殺人鬼との対峙
「いや! 来ないでよ!」
人気のない夜半の陸橋下で、ブラウスとロングスカート姿の若い女性が必死に助命を懇願する。
何度か転倒したらしく衣服は所々破れ、覗いた肌は擦り切れて血が滲んでいた。表情は涙と恐怖に支配され、極度の緊張状態から呼吸が酷く荒い。
嘲るように闊歩で追うのは、フード付きの黒いロングコートと白いマスケラで素顔を隠した不気味な男。右手には大剣クレイモアを軽々と握っている。武器の手入れに拘るタイプではないのか、刀身にはこれまでの犠牲者達の血痕が生々しく残されている。あるいは勲章として血痕を残したままにしているのかもしれない。いずれにせよ、男が世間を震撼させる連続殺人鬼であることに疑い用はない。
「下手に動くな。楽に死ねなくなるぞ」
「いやあああああああ――」
不敵な笑みを浮かべると、殺人鬼は両手で握り直したクレイモアを容赦なく女性目掛けて振り下ろした。
「あっ?」
振り下ろしたクレイモアの勢いが女性に届く前に消えてしまった。咄嗟に割り込んできた人影が、刀でクレイモアの圧を受け止めたのだ。バーサクの作用で常人離れした膂力を発揮した殺人鬼をもってしても、それ以上クレイモアを沈めることが出来ない。
「薬物による身体強化とやら、この程度か」
「貴様は!」
素で呆れ顔のダミアンが強引に刀身を弾き、殺人鬼の体は大きく後退。剣圧でフードが開け、凶悪な相貌を露わにした。
「……宿屋のゲオルグ」
ダミアンと共に現場に駆け付け、女性を介抱していたアッシュが怒りと驚愕とに渋面を浮かべる。薬物の影響で血走った目と、眼窩周辺に浮き出た無数の太い血管。凶悪な面構えへと変貌しているがその顔は紛れもない、宿屋の主人、ゲオルグのものだ。
「顔を見られたからには、全員生かして帰すわけにはいかないな」
凶悪な面構えとなっても、保身を図ろうとする程度には理性を残しているようだ。クレイモアを構え直し、ゲオルグはダミアン目掛けて斬りかかったが。
「生殺与奪の権利が自分にあると勘違いしているのか?」
「なっ……」
ゲオルグが振り下ろしたクレイモア目掛けてダミアンが静かに「乱時雨」を薙ぐ。途端にクレイモアの刀身に罅割れが伝わり、中程で折損してしまった。碌に手入れもされておらず、最初の接触で硬質な乱時雨と直接かち合った。魔剣ではない量産品の武器の強度はとっく限界だ。
「疑岩斗」
「あがっ――」
刀ではなく、硬質な鞘で強烈に殴りつける「疑岩斗」が炸裂。直撃を受けたゲオルグの両腕は骨を砕かれ、あらぬ方向を向いてしまった。これでもう剣は握れない。
「少し眠っていろ」
「うっ――」
鞘でゲオルグの腹部を一撃。卒倒したゲオルグはその場に膝から崩れ落ちた。相手が魔剣士ではなく、薬物でドーピングしただけの常人だとすれば実力はこんなものだろう。
「……あの殺人鬼を一瞬で」
ダミアンの戦闘能力に期待していたのは事実だが、ここまでとは流石に想像以上。アッシュは一連の戦闘を目で追うのがやっとであった。
「犯人確保はお前の仕事だ。この場は任せる」
「お前さんの言う、魔剣士を狩りに行くのか?」
「無論だ」
話の最中にも手を休めず、アッシュは持参した捕縛紐で手早くゲオルグを拘束していく。道中、伝令のために同僚を一人事務所へ戻した。直に応援も到着する予定だ。
「本当にあいつが?」
「私を止めるか?」
アッシュが無言で首を横に振ると、ダミアンは足早に陸橋下を後にした。
ダミアンから聞かされた驚愕の推理に、まだ心の整理が追いついていないが、事件に黒幕が存在するならば放っておくわけにはいかない。相手が魔剣士だというのなら、魔剣士狩りであるダミアンに一任することが解決への一番の近道だ。
「俺も、もう一仕事果たさないとな」
例え魔剣士には敵わなくとも、保安官補としてアッシュにはやらなければいけない仕事が残されている。今夜は長い夜になりそうだ。




