復讐はまだ途絶えてはいない
「あああああああああ――」
右腕を切り落とされたフランゼット館長の絶叫が、図書館の個室へと響き渡る。乱時雨を抜刀したダミアンはらしくもなく、額に冷や汗を浮かべていた。
床に落ちたフランゼット館長の右手には、封書の開封に使用するペーパーナイフに似た、刃のない刃物が握られていた。柄には魔剣の核たる赤い魔石が怪しく輝いている。殺傷能力が低く思えるこのペーパーナイフも、凶悪な兵器である魔剣の一種だ。
「その魔剣は人間の記憶を自由に覗き見るとされる、開封剣エニアクレイディだな」
ペーパーナイフで封を開けるかのように、人間の記憶を自由に開封し中身を閲覧する、開封剣エニアクレイディ。フランゼットはこの能力を使って、ダミアンの記憶を読者として楽しんでいたのだ。
かつての大戦時には戦場で猛威を振るうことこそなかったが、諜報や暗殺の手段として危険視されてきた歴史がある。記憶を自由に開封することであらゆる機密情報の習得が可能であり、なおかつ記憶の開封は相手に一切悟られないという特性を持つ。そんなエニアクレイディの最も凶悪な能力は、記憶を切り取ることだ。一部を切り取られて失うだけならばまだしも、全ての記憶を切り取られたものは、己を構成する人格や日常生活に必要な知識さえも失ってしまい、廃人のような状態となってしまう。ディクショネールで頻発している事件の被害者も、そうやって生み出されたものだ。個人の人格や人間性を完全に喪失させるこの能力は一種の暗殺といってもいい。どんな強者であっても記憶を守ることは難しく、ある意味でどんな鋭利な刃物よりも強力な攻撃手段である。しかし、今回ばかりは相手が悪かった。
「……どうして、記憶に干渉されている間は無防備のはずなのに」
ダミアンが資料を読み込んでいる間に、エニアクレイディで記憶を開封したまでは良かった。ダミアンはその瞬間に気付いていなかったはずだ。しかし、魔剣士狩りの過去に興味を持ったフランゼット館長が記憶を読み進めていく中で、突然ダミアンが記憶への干渉に気付き反撃してきた。何が起きたのか、フランゼット館長は理解が追いついていなかった。
「不覚にも最初は干渉に気付いていなかったが、お前が私に鮮烈に過去を思い出させてくれたおかげで、文字通り初心に返ることが出来たよ。そんな私が魔剣に頭の中を覗かれる感覚に気付かぬはずがあるまい。私の過去に興味があるのなら、その場ではなく、記憶を切り取ってから内容を読み込むべきだったな」
記憶を読み込んでいる間は誰もが無防備だという過信が致命的な隙へと繋がった。相手は一般人ではなく魔剣士狩りなのだ。万全を期して、初手で記憶を切り取ってしまうべきだった。
「待って、どうか命だけは! あなたの記憶を覗き見て分かった、あなた自身も忘れている事実について教えてあげるか――」
交渉の余地など無いと、ダミアンは必死に懇願するフランゼット館長の首を問答無用で刎ねた。
「お前に言われるまでもなく、今回の一件で気付かされたよ。確かに当時の私は重大な事実を見逃していたようだ」
続けてダミアンは切断された右手に握られたままの開封剣エニアクレイディの柄を強烈に刺突。魔石を完全に粉砕した。
※※※
「なるほど。私の記憶もここに並べようとしていたのか」
ダミアンはフランゼット館長の亡骸から鍵束を拝借し、館長だけが入れる秘密の書斎を探索していた。そこには背表紙に人名が記入された本が大量に納められた大きな本棚が置かれている。優に五十人分はあるだろうか。その多くは一連の事件の被害者と一致している。本の数が確認されている被害者よりも多いのは、表沙汰になっていない被害者や、記憶の一部だけを切り取られた者もいるからであろう。ここはフランゼット館長が開封剣エニアクレイディの能力で集めた様々な人間の記憶を納めた秘密の本棚で、危うくダミアンもコレクションに加えられるところであった。
犠牲者の多くは学院の学生や職員、研究者に集中していた。そんな彼らにとって図書館は日常的に利用する施設であり、館長のフランゼットにとっては絶好の狩場だったに違いない。図書館では定期的に童話の読み聞かせ会なども行われており、幼い子供などはその時に被害にあったのだろう。この後は、事件の顛末を都市を治めるポアンカレ市長に報告しなくてはいけない。
「これが私の分か。一冊に収まるとは思えないがな」
タイトルが無く、中身も白紙の本をダミアンは手に取った。事が済んだ後、ダミアンの物語はここに綴られるはずだったのだろう。ダミアンは悠久の時を魔剣士狩りと過ごして来た。本にしようとすれば大長編の出来上がりだ。もちろんこんなところで完結させるつもりもない。世界中の魔剣士を狩り尽すまでダミアンの旅路に終わりはないだから。
それに、今回の一件を機に重大な事実を思い出した。
復讐の標的だった魔剣士アラシがドラゲディエ王国の内戦で死亡したことは紛れもない事実。だが、その証明たる彼の遺体の写真には、妖刀篠突雨刻は写っていなかった。アラシは利き腕と思われる右腕を失っていた。魔剣士としての殺し合いの中で相打ちのような形となり、妖刀篠突雨刻も破壊されたのかもしれないが、その事実を確認出来ない以上は一世紀近くが立った現在でもどこかに存在。あるいは新たな所有者を見出し、殺戮を繰り返しているかもしれない。魔剣士とは魔剣なくしては存在しえない。あの凶行の原因の一つは間違いなく妖刀篠突雨刻だ。凶器もまた仇の一つと捉えることが出来る。
「妖刀篠突雨刻。お前は今どこに存在している?」
惨劇の雨の中、魔剣士アラシが口にしたその妖刀の名前は今でもはっきりと覚えている。あの妖刀が今も存在しているのか、この目で確かめなくてはいけない。存在しているのなら、この手で破壊しなくていけない。復讐の標的である魔剣士は死んだ。だが凶器が健在であるならば、ダミアンの復讐はまだ完全には途絶えてはいない。
「私の物語は、まだ当分終わりそうにはないな」
白紙の書籍を本棚に戻すと、ダミアンはディクショネールの図書館を後にした。
開封の章 了 命脈の章へと続く。




