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魔剣士狩り  作者: 湖城マコト
気まぐれの章
140/166

ララ

「……どこだ、ここは?」


 意識を取り戻したアキレスが最初に目にしたものは、隙間から太陽光が漏れるあばら家の天井だった。


 魔剣士狩りから逃れるために滝へと飛び込んだこと。直後に魔剣士狩りの顔面に斬撃を命中させて、一矢報いたところまでは覚えている。だが、その後の記憶がどうにも曖昧だ。


 ――そうだ。俺は一か八か、斬撃で。


 意識の覚醒と共に、記憶が徐々に鮮明となってきた。


 アキレスは滝つぼへと転落する直前に、最後の力を振り絞り、水面目掛けて置代剣シュレッケンラーゲの能力で斬撃を発生させ、落下の勢いを相殺させようと試みた。斬撃を発生させると同時に力尽き、水面へと着水する寸前で意識を失った。そこで自分の生は終わったのだと思っていたが、こうして意識が覚醒した以上、どうやらしぶとく生き残っていたらしい。


「あっ。おっちゃん、目覚めた?」

「誰だ――痛っ!」


 突然発せられた第三者の声。驚きと警戒でアキレスは咄嗟に体を動かそうとしたが、腹部と胸部に痛みが走り、まともに上体すら起こすことが出来なかった。


「駄目だよ動いちゃ。重傷なんだから」


 苦痛に顔を顰めるアキレスの顔を、白髪の少女が覗き込んだ。子を叱る母親のように顔を顰め、口を尖らせている。状況に理解が追いつかず、アキレスは柄にもなく目を丸くした。


「ガキ? なんでガキが?」

「ガキじゃない。あたいはララだ」


 多くの人間を殺してきた殺人鬼だと知らないとしても、大柄で目つきの鋭いアキレスを前にしてもララは動じず、堂々としている。しかし佇まいとは裏腹に、ララの体は風が吹けば倒れてしまいそうなぐらいに小柄で痩せていた。外見だけだと十二歳前後に見えるが、実際にはもう少し年齢が上なのかもしれない。


「びっくりしたよ。川辺を歩いていたら人が流れ着いているだもの。家が目の前だから良かったものの。あたい一人で運ぶの大変だったんだからね」

「お前が、一人で?」


 上体は起こさず、アキレスは首の動きだけで自分の体を見ると、簡素ではあるが傷口には布が宛がわれ、その上から包帯が巻かれていた。素人の処置なので止血にはやや不十分だが、何も処置されないよりはかなりマシだ。


「……これもお前が?」

「そうだよ。まったく、人が流れ着いただけでも驚きなのに、酷い怪我まで負ってるし。素人の処置だし、正直このまま死んじゃうんじゃないかって思ってた。意識が戻って本当に良かったよ、おっちゃん」


 険しい表情が続いていたララが、初めて安堵の表情を見せた。アキレスが意識を取り戻すまで丸一日。ララは小柄な体で止血をしたり、包帯を変えたりと、大柄なアキレスを必死に看病していた。これでようやく一安心だ。


「そうだ! 俺の剣――痛っ」


 意識が戻ったばかりで失念していたが、滝から落ちた末にここまで辿り着いたのだとしたら、代置剣シュレッケンラーゲはどうなったのか。手探りで辺りを探ろうとするが、腕を少し動かしだけでも傷に激痛が走る。


「こらっ! せっかく人が安心したところでまた無茶を」

「黙れ。あの剣は大事な物なんだ。探さないと」

「分かったから落ち着きなよ。ほら、おっちゃんの剣ならあそこに置いてあるから、安心して」


 自分の目で確かめなくては納得しなそうなので、ララは上体を起こそうとするアキレスを支えながら、部屋の隅に置かれている机を指差した。そこにはアキレスの得物である、代置剣シュレッケンラーゲが鞘へ納められた状態で置かれていた。


「流れ着いた時、おっちゃんはあの剣を握りしめてたんだ。大事なものかと思って、打ち上げられてた鞘と一緒に回収しといたよ」


 ララが誇らしげに言うと、アキレスは安堵の溜息を漏らしながら、脱力するように横たわった。魔剣を失ってしまったら、ただの死にぞこないになるところだった。


「お前、あの剣と鞘を回収したと言ったか」

「そうだよ。回収しない方がよかった?」

「……いや」


 目を伏せて、アキレスは少しだけ首を横に振った。


 見知らぬ少女に命を救われたこともそうだが、彼女が魔剣に触れても無事だったことが何よりも驚きだった。魔剣は適合する者以外が使おうとすると容赦なく牙をむき、時には命を奪うこともある。適合者不在の状況ならばまだしも、アキレスという明確な適合者がいる状態で魔剣を手にしたにも関わらず、ララには危害が及んだ様子はない。


