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魔剣士狩り  作者: 湖城マコト
開封の章
159/166

悲鳴も涙も生まれず

「五分が経過しました」

「……マイク。馬車を出せ、この場から離脱する」


 定刻となり、手綱を握るマイクにジャックは沈痛な面持ちで指示を出した。


「……ローズ。今はケビンの指示に従い身を引くしか方法がない。私の無力さを許してくれ」


 隊商の長として、家族の父親として、娘を託された一人の親友として、辛い決断をせざるを得なかった。それが護衛の責任者であったケビンの願いでもある。


「……はい。おじ様」


 パパを助けてという言葉を、ローズは必死に飲み込んだ。ジャックの決断はケビンの意志であり、傭兵が死と隣り合わせの仕事であることを、父の背中を見て育ってきたローズは誰よりも理解している。もちろん、唐突に訪れたそれを簡単に受け止めることなど出来ないが。


「ローズ……」


 ダミアンと繋がれたローズの左手は、父を失うかもしれない恐怖に震えていた。まだ幼いダミアンには、その手を握り続けることしか出来なかった。


「元来た道を引き返し南の――」

「マイク!」

「きゃあああああああああああ!」

「ダミアン、私の側を離れないで」


 ジャックの指示を受けマイクが馬車を走らせようとした瞬間、御者をしていたマイクの首が突然落ちた。衝撃的な光景に、サンドラの悲鳴が木霊する。見てはいけないと、ローズは気丈にも咄嗟にダミアンに抱き付き視界を奪った。


「ケビン隊長をやったのか……おのれ――」

「ジャックさんたちだけでも――」


 馬車を護衛していた傭兵達の怒号が飛び交い、襲撃者と応戦したが、一人、また一人と、斬撃の音を受けて沈黙していく。やがて馬車の外は、雨音以外何も聞こえなくなった。


「心配するな、ダミアン、ローズ。お前たちは私が絶対に守り抜くから」


 父親としてケビンの親友として、ジャックは毅然とし続ける。望みは捨てない。自ら馬車を動かすべく、御者の席へと移動する。


「済まない、マイク」


 首を刎ねられたマイクの遺体を、沈痛な面持ちで馬車の外へと押し出し、ジャックは手綱を握ったが。


「そんな……」


 退路など、どこにも存在しなかった。マイクだけではない。馬車を引く二刀の馬も首を落とされ絶命していた。まるで死を自覚していないかのように、二頭の馬は四足でバランスを取って立ち続けている。馬車に乗りながら、馬の異変にはまったく気づかなかった程だ。現実離れした逸した剣技といえる。


「きゃああああ!」

「ひっ!」


 馬車の窓に視線を向けたサンドラとローズが悲鳴を上げる。長髪から狂気じみた瞳を覗かせる和装の男が、ピッタリと窓に張り付き、こちらをジッと見つめていた。


「全員馬車から降りろ」


 薄気味悪い笑みを浮かべた男に抗えるはずもなく、四人は馬を失った馬車から降りることを余儀なくされる。男の指示に従い、四人は雨ざらしの中、横一列に整列させられた。


「君の望みは何だ? 要求があるのなら受け入れる」


 商人として培ってきた胆力で、ジャックは果敢に和装の男との交渉を試みる。これまでの惨状を見るに、話し合いが通用する相手とも思えなかったが、戦う術を持たない以上、自らの武器である交渉術を駆使する以外に活路はない。


「俺と似たような気配を感じた。お前たち、妖刀を運んでいるな?」


 男にも交渉の意志があると判断し、ジャックは内心安堵した。即座に切り伏せられなかった時点で何か思惑があると思っていたが、これなら付け入る隙があるかもしれない。


「妖刀というのはもしや、東部のジュビアで買い付けた乱時雨みだれしぐれのことか」


 以前、港湾都市であるジュビアで旅の商人から買い付けた、刀身や鞘、柄に至るまでが漆黒で統一された、乱時雨という銘の美しい刀。ジャックの商売では武器の類は基本的には取り扱っていない。あくまでも鑑賞目的の美術品として仕入れたもので、現在も荷馬車の積荷の中にある。長年商人を続けて来たジャックも当然、魔剣に関する知識は持っているが、乱時雨からは凶暴な気配は微塵も感じられず、自分や息子のダミアンも触れたが、体を害されるようなことも無かった。あれが妖刀であるという認識もないまま、ジャックは商品として運んでいたのだ。


