苛烈な道
「寝所としてこちらの宿をご自由にお使いください。大したお構いも出来ず申し訳ない」
「いいえ。大変な時期でしょうに、お宿を用意して頂き感謝いたします」
レジスタンスのヴェーチルの案内で、ダミアンとベニオは町で一番大きな宿に通された。ピエロの支配から解放されたことで、ロシャの町は二年振りに穏やかな夜を取り戻していた。圧政と暴力に困窮していた都合上、豪勢な持て成しとはいかなかったが、せめてもの厚意と、住民達は多大な拍手と感謝の言葉で恩人を二人を快く迎え入れてくれた。
今夜はロシャの町に一泊。明日は早朝に出立し、ニフリートの案内でファブリカの町を目指す予定だ。ファブリカはリドニーク領最大の人口を誇る工業都市で、「ヴィルシーナ」幹部の魔剣士スカラの支配下にある。領の経済を支える土地柄故に、ロシャの町のようなあからさまな殺戮こそ行われていないが、魔剣士の支配を受ける土地だけあって血生臭い噂は絶えない。
「こちらの宿は温泉も有名ですので、旅の疲れを癒すには最適でしょう。是非ともご利用ください。それでは私はこれにて」
深々と頭を下げると、ヴェーチルは宿を後にした。
「次の町を牛耳るスカラとかいう魔剣士はどんな相手だ?」
乱時雨を壁にかけ、備え付けの木製の椅子へとダミアンは腰を下ろす。ベニオは向かい合う形でツインベッドの縁に腰掛け、艶やかな髪を紐で結い上げた。
「ヴィルシーナの切り込み隊長です。組織内の序列は三番手ですが、純粋な戦闘能力ならヂェモンに次ぐ危険な男です。魔剣は銘不明のファルシオン。過去に一度手前が目撃したそれは、一太刀で三本の裂傷を刻み込む攻撃的ものでした」
「一太刀で複数の斬撃を放つ魔剣か。読みづらいな」
やはり魔剣の能力というのは直接自身の目で確かめてみないと判断しにくい。命懸けのやり取りの中で対処法を見極めていく他ないだろう。
「温泉があると言っていな。少し浸かってくる」
「お背中お流ししましょうか?」
「茶化すな」
ジャケットとベストを脱ぎシャツとスラックス姿になると、ダミアンは「乱時雨」片手に一階へと駈け下りて行った。
〇〇〇
「お邪魔します」
「……さっきの話の流れでどうしてこうなる?」
「まあまあ、お風呂は誰かと入る方が楽しいじゃないですか」
「……まあいい」
浴場で温泉に浸かっていると不意に脱衣所の扉が開き、一糸纏わぬ姿のベニオが入場してきた。乱時雨を片手に浴場にやってきたダミアンとは異なり、ベニオは宵ノ速贄を部屋に置いて来ているようだ。
初雪のような美肌と濡鴉の髪を洗い終えると、ベニオはダミアンと肩が触れ合うような距離感で温泉に浸かった。
「楽しい云々は建前で、ダミアン様と少しお話しがしたくて伺いました。浴場はお喋りに最適ですから」
「……のぼせない程度にしろよ」
体も温まりきらぬ前に上がってしまっては勿体ないので、少しだけお喋りとやらに付き合うことにした。
「ダミアン様は、復讐という行為に肯定的なのですね」
「私の魔剣士狩りも、元は復讐から始まっているからな」
「不躾を承知で踏み込みますが、ダミアン様の過去に一体何が?」
「……私の過去は、お前と少し似ている」
静かに語り出すと、ダミアンは額にタオルを乗せて、結露した天井を見上げた。
「私の父は隊商の長をしていてな。扱っている積荷の中には魔剣が紛れ込んでいた。その魔剣の狂気に引かれ、一人の魔剣士が隊商を襲撃したんだ。護衛の傭兵部隊は瞬く間に全滅、魔剣士は次に私の両親と、同行していた幼馴染を殺害した……幼馴染のローズは私よりも年上で、私にとっては初恋の相手でもあった」
他人に、思いを寄せていた人の存在まで打ち明けたのは初めてのことだった。
いずれは殺す筈の相手にここまで胸を開いてしまったのは、魔剣士に大切な人達の命を奪われた過去に共感を抱いてしまったからだろうか。
「隊商を襲撃した魔剣士は私一人を見逃し、積荷の魔剣も取らずに去って行った。『将来が楽しみだ』と言い残してな」
「では、その魔剣というのが?」
「私の愛刀、乱時雨だ。奴は戦闘狂染みた魔剣士だった。自分を殺しに来る復讐者として、私を最適な人材と考えたのだろう。思う壺だとは理解していたが、私は復讐者としての道を歩むことに決めた。刀身と肉体の損傷を修復する乱時雨の能力は、苛烈な修行に励むには最適だったよ」
