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魔剣士狩り  作者: 湖城マコト
開封の章
158/166

幽鬼

 遠くで雷鳴が聞こえ、馬車の屋根に打ちつける雨音も強くなってきた。勾配のある丘陵地も相まって、乗り心地はあまりよろしくない。


「丘陵地を抜ければディクショネールまでは目と鼻の先だ。あと少しの辛抱――」

「ジャック隊長、馬車を急停車させます!」


 ジャックが言いかけた瞬間、御者のマイクが突然馬車を急停車させ、制動で馬車に乗っていたダミアンたちがバランスを崩す。


「掴まってダミアン」


 転倒しそうになったダミアンをローズが支える。母親のサンドラもジャックが支えて転倒は免れた。


「マイク、何事だ?」


 ジャックが御者のマイクへと問いかける。


「賊の襲撃かと思われます。先頭の一号車で戦闘が発生したようです」


 三台の馬車と馬を駆る傭兵部隊で構成された隊商のうち、先頭を行く一号車が動きを止め、遠目ではあるが、争い合う様子や怒号が聞こえてくる。襲撃が発生したのは明白だった。


「この一帯は治安が良く、賊の襲撃など滅多に起こらないと聞いていたのだがな」


 騒ぎを聞きつけ、殿を務めていた護衛隊長のケビンがジャックの馬車へと合流した。


「一号車はブラッドたちが護衛している。彼に任せておけば事態は直ぐに収拾するだろう。我々も周辺を警戒する。流れ矢に備えてジャックたちは馬車の中で待機していろ」


 ケビンが的確に指示を飛ばす。先頭の一号車を護衛するブラッドは護衛の副隊長で、実戦経験豊富な猛者だ。ケビン同様にジャックとも長い付き合いであり、抜群の信頼を寄せられている。賊の襲撃など恐れるに足りない。ブラッドが迅速に事を解決してくれることを誰も疑っていなかった。むしろ警戒すべきは混乱に乗じて、非戦闘員であるダミアンやサンドラが敵の手に落ちることにある。そのためケビンは、ジャックらが乗り込む最後尾の三号車を警戒していた。


「静かになった。ブラッドめ、流石の手際だ」


 剣戟や怒号が途切れ、雨音だけが丘陵地を支配している。襲撃発生から僅か数分。ブラッドたちが賊を撃退したのだとケビンは確信した。


「うわあああああああ!」

「何だこいつは!」


 安堵したのも束の間、先程よりも近くから、悲鳴と怒号が上がった。二号車から発せられたものだ。一号車が静まった直後に二号車から騒ぎが起きたとすれば、一号車が静まったのは賊を撃退したからではなく、一号車を襲撃した賊が二号車にも手を出したということだ。事態は切迫している。


「あのブラッドが敗れたのか……信じられん」


 ブラッドが健在なら、この状況を指を咥えて見ているはずがない。腹心の部下が戦死したという事実にケビンは歯噛みする。この一帯を凶悪な盗賊団が根城としている事実は無かったはずだが、ブラッドが敗北した以上、賊はかなりの大所帯で攻め込んで来た可能性がある。こちらも相応の覚悟で臨まねばならない。


「ジャック。ブラッドがやられたようだ。賊はかなりの手練れらしい。俺も部下を連れて二号車の加勢にいく。護衛を数名置いていくが、五分経っても俺が戻らなかったら、馬車でこの場から離脱しろ」

「……承知した。そうならないことを願っているよ」


 いつだって冷静沈着だったケビンの焦りの表情が、事態の深刻さを物語っていた。隊商の長として、長年の親友として、ジャックはケビンを信じて送り出すことしか出来なかった。


「パパ……」

「心配するなローズ。直ぐに戻るさ」


 不安気な娘の頭を、ケビンは優しく撫でてやった。


「護衛隊長として、皆は私が守り抜く」


 力強くそう言い残すと、ケビンは得物の長剣を手に、部下を引き連れて二号車の救援へと向かった。


 ※※※


「これは……」


 二号車に到着したケビンが目の当たりにしたのは、辺り一面鮮血で染まる地獄絵図だった。ジャックの隊商に所属する二号車に乗っていた商人や御者、その護衛にあたっていたケビンの部下。二号車の関係者全員が例外なく、個人の識別が困難なまでに全身を切り刻まれている。降りしきる雨が丘陵地に水の流れを生み、遺体から流れ出す鮮血と合流。現場はさながら巨大な血の川のようであった。より上流からも鮮血が流れてきているのが分かる。最初に襲撃された一号車周辺にも同じような光景が広がっているのだろう。


「やはり、俺を満たせるだけの使い手などそうはいないか」


 流血の中心では、雨では落とせぬ程に全身を血で染めた、着物を気崩した長身の男が一人で雨空を仰いでいた。男は伸ばし放題の黒髪から鋭い眼光と無精髭を生やした生白い肌が覗き、まるで幽鬼のような雰囲気であった。右手には、刀身から柄に至るまで、全体が白色をした打刀を一本携えている。そこから滴る鮮血が、和装の男が下手人であることを如実に物語っていた。


「貴様一人か? 他に仲間は?」


 只ならぬ雰囲気にも臆せず、抜刀したケビンが男に訊ねる。


「俺はいつだって一人だ。これまでも、そしてこれからも」

「何だと……」


 嘆くような男の返答にケビンは驚愕した。確かにこれ程の惨状にも関わらず、和装の男以外には賊の姿も気配や存在せず、犠牲者の体の刀傷も全て同一の凶器によるものであることも分かる。屈強な傭兵を連れた隊商を次々と血祭に上げる戦力と手際の良さから、訓練された未確認の盗賊団の犯行だとばかり考えていたが、和装の男の単独犯だとすれば話しは根本的に変わってくる。ものの数分でこの惨状を生んだのとすれば、男は紛れもなく怪物だ。


「……打刀から漂う禍々しい気。まさかそれは妖刀か?」


 歴戦の猛者たるケビンだからこそ、その正体に感覚で気付いた。死を纏ったような独特な禍々しい気配は妖刀のそれだ。魔石を核に生み出された魔剣。中でも東方の刀剣に似た形状のものは妖刀と呼称されている。


「いかにも」


 短く、そして絶望的な返答であった。狂気の魔剣士の襲撃など、想定しうる中でも最悪の事態だ。殺戮に興じる種類の狂人だったなら、男にとってこの襲撃は、散歩程度の意味合いしかないのかもしれない。これが当初想定していたような賊の襲撃だったならどんなに良かっただろうか。


「治安の良い地域を移動する、比較的安全な商談のはずだったんだがな」


 魔剣士の襲撃など予見不可能な自然災害のようなもの。治安の良い地域で遭遇してしまったことはあまりにも不運だった。だが、護衛隊長として、一人の父親として、ケビンには譲れないものがある。非戦闘員である娘のローズや親友のジャックの一家が乗った馬車に、凶刃を及ばせるわけにはいかない。


「護衛隊長として、ここから先は死んでも死守する。ローズやジャックの元へ貴様を行かせはしない!」

「その意気や良し。もっと俺を楽しませろ!」


 刺し違えてでも魔剣士を止める。勇猛果敢なケビンを筆頭に、仲間の仇討ちに燃える護衛部隊の傭兵総勢18名が、決死の覚悟で魔剣士へ斬りかかった。



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