宵の速贄
「随分といい目をするようになったじゃない。昔の我武者羅な復讐心も嫌いじゃないけど、今の研ぎ澄まされた復讐心も素敵よ」
「貴様に褒められるなど、屈辱以外のなにものでもない」
「あら手厳しい」
余裕を見せつけるように嗤笑しつつ、ニムファはレイピアで強烈に刺突。ベニオは咄嗟にサイドステップを踏み刺突を回避した。虚空を切ったレイピアは勢い余ってエントランスの壁面へと接触。次の瞬間、壁にはレイピアの切っ先を遥かに上回る大穴が空いた。
「その綺麗な体に風穴が空く様、さぞ見ものでしょうね」
レイピア型の魔剣――穿通剣サーチラは、刺突した対象に、切っ先を遥かに上回る風穴を空ける能力を持つ。レイピアの弱点である殺傷能力の低さは一転、一撃必殺級の破壊力と化す。軽量かつ扱いやすい本来の特性も相まって、非常に攻撃的な性能へ仕上がっている。
「あなた、あの魔剣士狩りの色男に惚れているのね」
「突然何を言い出す?」
ダミアンの存在を指摘されるも冷静さは崩さず、ベニオは連続で迫ったサーチラの刺突を刀身の腹を弾く形で退けていく。強烈な破壊力が加わるのはレイピアの切っ先部分だけ。刀身を弾く分には被害は受けない。
「彼を見るあなたの瞳、恋焦がれる乙女そのものだったわ。いいえ、それ以上の愛憎さえも感じられた」
「その口を閉じろ。貴様の口からあの方の話など聞きたくない」
「あらあら、相当ご執心のようね。ひょっとしてあなた、彼に対する思いに魔剣士としての狂気を見出してしまったのではないの?」
「口を閉じろと言っている!」
耐えかねたベニオが血走った目つきで激昂。「宵ノ速贄」で荒々しく刺突するも、精細を欠いた一撃は易々と躱されてしまう。
隙を突くでもなく、ニムファは一歩引いて愉快そうに両手を叩いていた。初心な乙女を精神的に甚振る行為を完全に楽しんでいる。
「魔剣士と魔剣士狩りはいわば天敵。絶対に実るはずのない恋だもの。辛いわよね、苦しいわよね」
「貴様に手前の何が分かる!」
「私だって魔剣士であり一人の女だもの。人並み以上にはあなたの感情を理解しているつもり。狂気を宿す魔剣士にとって愛は最も危険な感情よ。古くから愛憎という言葉があるように、愛と狂気はとても近しい場所にあるものだから」
「黙れ……」
「あなた、彼を自分だけのものにしたいと願っているんじゃない?」
「黙れ……」
「いっそのこと殺してしまえばいいじゃない。そうすれば彼は誰の物にもならない。ずっとあなただけの物。狂気に抗うのは辛いでしょう。かつての私のように狂気に身を委ね、愛憎の快楽に溺れてみなさいな」
「あのお方は物ではない。ダミアン様だ! ……手前を、手前を貴様と一緒にするな!」」
鞘を抜いたベニオはあろうことか、硬質な尖端を自身の頭部へと激しく打ち付けた。衝撃で首が反り、額からは流血も伴った。呆気に取られたニムファも、思わず愚弄の拍手を止めてしまった。
「ここまで頭に血が上ってしまうとは、悔しいが貴様の言うように、手前は愛憎に狂っているのやもしれないな」
ベニオは痛みと流血を持って、狂気に我を忘れそうになった己を平常へと引き戻した。ニムファの「かつての私のように」という言葉が無ければ、あるいはそのまま狂気の渦に飲まれてしまっていたかもしれない。憎き仇の一人と同じ道を辿るなど御免だ。復讐心こそがベニオを狂気から呼び覚ましてくれた。
「……手前は色恋の話をしにきたのではない。復讐のためにここまでやって来たのだ。甘言に惑わされた己が情けない」
「美しい顔を自ら傷つけるなんて野蛮ね」
「手前は女である前に剣士だ。勝利のためならば己が傷つくことも厭わない」
「なら今この場で無残に死に晒しなさい。全ては一瞬一撃で決まる!」
敏捷な動きで真正面から迫ったニムファが、憫笑を伴ってレイピアで刺突を繰り出した。ベニオは回避行動や防御行動は見せず、深く呼吸を整えている。
――何を企んでいるか知らないけど、この距離なら躱しきれまい。
ニムファが勝利を確信した瞬間、ベニオはしなやかな腰の動きで上半身を捻り、サーチラの切っ先から、急所と成り得る体の中点をずらす。
刹那、ベニオは同時に宵ノ速贄で強烈に刺突した。
「なっ!」
「つっ……この程度……」
ニムファは咄嗟に身を捩るも完全には躱しきれず、左肩に宵の速贄が浅く突き刺さる。同時にベニオの左脇腹をレイピアが掠めた。掠めただけでもサーチラの効果は容赦なく発動。ベニオの左脇腹に、掠めた傷を中心に穴が空き、噛み千切られたかのように半月上の損傷を負った。激痛に意識を持っていかれそうになるが、勝利のために宵ノ速贄に込めた力を決して緩めない。
「……刺し違える覚悟だなんて、あなた正気?」
「……刺し違えではなく手前の勝利だ。一撃の威力は手前の方が上回る」
「……止めなさい」
「命乞いをする手前の仲間に、貴様はどんな仕打ちをした?」
「止めろ、くそ女!」
「貫け、『宵ノ速贄』」
額からの流血に顔面を染めたベニオが笑った瞬間、ニムファの表情が苦悶一色に染まった。
「あっ――ああああああああ……」
ハチの巣となったニムファの全身数十カ所から血液が噴きあがり、瞬く間に体中を赤く染め上げた。多大な出血量に耐え切れず、ニムファは一瞬で絶命。足元へ溜まった血の海へ力なく膝を折った。
妖刀、宵ノ速贄。
非常に殺傷能力の高い魔剣であり、その刺突はまさに一撃必殺。
刀身が体内へ侵入すると、刀身から無数の赤い鋭利な針が発生。体中の血管を駆け巡った末、体外へ突出し全身からの大量出血をもたらす。どんな強靭な肉体の持ち主であったとしても、体中の血管を内部から刺し貫かれればひとたまりもない。
刀身が掠めただけでは発動出来ず、刀身が刺突などで相手の体内に留まった状態でなければ能力を発動出来ないという難点はあるが、刺突一撃で勝敗を決する殺傷能力は十分驚異的である。加えてベニオは復讐のため、宵ノ速贄の特性を十分に発揮出来るよう刺突技を極めて来た。極限状態においても一撃必殺を狙っていくことは不可能ではない。
「……ダミアン様に習い、手前も魔剣を狩ることにいたしましょう」
ニムファの亡骸が握る、サーチラの柄にはめ込まれた魔石目掛けてベニオは強烈に刺突。魔石は粉々に砕け散った。
「……復讐はまだ終わりではない」
抉られた脇腹の負傷は重いがベニオは決して膝はつかない。身に着けていた上着を千切り、簡易的な止血帯とした。傷に触れた瞬間、激痛に喘ぎ、体中に脂汗が湧き上がった。
「あっ……ぐっ――」
全ての元凶、仇敵ヂェモンの死をこの目で見届けなくてはいけない。
愛慕する、ダミアンの後を追わなければならない。
この程度の傷で立ち止まってはいられない。
「……ダミアン様。今、手前も参ります」




