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魔剣士狩り  作者: 湖城マコト
暴食の章
151/166

母と母

「食堂はどこだったかな?」


 ダミアンが裏の倉庫を探索していた頃。ソニアは水を一杯いただきに、一階へと下りていた。小規模とはいえ元は宿だけあって普通の屋敷より広い。視界も悪く迷子になっていた。


「今日もお腹いっぱい食べられて良かったわね。嵐のお陰で今日は大収穫。これでしばらくはダンテのご飯に困らないわ」


 ――アンナリーザさんの声?


 薄明りの廊下を進んでいると、明りが漏れる奥の部屋から、アンナリーザが誰かに語り掛けているのが聞こえてきた。アンナリーザには子供がいるという話だったし、眠りが浅く、目を覚ましてしまった我が子の話し相手になってあげているのだろうとソニアは察した。


 アンナリーザの穏やかな語り口が微笑ましい一方で疑問が一つ。嵐のお陰で大収穫というのはどういう意味だろうか? 文脈から察するに食べ物の話だとは思うが、嵐はむしろ収穫の大敵。意味が結びつかなかった。


 最初はアンナリーザに台所の場所を尋ねようかとも思ったが、自分にも子供がいる立場上、親子の時間を邪魔するのは気が引ける。そのまま引き返すことにしたのだが。


「誰かいるの!」


 古いせいか、踵を返すと同時に床がギシギシと鳴り、その音を過敏に拾ったアンナリーザが声を荒げた。子供に優しく語り聞かせていた様子とのギャップに驚き、ソニアの身が一瞬竦む。


「お、驚かせてすみません。私です、ソニアです。お水を頂こうかと思って一階へ下りてきたら、迷ってしまって」


 慌てて経緯をソニアが説明すると、ガチャとアンナリーザが部屋のドアを開けた。


「こちらこそごめんなさいね。普段は子供と二人暮らしだから、つい物音に敏感になってしまって」


 苦笑を浮かべて扉から顔を出したソニアには、声を荒げた際の厳しさは消えていた。アンナリーザの言い分はもっともで、宿を恵んでもらっている立場としては、家主を驚かせてしまったことを申し訳なく思う。


「お水だったわね。こちらよ」

「場所だけ教えて頂ければ自分でやりますよ」

「お客様を持て成すのは家主の務めですもの。さあさあ、遠慮しないで」


 異論を認めず、アンナリーザは半ば強引にソニアをその場から連れ出した。いくら以前は宿を営んでいて人を持て成すのに慣れているとはいえ、水一杯でここまで世話を焼くのは流石に過剰ではとソニアも違和感を抱いたが、持て成されている側としては無碍にも出来ず、結局言葉には出さなかった。


 強い違和感はもう一つ。図らずも親子の会話に水を挟み、母親であるアンナリーザを借りてしまったというのに、部屋の中にいるであろうアンナリーザの息子、ダンテは恐ろしい程に静かだ。何歳ぐらいなのか分からないが、母親とのやり取りの途中だったのだし、騒がないにしても、興味本位で顔ぐらい出しても良さそうなものだが、そんな気配はない。そもそもアンナリーザの声がしただけで、ダンテ自身の声は一度も聞いていない気がする。


 ソニアはもう一度部屋の方向へ振り向きたい衝動に駆られたがグッと堪えた。アンナリーザの案内は口頭で、ソニアの前ではなく後ろ側にいる。今振り向けばアンナリーザと目が合ってしまうが、何となくそれは止めておいた方が良いような気がした。


「もしよろしければ少しだけお話し相手になってくださいませんか? こんな夜ですから、何だか目が冴えてしまって」


 食堂に明かりを灯すと、アンナリーザは水差しからグラスに水を注ぎ、ソニアへと手渡した。


「私でよければ喜んで。主人はもう寝てしまいましたし」


 馬車の操作で気を張っていたジョナタは、ソニアが部屋を出る頃にはもう寝息を立てていた。一方でソニアは、アンナリーザ同様に嵐のせいかどうにも寝付けず目が冴えていた。話し相手が欲しかったのはソニアも同じだ。


「今では住んでいる方もかなり減ってしまいましたが、この地域にも以前は村があり、それなりの人口がいたんですよ。あんなことさえなければ、今でも細やかな営みは続いていたでしょうに」


