血塗られた歴史
命の泉を発ったその足で、ダミアンは泉近くの集落を訪れていた。
夜中にも関わらず集落中に明かりが灯され、来客が訪れると代表のセブ老人らが穏やかな表情で迎え入れてくれた。マイラ以外にも遠くに人の気配があることにダミアンは気づいていた。事態が動くことを察し、集落の人間が泉を監視していたのだろう。だからこそ夜分の訪問にも即座に応対してくれた。
「ダミアン殿。アレックスを排除してくださったことに礼を言う」
「やはりそういう反応か。私はあくまでも自分の目的を果たしただけだ。それよりも幾つか尋ねたいことがある」
「礼代わりだ。可能な範囲でお答えししよう」
多少なりとも事情に関わってしまった者として、事実関係を確かめるべくダミアンは集落へと立ち寄った。事実を知ったからといってこれ以上何か行動を起こすつもりはない。ただ真実が知りたいだけだ。
「あの泉には不思議な力など無い。危険な毒の泉だとあなた方は知っていたな?」
「うむ。マイラを除く全ての者が泉の毒性については既知であった。毒性は泉の底に群生するヒュドラと呼ばれる水生植物由来じゃ。無色透明かつ無味無臭というとても恐ろしい毒物でな。その危険性は集落を切り開いた始祖の代より語り継がれてきた。泉を近づいてはならぬ神聖なものと定めたのは、それを習わしとすることで、泉の毒性を理解出来ぬ幼い世代が不用意に泉に近づかなぬようにと、心理的に誘導する狙いがあったのだ……それなのに」
「あのアレックスとかいう剣士が現れた?」
「……うむ。せっかく儂らは泉の毒を避け平穏な日々を生きてきたというのに……数カ月前に突然やってきたあのアレックスとかいう剣士が勝手に有りもしない噂を広め、命の泉は予期せぬ注目を引いてしまった。そのせいで荒っぽい連中が頻繁に現れるようになり平穏は崩れ去った。
にも関わらず奴は泉の守護者なんぞ名乗りおって、事情を知らぬマイラや町の連中の間では奴は英雄扱い。非常にはた迷惑な存在だったが、恐るべき剣技の使い手故に儂らも奴の機嫌を取るほかなかった。そんな儂らにとってダミアン殿は救世主だったよ。アレックスを始末してくれたことを、集落一同大変感謝している」
目を伏せて弁舌を聞き入れていたダミアンは呆れ顔で溜息を洩らした。
予想に反する不遜な反応に、セブ老人の眉根がピクリと上がった。
「都合の悪い部分は全て泉の守護者に擦り付けるか。奴に同情なんてしないが、あなた方も相当面の皮が厚いと見える。推測も多分に含まれるが、最初にあの泉を悪用したのはあなた方ではないのか?」
「……どういう意味かな?」
「奴は泉に関する噂を耳にしこの地を訪れたと言っていた。あの状況で私に虚言を吐く必要はないだろう。噂を広めたのは奴ではない。命の泉には病や傷を癒す働きがあるという噂を広めたのはあなた方だろう?」
「……なぜ儂らがそのようなことはせねばならない?」
「過疎の一歩を辿る集落。不猟続きの近状。奇跡を求める者たちにとって魅力的な不可思議な泉の噂。集落を維持するために、あなた方は毒水を飲んで命を落とした者達から金品を強奪しようと計画したのではないか?」
「そのような恐ろしい発想をする者がこの集落にいるとでも?」
「発想、いや、すでに前例があったのではと私は考えている。それこそかつてのこの集落を切り開いた始祖の代からな」
狩猟小屋で猟師から聞かされた集落の成り立ちについてダミアンはずっと引っ掛かりを覚えていた。かつての大戦時、森の奥に避難し集落を開拓、戦後も誰一人として町へは戻らず集落に残り続けた始祖たち。もちろん森での生活が気に入ったからという可能性も考えられるがもしも、もっと分かりやすく集落に残り続ける旨味が存在していたとしたら。
「証拠なんて今更残っていない。推測することしか出来ないが、かつての大戦の規模は凄まじい。多くの敗残兵や時には戦渦から逃れようとした避難民が、一目に付きにくいこの森を行路に選んだ可能性は十分に考えられる。旅路の中で水の確保は重要だ。運よく湖の方へ出た者もいただろうが、泉を最初に発見した一団も相当数いただろう。毒の泉で一団が全滅するのを待ち、身包みを剥げばそれなりの稼ぎとなる。かつての大戦時、この集落はそういった方法で財を成したのではないか?」
「……」
推測だと前置きしたにも関わらず、セブ老人らは反論できぬまま驚愕に目を見開いている。核心を突かれ動揺を隠しきれないのだろう。
「森に身を潜めていたはずのグループが一財産築いて戻ってくれば事情を勘繰られかねない。だからこそ集落を切り開いた始祖は森での生活が気に入ったという名目の下、町へは戻らず集落を維持し続けることにしたのだろう」
「……動揺してしまった以上、認めてしまったようなものだな。然様だ。この集落は成り立ちの時点で血塗られている」
観念した様子でセブ老人はその場に胡坐をかいて座り込んだ。老齢ながらも逞しい印象だった初対面時とは異なり、疲労感を滲ませた皺だらけの渋面は、一気に十歳以上は老け込んだような印象だ。
「……真実を知った今、儂らをどうする? この場で全員切り伏せるか?」
「別に何も。私は魔剣士を狩れればそれでいい。私の目的はすでに達せられている」
軽蔑こそせよ、ダミアンはこれ以上この土地の事情に関わるつもりはない。魔剣士狩りの目的を果たし背景も理解した。これ以上長居する理由はない。
ダミアンは踵を返し、集落の出口へと向かっていく。無防備な背後を突き、真相を知った危険分子を排除しようとする者は誰もいない。泉の守護者アレックスを無傷で撃破した相手に挑みかかる度胸など住民達には存在しないだろう。
「ご老人。最後に一つだけ聞いてもいいか?」
「何だ?」
「集落の中で、どうしてマイラだけが泉の正体を知らなかった?」
自分なりの結論に達した上で、セブ老人がどのように答えるかを試す、意地の悪い質問だった。
「……年齢を考えればそろそろ真実を伝えるべきだと分かりながらも、それを躊躇ってしまった。純粋な心を持つあの子にまで、集落の暗部を伝える必要はないのではとな」
「結局、最後も自己保身か」
想定内だが、だからこそばかばかしい答え。ダミアンの吐き出した溜息は軽蔑を隠しきれない。
「本当はマイラに真実を伝えることが後ろめたく、恐ろしかったんだろう。自分を捨てたと聞かされてきた母親の真実について」
セブ老人の弁解は聞かぬまま、ダミアンは今度こそ集落を後にした。
セブ老人たちが創作した命の泉の伝承をマイラは違和感なく受け入れていた。幼い頃から馴染み深いものだったからであろう。ならば創作の伝承は、マイラが拾われる以前から存在していたことになる。
セブ老人たちの代が毒の泉を悪用しようとしたのはきっとこれが初めてではない。過去に成功例があったからこそ、予期せぬアレックスの介入による計画失敗が余計に腹立たしかったのだろう。
もしもマイラの母親が我が子を身勝手に捨てるような女性ではなく、何らかの事情で泉の伝承に希望を抱く、あるいはもっとシンプルに、飲み水を求めて泉を訪れただけの善良な人物だったとしたら。
捨て子と言い聞かせてきたその娘に泉の秘密を伝えることなど、当事者達には恐ろしくて出来ないだろう。