「命には代えられない。乱時雨が望みだというのなら、君に快く譲ろう。他の積荷も好きにしてもらって構わない。だからどうか、命だけ――」

「妖刀ならもう間に合っている」


 刹那、男が目にも止まらぬ速さで抜刀。交渉のために口を動かし続けたまま、ジャックの首が無残に飛んだ。


「いやああああああ、あなた――」

「五月蠅いぞ。女」


 ジャックの亡骸に妻サンドラが駈けようとすると、男は無残にサンドラを一線。その体はへその位置で真っ二つに両断され、大量出血と内臓を伴いながら、上半身だけがジャックの体にもたれ掛かった。


「父さん……母さん……」


 ほんの一呼吸の間に、敬愛する父と母が人間から肉塊へと成り果てた。凄惨かつ刹那の出来事はあまりにも非現実すぎて、幼いダミアンから悲鳴も涙も生まれはしなかった。衝撃が感情の許容量を超えた時、人は激情を飛び越え無へと達する。


「護衛共は大したことはなかった。商人夫婦を切っても何も起こらないか」


 顎に手を当てながら、和装の男は一人で何やら思案する。狂気に支配されながらも、何らかの意図を持って男は行動している。


「……私が時間を稼ぐ。ダミアンだけでも逃げて」

「ローズ駄目だ」

「私はあなたの姉代わりだもの。私があなたを守る!」

「ローズ!」


 ダミアンの制止を振り切り、ローズは護衛が落とした剣を拾い上げ、思案を続ける和装の男に勇猛果敢に斬りかかった。残りは子供二人だと完全に油断している。ケビンの部下に剣術に指導をつけてもらった成果を見せる時だ。ケビンはいつだって誇り高く戦った。その背中に自分も憧れた。だから残された自分が、ダミアンを守り抜くんだ。ローズの瞳には、歴戦の戦士にも劣らぬ気迫が宿っていた。


「あるいは、妖刀はまだ使い手を見出しておらず、新天地を求めて猫を被っているだけか?」


 しかし、力の差は絶望的であった。男はなおも思案を続け、一度もローズの方を見ていないのに、感覚だけで刀を振るい、ローズの剣圧を易々と弾いてしまう。


「この!」


 ローズは構わず連続で男に斬りかかるが、男は片手間で全てを受け流していく。男にとってそれは、羽虫を払う程度の感覚でしかない。


「あああああああ!」


 攻撃を弾かれた勢いで、男の刀が剣を握るローズの右手に接触し、人差し指と中指が切断された。激痛にローズは堪らず剣を離してしまう。これは男が意図してそうしたわけではなく、よく見ていなかった起きた、ある種の事故に近い。


「あの子は私が守るんだ!」


 右手の指を失っても、戦士としての矜持を貫かんとするローズは決して折れなかった。激痛に耐えながら、健在の左手で剣を握り直し、三度男に斬りかかる。そんな少女の勇ましい姿は、それまで退屈そうだった男の感興を誘った。


「まだ少女だというのに、見上げた覚悟だ。それもまた一つという狂気というもの」


 思考を中断し、男は初めてローズへと向き直った。長身痩躯の幽鬼のような男は、見ているだけで心臓を握り潰されそうになる、死を具現化したかのような真っ黒な存在感を放っていた。死神が実在するのなら、正体は間違いなくこの男だ。ほんの一秒先の未来が自分にある自信さえもなかった。それでもローズは、決してその場から逃げ出そうとはしない。ダミアンを守れるのは、もう自分だけなのだ。


「ここから先には行かせない!」


 絶望的な状況にあろうとも、気迫だけならローズは負けていない。


「その覚悟をどこまで貫き通せるか。お前の表情が絶望に染まっていく様。さぞ見物だろうな」


 ローズが必死に守ろうとしている少年が、恐怖に耐え兼ね荷馬車に隠れようとする姿を和装の男の双眸が捉えたが、あえて今は関知しなかった。右手の指を失ってなお勇ましい、目の前の少女の心がどこで折れてしまうのか、嗜虐趣味の男が狂気の笑みを浮かべる。


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