 代置剣シュレッケンラーゲが、現在の所有者であるアキレスの生存のためにララの存在が必要だと判断し、彼女との接触を許容した可能性もあるが、シュレッケンラーゲがそこまで情に厚いとはアキレスには思えなかった。もちろん、もっとシンプルな理由である可能性もあるが。


「……どうして俺を助けた?」


 自分の置かれた状況が理解出来たところで、アキレスは初めてララに興味を示した。素直に感謝など出来ない。圧倒的に困惑が勝っている。素性を知らないとはいえ、剣を所持した、どう見ても堅気ではない重症の大男を発見したら、普通は関わり合いになろうとは思わないはずだ。


「傷だらけの人がいたら、助けてあげるのは当然だよ」

「……当然じゃない」


 感情的に叫ぶは体力は無かったが、そんなものは偽善だとアキレスは心で悪態をつく。


「あたいにとっては当然なの。誰だって痛いのは嫌じゃん。痛い時は助けてもらいたいじゃん」

「頭の中お花畑かよ」

「そうでもないよ。ただ、辛い現実を知っているだけ」


 アキレスは鼻で笑ったが、ララは感情的に反論することはせず、微笑を浮かべながらアキレスに背中を向けた。すると突然、着ていた服をその場で脱ぎ捨てた。


「お前……」


 大勢を手に掛けていた殺人鬼さえも、直ぐには二の句を告げなかった。


「傷つくのは嫌なものだ。あたいはそれを誰よりも知っている。誰もあたいのことを助けてはくれないけどさ、せめてあたい自身は、傷ついた人がいたら手を差し伸べられる人間でありたいんだよ。ただそれだけさ」


 痩せたララの背中は、痕になった古傷から生々しい真新しい腫れまで、打撲傷だらけであった。古傷の中には刃物傷や火傷らしき痕も見受けられる。事故や不注意ならこのような多岐に渡る傷跡は生まれない。これらは明らかに人為的な外傷だ。


「だとしたら、俺なんかを助けたのは失敗だったな」


 たまらずアキレスは嘲笑を浮かべた。アキレスはこれまで多くの殺人を犯してきた、傷つける側の人間だ。傷つくことの恐ろしさを知っている少女が、傷つけることしか知らない狂人を、同類と哀れみ手を差し伸べた。皮肉にも程がある。


「その口振りだと、おっちゃんはろくでもない人間みたいだね。だけど、あたいはおっちゃんを助けたことを失敗だとは思わないよ。例えおっちゃんが殺人犯だろうが、逃亡犯だろうが、ただのおっちゃんだろうが、過去なんて関係ない。あたいはただ、目の前で苦しんでいる怪我人を救いたいと思った。それだけのことだよ」


 顔色一つ変えずにララは平然と言ってのけた。凶悪犯である可能性を考慮してもなお揺らぎない信念。男でも女でも、子供でも老人でも、貧しい者でも富める者でも、悪人でも善人でも。ララという少女は、傷ついた相手に対してどこまでもフェアであった。


「後悔しても知らないからな。俺はきっと、お前が思っている以上のろくでなしだ」


「安心して、何を言われても怪我人を放りだすような真似はしないから。だからさ、気が向いたらおっちゃんのことを何か話してよ。こんな辺境に住んでると外の世界には疎くてさ。純粋に興味もあるんだよね」


「変わった奴め……疲れたから俺は寝直す」

「うん。ゆっくりお休み。起きる頃までには何か食事を用意しておくから」


 ララがアキレスに敷布をかけようとすると、アキレスはそれを乱暴に奪い取り、頭まですっぽりとかぶった。結局、気が向いたら自分のことを話してくれというララの言葉にも強く反論することも出来ず、都合が悪いから休むという体で話を断ち切ったようにしかみえない。まるで子供のふて寝である。


「子守歌でも歌おうか?」

「うるせえ! 痛っ! ああ、ちくしょう!」

「こら、騒ぐと傷に障るでしょう!」


 母親のように言いつけると、それ以降はアキレスも静かになった。いちいち感情的に言葉を発して痛い思いをするのは、流石に不毛だと悟ったらしい。


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