「何があったんですか?」


 ソニアは行商の旅で偶々立ち寄った身だ。地域の事情には詳しくない。


「もう五年になりますか。今回よりももっと大きな嵐が襲ってきて、一帯が深刻な被害を受けたんです。人的被害や家屋の倒壊もそうですが、何よりも深刻だったのが収穫目前だった畑が全滅したことです。カーゾ領全体が被害を受けたこともあり、小さな村への支援は後回しとなり、村は酷い飢饉に見舞われることになりました。領の支援の手が届いた頃には、村の人口の七割が失われていました。そうなれば、もう村としての形を維持していくことは難しい。人手が減ったことで農耕の再開も難しく、生き残った住民も次々とこの地を離れていきました。村は自然消滅し、今となっては我が家を含め、数件が細々と残っているだけです。村が無くなり、人の行き来が激変したのを機に、私も宿を閉じることにしました」


「飢饉の時は、アンナリーザさんもここに?」


 この地でずっと暮らしている以上、アンナリーザも飢饉の渦中にいたはずだ。聞きづらい話題ではあったが、こうして健在である以上、アンナリーザは飢饉を無事に生き伸びたことになる。


「はい。顔馴染みも何人もお亡くなりになり、本当に酷い時代でした。私も満足に食べられたとは言えませんが、幸いにも宿でしたので、食料の備蓄に救われました。亡くなった方々のことを思うと、素直に喜んでいいものか複雑ではありますが」


「余所者の私が軽々に言えることではありませんが、生きて未来へ繋げたことは恥じることではないと思います。飢饉を乗り越えた後も、お子さんを一人で育て上げて、本当に立派だと思います」


「ありがとう、ソニアさん。あなたと会えて本当に良かったわ。宿をやっていた時と違って、今はなかなか同年代の女性とお話しをする機会もなくて。こんなに楽しいのは久しぶりよ」


「私も、この地でアンナリーザさんと会えて良かったです。宿を恵んでいた頂いたことを本当に感謝しています。明日には屋敷を発ちますが、いつかまたきっと会いにきますから」


 ソニアは、一度でもアンナリーザに不信感を覚えた己を恥じた。今は心からアンナリーザの心に寄り添おうとしている。飢饉に見舞われた過去があれば、警戒心が強くなるのも当然だし、同時に困っている旅人に厚意をかけてくれる優しさが身に染みる。自分が辛い経験をしたからこそ、人に優しく出来るのだろう。


「ねえソニアさん。お腹いっぱい食べられるって、とても幸せなことよね。飢饉の時には息子のダンテにもひもじい思いをさせてしまった。幸いにも今は食べる物に恵まれているから、あの子を満腹にしてあげることが出来るわ」


「そうですね。子供が食べる物に不自由しないというのは、何も勝る幸福だと思います」


「あなたならそう言ってくれると思ったわ」


 心底嬉しそうにアンナリーザはソニアの両手を取った。


「遅ればせながら、是非とも息子のダンテを紹介させて。あの子もきっとあなたのことを気に入ると思うから」


「お気持ちは嬉しいですが、こんな夜更けですし息子さんに悪いですよ。もしかしたら眠り直したところかもしれませんし」


 唐突だし、子供を第一に考えるソニアがこんな夜更けに子供を紹介すると言いだしたことには違和感があったが、熱意の現れと思っただけで、不審とまでは思わなかった。


「大丈夫よ。そこで待っていて。今すぐダンテを連れてくるから」

「ちょっと、アンナリーザさん」


 呼び止めも聞かず、アンナリーザは早足で子供部屋の方へと向かっていった。猪突猛進というか、アンナリーザはどうにも思い立ったら直ぐに行動に移してしまう傾向があるようだ。後を追ってまで断るのも失礼な気がして、ソニアは大人しく食堂で二人が来るのを待つことにした。突然のことではあったが、アンナリーザの子供を紹介してもらえるのは楽しみだ。


「お待たせ、ソニアさん。紹介するはこの子が私の息子のダンテよ」

「……アンナリーザさん? 息子? えっ? だけど、それって」


 一人分の足音を立ててソニアが食堂に戻ってきた。廊下側へと振り向いたソニアの顔が困惑と恐怖に青ざめていく。アンナリーザが息子と呼ぶ両手で持つそれは、長剣並の刃渡りを誇る、分厚くて巨大な包丁だった。


 形状だけならば、大きな肉を解体するための特別製の包丁で納得出来なくもないが、それには明らかに包丁ではない、器物であるかどうかさえも怪しい、異様な特徴を備えていた。刃や峰の至る所に、すり鉢状の歯を持つ平たい口が存在し、まるで生きているかのように開閉を繰り返しているのだ。包丁という器物の外見に生物のような特徴が複合されている。あまりにも奇妙な物体だ。


 そして巨大な包丁の存在感以上に強烈な印象を放っているのが、その包丁を息子と呼び、可愛がるように頬ずりを繰り返すアンナリーザの狂気じみた姿だ。


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