剣術の筋が良かったことに加え、故障知らずな「乱時雨」の特性を最大限に生かし、常人ならば再起不能に陥っていたであろう過酷な修練を数年に渡り慣行。誰かに師事することもなく、ひたすら我流で魔剣士を狩るための剣技を磨いてきた。その末に会得したのが、数多の魔剣士を血に沈めて来た強力な我流剣の数々だ。
「……復讐は果たせたのですか?」
火照って頬が紅潮したベニオが横目遣いでダミアンへと問いかける。紅潮とは対照的にベニオは己のことのように表情に憂色を漂わせている。復讐を誓った人間の感情は、人並み以上に理解出来るつもりだから。
「復讐を果たせていたなら、私の魔剣士狩りは奴一人で終わっていただろうな」
「どういう意味ですか?」
タオルを額から目元へと移したダミアンが、口元に皮肉気な笑みを浮かべた。
「修行を終え、復讐の旅に出て間もなく、確かな筋からの情報で、仇である魔剣士が死んだことを知った。複数の魔剣士が入り乱れた戦場で暴れ回り、剣を握ったまま戦死したそうだ。まったく迷惑な話さ。人に復讐心を植え付けた挙句、全く関係ない戦場で勝手に死んでしまった」
「……そんな」
ベニオは絶句し口元を覆った。復讐に人生を捧げたにも関わらず、復讐の対象が自身とは関係ない場所で勝手に死んでしまう。ダミアンが味わった失望感とその後の虚無感は凄まじいものだったはずだ。
「仇を取る機会を失った私の中に残されたのは、魔剣士としての狂気だけだった。以降、102年、私は魔剣士狩りの執心に囚われている。時の軛さえも、私の狂気に終止符を打ってはくれない」
「……102年」
哀愁を帯びたその響きはとても冗談だとは思えない。理解は追いつかなくとも、それが真実であることをベニオは疑わない。
「話が中断してしまったが、広場でゾンビ兵の話をしただろう。乱時雨の能力は刀身と所有者の傷の修復だけではない。平時には全身の細胞に作用し、老いを抑制する能力も持っている。成長は身体的に最も優れる20歳過ぎを境に止まり、以降私は一切老いていない。より多くの敵を狩るため、妖刀は使い手に悠久の時を与えたというわけだ」
「ダミアン様は、人生のご先輩だったのですね」
思わぬ反応に吹き出してしまい、ダミアンの目元からタオルがずり落ちる。
タオルを頭に乗せ直し、赤ら顔でベニオの表情を伺うと、とても穏やかな表情でダミアンの瞳を見据えていた。
「ゾンビ兵だぞ、気味悪がるのが普通ではないのか?」
「気味悪がる理由なんてありますか? ダミアン様はダミアン様ですもの」
「出会って数日で私の何が分かる?」
「少なくとも、根がお優しい方であることは理解しているつもりです」
「事が済んだらお前を殺すと公言しているにも関わらずか?」
「はい。ダミアン様は、手前の復讐を後押ししてくださいましたから。復讐を果たせぬ苦しみを誰よりも理解しているからこそ、手前に復讐の機会を与えてくださったのでしょう?」
「深読みだ。私はただ、より多くの魔剣士の命を狩る選択肢を取っただけのこと……これ以上はのぼせそうだ。先に上がる」
タオルを首にかけると、ダミアンは静かに浴槽から立ち上がった。のぼせを口実にその場を立ち去ろうとするが、
「何の真似だ?」
後を追ったベニオが、胸を押し付けるようにして背後からダミアンを抱擁した。
「……復讐の機会を失い、魔剣士狩りとして生きて来たこの102年、さぞお辛かったでしょう」
「そのような感覚、とうの昔どこかに置いて来てしまったよ」
「それでも、手前の一方的な思い込みであったとしても労わせてください。ダミアン様はとてもお強い人。それでも、孤独な旅路の中で一人で全てを抱え込むのは、きっとお辛かったはずですから」
孤独に苛烈な道を歩んできたダミアンのこと、誰かに過去を打ち明ける機会など無かったはずだ。思いあがりかもしれないが、誰もかけることの出来なかった言葉を、せめて自分がかけてあげたいと、ベニオはそう思った。
「……離せ」
決して力に訴えるような真似はせず、ダミアンは静かに、翳すようにして、自身に回るベニオの手を外した。
「……異性に対し、ここまで鮮烈な印象を抱いたのは初めてのことです」
「例えそれが、自分を殺す男であったとしてもか?」
「無論です。あなた様の刃でしたら、手前は快く受け入れましょう」
「そうか……」
一切振り返らずにダミアンは脱衣所へと向かう。
逞しくも儚げな乙女の表情を直視する勇気を持てなかった。
「お前はしっかり復讐を果たせ。目的を見失った復讐心ほど歪で醜悪なものはないからな」
自嘲気味に言い残すと、ダミアンの姿は脱衣所のすりガラスの向こうへと消えた。




