霧の町
「いい加減止まりなさい!」
「そう言われて立ち止まる泥棒がいるかよ!」
標高高く、霧に覆われた大陸西部の町『ネーベル』。
この日も濃霧が立ち込める中、廃墟連なる町外れの路地を、二人の人影が疾走していく。
遁走するは無精髭を生やした盗人。手には空き巣で手に入れた貴金属類が握られている。
追走するのは幼顔が残る赤毛のショートヘアーの女性。服装はブラウスの上に黒いレザージャケットを羽織り、ベージュのパンツをブーツイン。腰の帯剣ベルトには軍刀を装備している。右腕には盾のエンブレムが記された腕章が巻かれており、この町の治安維持を担う保安官補の身分を証明している。逃走する現行犯とそれを追う保安官補という、ある意味でシンプルな構図が繰り広げられていた。
俊足に自信のある盗人は盗品分の重さを感じさせず、確実に女性保安官補との距離を広げていく。
「へへっ、鬼ごっこは俺の勝ちみたいだな」
「調子に乗るんじゃないわよ」
確実に逃げ切れるだけの距離を取ったと確信し、盗人は女性保安官補の方を振り向き嗤笑を浮かべた。その間は前方不注意かつ、濃霧で周囲は視界不良。盗人は前方に現れた人影に気付くのが遅れた。
「あれ?」
頓狂な声を上げ、盗人は派手に転倒。手放した盗品が辺りに散乱する。バランスを崩す直前に、片足を意図的に蹴り付けられたような感覚があった。
「痛え。誰だよ」
地面に打ち付けた頬を擦りながら、盗人がその場で上体を起こすと、
「お前を追っているのは保安官事務所の人間だな?」
転倒の原因と思われる、三つ揃えのツイードスーツにハンチング帽を身につけた青年が無表情のまましゃがみ込み、盗人と顔を突き合わせた。
「あっ、だったら何だよ?」
「協力に感謝する」
「おぶっ――」
確信を得られたことで、盗人の腹部を容赦なく刀の鞘で一撃。盗人は気絶し行動不能へと陥った。
「いい加減止まりなさ――あ、あれ? 止まってる?」
追いついた女性保安官補は予期せぬ光景に仰天している。
濃霧に加え距離もあったので瞬間は目撃していない。女性保安官補からすれば盗人がいきなり転倒し、その傍らに紳士然とした外見の青年が佇んでいたという変梃な状況だ。
「あなたがこの男を?」
ダミアンが無言で頷くと、女性保安官補は深々と頭を下げた。
「犯人確保へのご協力に心より感謝申し上げます。この男は逃げ足が速く、これまでに何度も取り逃がしてきましたので」
「礼には及ばない。それよりもお前はこの町の保安官か?」
「はい。正確にはまだ保安官補ですが」
「私はある目的を持ってこの町へやって来た旅の者だ。この地域には保安官事務所があると聞いてな。事情に精通した人間の話を聞きたく関係者を探していた」
「私にお話し出来ることであれば喜んで。先ずはこの男を勾留しなくてはいけないので、一度事務所までご足労頂いても?」
「いいだろう。ならばその男は私が運ぶ」
「えっ? えっ? えっ?」
紳士的な風貌に相反し、人一人を軽々と担ぎ上げたダミアンの姿を、女性保安官補は驚嘆の眼差しで見つめていた。
「そういえば、まだお名前を伺っていませんでした」
「旅の剣士、ダミアンだ」
「ネーベル地区保安官補、リズベットと申します」
リズベットの先導を受け、ダミアンは盗賊を抱えたまま町の中心部にある保安官事務所へと向かった。




