不思議な関係
「はい。おっちゃんの分。大した持て成しも出来なくてごめんね」
日が暮れて、再び眠りから目覚めたアキレスに、ララは縁が所々欠けたお椀とスプーンを差し出した。負傷したアキレスでも消化が良いように、穀物を煮詰めて作った粥に、栄養価の高い薬草を煎じて加えてある。思えば丸一日以上何も食べていない。アキレスは文句は言わず、素直にそれを受け取った。
「お前は食わないのか?」
「あたいはおっちゃんが寝ている間に食べたから気にしないで」
ララは笑顔でそう言ったが、痩せ細った体からはまるで説得力が感じられない。普段から切り詰めて食事をしているにも関わらず、今日は大柄な居候のために、自分の分まで調理に使っていた。
「そうか。なら遠慮なく食うぞ」
分けてやろうとは思わず、アキレスは粥にがっついた。貴重な食料をアキレスに提供したのも、自分が食べなかったのもララの勝手。遠慮する義理などない。
「頭の包帯。俺が眠る前は巻いてなかったよな?」
アキレスは豪快に粥を平らげると、目覚めた時から気になっていたララの変化を尋ねた。額の右側には、包帯の下に薄らと血が滲んでいる。
「ああ、これね。村に買い物に行ったら、悪ガキ共に石を投げられちゃってさ」
あっけかんとした様子でララは苦笑する。その言葉を聞いたアキレスの頭に真っ先に過ったのは、ララが見せた痛々しい背中だ。
「体の傷もか?」
「うん。これまでの積み重ね。子供の投石なんてマシな方かな。昔、松明で殴りつけてきた爺さんとかもいたし」
「頭の中お花畑のガキかと思ったが、お前も俺に負けず劣らずのろくでなしか?」
言葉とは裏腹に、アキレスの発言に冗談めかした気配は感じられない。ララのような少女が村から酷い迫害を受けている。大量殺人鬼であるアキレスから見ても、これは異常なことだ。
「あたい自身が何かをやらかしたんだったら、まだ開き直れたんだけどね。昔々、顔も知らないご先祖様が村で何かをやらかしたみたいでさ。あたいの一族は代々鼻つまみ者さ。そんな生活に耐え兼ねて、母親もあたいを置いて蒸発しちまった。それ以来、あたいはずっと一人ぼっちだ」
「母親はどうしてお前を連れて行かなかった?」
「さあね。夢見がちな人だったし、外の世界に飛び出していく上で、あたいの存在が重荷だったんじゃない? それか、安全に村から離れるためには、罪人の一族を一人ぐらい残しておいた方が確実とでも思ったのかも」
どちらにせよ、あまりにも救いようの話だ。唯一自分を守れる存在であったはずの母の裏切りに大して感情を含ませず、淡々と事実として語るララの姿が逆に痛々しい。
「まったく。顔も知らないご先祖のせいでとんだ迷惑だよ。まあ、そういう立場に生れ落ちゃったんだから仕方がないけどさ」
「下らねえ」
「そうだね。ごめんごめん、おっちゃんにこんな退屈な話」
アキレスからしたら退屈極まりない話だ。ついつい身の上を語ってしまったことを詫びて、ララが適当に話を切り上げようとする。
「大昔の先祖を理由に暴力を振るう奴らも、子供に責任持たねえ母親も、もちろんてめえも、話に出てくる奴ら全員下らねえ」
「おっちゃん?」
話そのものではなく、そこに登場した人物全員にアキレスが怒りを向けたことが、ララには意外だった。
「先祖の罪なんざ、理由がなきゃ暴力も振るえない貧弱共の言い訳だろう。理由なんて何でもいい。村の中に一人、悪意を向ける対象を作ることで憂さ晴らししているだけだろう。物事が上手くいかないのはそいつのせいだってな」
アキレスは魔剣を手にする以前から苛烈な人生を歩んで来た。それ故に悪意の気配には敏感だ。悪者を作ることでそれ以外の者の結束を高め、心の安寧を維持する。閉じた世界には時々、そういった状況が生まれるものだ。
