅に染まり、ベニオは恍惚の表情で雪原へと横たわった。
「どうしてこのような真似を?」
駆け寄ったダミアンが、ベニオを静かに抱き起こす。
「……ある女がもうしておりました……決して実らぬ愛ならば、いっそのこと相手を殺してしまえと……ですが、手前には……ダミアン様に刃を向ける選択など……まったく……想像がつかなかった……」
「だから、自死を選ぶというのか」
「……愛する殿方に斬られ果てるのも幸せかと考えましたが……ダミアン様がこれまで切り伏せて来た魔剣士の中には……当然、女の剣士もいたことでしょう……一人の女として、その者達の中に……埋もれたくなかった……魔剣士狩り様とて、目の前で自害する魔剣士を見たのは初めてでしょう? そうして手前は少しでも……あなた様に……存在を覚えて……いて……欲しくて……愛のためならば……手前は自死を……恐れな……」
弱々しくベニオが差し出して来た震える左手を、ダミアンはしっかりと握った。
「……温かい……ダミアン様の……お顔を、間近に……逝ける……ベニオは……幸せ――」
狂気の魔剣士とは思えぬ温順な笑みを口元に浮かべたままベニオは事切れた。左腕が脱力し、ダミアンの右手からベニオの左手がすり抜ける。
ここ数日間は穏やかな天候が続いていたが、この日の空は朧雲に覆われていた。舞い降りてきた雪の粒がベニオの泣き黒子へと触れ、一筋の涙のように頬を伝い落ちていく。
「愚かな女だ」
無感情にそう言うと、ダミアンは虚空を見上げるベニオの瞳をそっと伏せてやった。
「……こんな真似をしなくとも、お前ほど鮮烈な印象を与えた女は存在しなかったよ。これまでも、きっとこれからも」
ベニオの手から宵ノ速贄を外し、柄に埋め込まれている魔石を、ダミアンは躊躇いながらも確実に破壊した。使い手ではないダミアンが柄に触れたにも関わらず、妖刀に拒絶反応は見られなかった。まるで使い手と運命を共にすることを妖刀の側も受け入れていたかのようだ。
降雪は勢いを増し、雪原は白を深めていく。ベニオから飛び散った血飛沫も次第に、降り積もる雪の下へと消えていった。
「ここは寒い」
身も裂く寒さを省みず、ダミアンは自身のハンティングコートをベニオの亡骸へと被せてやり、体を抱え上げた。
「ベニオ、か」
せめて一度でも、「お前」ではなく名前で呼んでやればよかっただろうかと、柄にもなくそんなことを考えてしまう。
雪原に一人取り残すのは忍びない。遺体を丁重に葬ってくれる場所を求めて、ダミアンはベニオの亡骸と共に雪原を後にした。
美しき復讐者の章 了 不殺の章へ続く。