「てめえも、先祖が罪人だからと今の状況を受け入れてるんじゃねえ。罪ってのはな、犯した奴だけの特権なんだよ。暴言を浴びせられる、石を投げられる、果てには後ろから刺される。それは罪を犯した者だけが味わえる特別なものだ。自分は何もしちゃいねえてめえにはその資格はねえ。先祖が犯した罪なんざ、犬の糞よりも下らねえよ」
時折体の痛みに目を細めながらも、アキレスは息も入れずに捲し立てた。感情的かつ暴力的でまったく品のない言葉。それでも、今のララにはその言葉はとても優しく聞こえた。
「おっちゃん、もしかしてあたいのことを慰めてくれてる?」
「馬鹿か。誰がてめえみたいなガキを慰めるか。言っただろう。てめえも含めて、話に出て来た連中全員にムカついただけだ。俺は堪え性がないんでね」
「堪え性がないって自覚はあったんだ。声を荒げる度に顔を顰めてさ、自覚ないのかと思ってたよ」
「うるせえ! ああ、いてええ!」
言った側から声を荒げて痛みに悶えている。だんだんとアキレスの扱い方が分かってきたようで、ララは微笑みを浮かべた。
「……とにかく、てめえは自分の立場を受け入れるんじゃねえぞ。それは先祖の罪なんて下らない理由でてめえを玩具にしている連中と同類だってことだ」
「あいつらと同類にされるのは、確かに嫌だな」
それまではどこか諦観していたララが、初めて本音を口にしたような気がした。
「先祖の罪如きで石を投げられてたら、俺なんかこれまでに百万回は殺されてる。まあ、この傷を見れば分かる通り、死神はいよいよ本気で債権回収にやってきたようだが」
「おっちゃんてさ。やっぱり悪い人なの?」
聞くなら今かしかないとララは思った。親にも見捨てられた自分に、生まれて初めて救いとなる言葉をかけてくれた人。アキレスがどういった人間なのかを、もっと深く知りたいという気持ちが強くなっていた。
「超がつく極悪人さ。これまでに何百人も殺してきた。そんなろくでなしが重症を負い、いよいよ年貢の納め時かと思いきや、こうしてしぶとく命を拾った。運命は俺に味方しているとしか思えねえ。極悪人の俺がこれだぜ? てめえの置かれた状況なんて馬鹿馬鹿しく思えてくるだろ」
溜めも焦りもなく、アキレスは常識のようにさらりと言ってのける。元より隠しておくつもりなどなかった。
「そうだね。おっちゃんが言うと何だか説得力あるよ」
微笑むララの瞳には微かに涙が溜まっていた。
何百という殺害人数は流石に想像以上だったが、アキレスが人殺しであることは察していたので驚きはない。それよりも、秘密を秘密のままにしておいてもよかったものを、まるで慰めるかのように自分の正体を引き合いに出したアキレスの不器用な振る舞いが、胸を打った。
「……俺も焼きが回ったな。こんなガキ相手にムキになって」
頑なに素性を明かさなければ、ただの口の悪い荒くれ者で通せたかもしれないが、大量殺人を明かしてしまった今、この家に居続けることは難しい。しかし、重症を負ってまともに動き回ることも出来ない今の状態では、逃げることも、応戦することも出来ない。誰かに居場所を知られたその時点でお終いだ。アキレスの運命は今、ララが握っている。
「通報するなり何なり、好きにしろ」
ララが自分を突き出すなら、それはそれで構わないとアキレスは思った。それでララを恨もうとも思わない。重傷を負って身動きが取れないのは、犯した罪と己の実力不足が招いた結果。その責任は自分自身のものだ。ララに罪とは犯した者の特権だと説いたように、極悪人には極悪人なりの美学がある。
往生際は悪いので、もちろん無抵抗のまま捕らえられるつもりはない。重傷を負った状態で何人殺せるか、人生の最後に己に課すのも一興だろう。
「そんなことしないよ。おっちゃんが最初に目を覚ました時に言ったでしょう。過去なんて関係ない。何を言われたって怪我人を放りだすような真似はしないって」
「お前、俺が怖くないのか? 何百人も殺した凶悪犯だぞ」
ララの、怪我人を放ってはおけないという思いは出会った時から一貫している。そのことに今更意見を挟むつもりはない。それよりも、どうしてララという少女は極悪人を前にしても自分を貫いていられるのか、アキレスにとってはその方が疑問だった。何も積極的に悪名を轟かせようとしていたわけでもないが、ここまで怖がれないのというのも、悪人としては複雑なところだ。
「大怪我してまともに動けないおっちゃんの何をそんなに怖がれってのさ。おっちゃんが人殺しなのは本当だろうけど、殺した瞬間を見ていない以上、あたいの中でのおっちゃんの印象はずっと出会った時のままだしね。強いて言うなら、面構えは凶悪そのものだけど」
「一言多いんだよてめえは」
怖い顔なのは自覚しているが、こればかりは、狂気の道に足を踏み入れる前からの生まれ持ったものだ。殺人を重ねることで面構えにも変化があったかもしれないが、それでも昔からそんなに変わっていないとアキレス自負している。殺すという行為にそこまで大きな感慨を抱いたことはない。面構えになど大して影響していないはずだ。
「……俺が怖くないとお前は言うが、怪我から回復した俺がお前を殺すとは思わないのか? 俺の存在を把握しているのはお前だけだ。お前さえ始末すれば、俺は誰にも気づかれることなくこの土地を離れられる」
「その可能性は考えてなかったな。おっちゃん、元気になったらあたいのこと殺すの?」
質問したつもりが、質問で返されてしまった。それも、幼子が大人に赤ちゃんはどこからやって来るのかと問いかけるような、とても純粋な瞳で。
「……た、例えで言っただけだ」
まさか問い掛けが自分に返って来ると思っていなかったアキレスは咄嗟に答えが出ず、曖昧な言葉を返すことしか出来なかった。結局のところ、可能性を考えていなかったのかはアキレスも同じだった。
「そっか。それじゃあ大丈夫そうだね」
悪戯っ子のようにララは歯を覗かせて笑った。どうやら今回はララの方が一枚上手だったようだ。
「……まったく、つくづくムカつくガキだぜ」
口で負かされたのが相当恥ずかしかったらしい。アキレスは悔しそうに口を曲げ、ララと視線を合わせないように右腕で目を隠した。実際には違うが、絵面だけだと悔し泣きのようにも見える。
「あれ、おっちゃん拗ねちゃった?」
「ガキじゃねえんだ。誰が拗ねるか。そもそも、いつもおっちゃんおっちゃん言いやがって。俺にはアキレスって名前があるんだよ」
思えば、殺人鬼であるという重大な秘密を口にしたも関わらず、未だに名前を明かしていなかった。
「そう言われたって、おっちゃんの名前なんて今初めて聞いたもの。今まで名乗らなかったおっちゃんが悪いでしょう」
「名乗ったのにまだおっちゃん呼びじゃねえか」
「それを言うなら、初対面でちゃんとララって名乗ったにも関わらず、ガキ、てめえ、お前、としか呼んでくれないおっちゃんの方が悪質でしょう。おっちゃんがあたいのことララって呼ぶまで、あたいもおっちゃんのこと名前で呼ばないからね」
「上等だガキ。てめえなんてガキで十分だガキ」
「それじゃあ、あたいも遠慮なくおっちゃんって呼び続けますー。おっさんじゃなくておっちゃんって、可愛く言ってあげてるんだから感謝しなさいよ」
お互いに言葉がヒートアップしていったが、不思議とアキレスは嫌な気持ちにはならなかった。これまで、口喧嘩が出来る相手なんて存在しなかった。ムカつくと思ったら直ぐに斬り殺していたから。なのに今はどこか、この口喧嘩のやかましさが新鮮で楽しい。




