魔剣士アキレス
「諦めろ。お前の凶行はここで終わりだ」
大きな滝へと流れる川の岸辺で、魔剣士狩りのダミアンは一人の魔剣士と相対していた。
魔剣士の名はアキレス。眼光鋭い長身の男で、革鎧から覗く筋肉質な右腕には、特徴的な山羊の頭蓋骨のタトゥーが施されている。各地に出没し、行く先々で本能のままに魔剣を振るい、殺戮を繰り返していた凶悪犯だ。
一カ月前からアキレスの行方を追っていたダミアンはついに、近隣のカスカーダ村で犯行に及ぼうとしていたアキレスと遭遇し、即座に戦闘へと発展。一般人への被害を避けるために、ダミアンが巧みにアキレスを滝まで誘導し、現在の状況へと至る。
「そいつは困るな。まだまだ殺したりないんでね!」
アキレスが右手に握る重量のある刀剣、タルワールを振るった瞬間、水辺にいたダミアンは即座に後方に跳んだ。それまでダミアンがいた地点に斬撃が発生し、衝撃で水飛沫が舞った。なおもダミアンに次々と斬撃が襲い掛かり、ダミアンは足を止めることなく回避行動を取り続ける。
ダミアンの技「時遠弩」のように斬撃を飛ばしているわけではない。その瞬間、その場所に斬撃が発生しているのである。どのような達人の剣技でも、斬撃を飛ばすのではなく、遠くに突然発生させることなど不可能だ。これはアキレスの魔剣が持つ非常に厄介な能力である。
魔剣の名は代置剣シュレッケンラーゲ。視覚に捉えている範囲ならば、どんな距離、どんな場所にでも即座に斬撃を発生させることが出来る、非常に攻撃的な能力を持っている。アトラス自身が視力が優れていることも相まって、攻撃の射程は脅威の一言に尽きる。加えてその場に斬撃が発生しているため、斬撃や飛び道具のように、接触までのタイムラグも存在しない。
しかし攻撃的とはいえ、代置剣シュレッケンラーゲの能力は決して万能ではない。発生させる斬撃は、あくまでもシュレッケンラーゲそのものを振るうことで生じる。そのため、一撃一撃をその場でしっかり行わねばならず、同時に複数個所に斬撃を発生させたり、自身の剣技を上回る速度で連発することは出来ない。実際、発生する斬撃は一撃ずつなので、ダミアンは動き続けることで全ての斬撃の回避に成功している。
「おいおい。これだけ振れば普通は一撃ぐらい当たるだろう」
大概の相手は、代置剣シュレッケンラーゲの能力を見切れずに初見で即死する。勘や反射神経がよく、回避する者も稀に存在するが、時間差無しで生じる斬撃を完全に見切ることは出来ず、連続で回避している間に必ず綻びが生じ、どこかで致命傷を受ける。だが、ダミアンの動きはこれまで相手にしてきたどの相手とも違う。動き続けてはいるが、ガムシャラではなく、あくまでも最小限の動きで斬撃を回避しつつ、確実にアキレスとの距離を詰めてくる。
世情に疎いアキレスは知る由もなかったが、目の前にいる男は、数多の魔剣士を倒してきた魔剣士狩り。これまでにアキレスが重ねてきた犯行の状況から、凶器が代置剣シュレッケンラーゲであることは予測済みだった。圧倒的な経験値に加えて、魔剣の特性まで理解している相手が、一筋縄でいくはずがない。
「時遠弩」
「斬撃を飛ばすだと?」
アキレスの斬撃と斬撃の合間を縫って、ダミアンが斬撃を放った。野生の勘でアキレスは咄嗟に右方向に跳んで直撃を回避。仕組みは異なるが、自分以外にも離れた位置から斬撃で攻撃出来る人間がいることに驚きを禁じ得ない。
咄嗟の回避と動揺で、この一瞬、アキレスは斬撃で攻撃することが出来なかった。ほんの僅かな時間だが、俊足を持つダミアンが距離を詰めるには十分だった。
「距離さえ詰めれば、後は単なる剣戟だ」
首を狙ったダミアンの一撃を、アキレスは代置剣シュレッケンラーゲの刀身で受け止めた。距離を詰められてしまえば、能力の利点はほとんどなくなる。刃の届く範囲ならば、直接切りつけるのと大差ないためだ。
「上等だ。俺が魔剣の能力に依存しただけの雑魚と思うなよ」
重量級であるタルワールを操る怪力で、アキレスはダミアンの体を弾き返した。魔剣を手にする以前から、アキレスは剣術で殺戮を繰り広げていた男だ。そもそも斬撃を任意の位置に発生させる代置剣シュレッケンラーゲの破壊力は、使い手の剣技に依存している。それを使いこなしている時点で、アキレスの自力は相当なものだ。
防戦一方などらしくないと、今度はアキレスが強烈に刀身を振り下ろした。好機と見たダミアンは防御ではなく回避を選択。最小限の足の運びで体を数センチ逸らし、靡いたジャケットの裾を刃が掠めるギリギリの位置で左に避けた。
「早いが見切れぬ程ではない」
「……やってくれるな」
ダミアンはそのまま零距離で、アキレスの腹部に乱時雨の刀身を突き刺した。アキレスが吐血し、表情に苦悶が浮かぶ。致命傷を与えるべく、ダミアンはそのまま刀身を体の外へと斬り進めようとしたが。
「やらせるかよ!」
咄嗟の判断で、アキレスは口内に溜まった血液をダミアンの目に向けて吐きつけた。視界が赤に染まり、ダミアンの動きがほんの一瞬だけ鈍る。その瞬間をアキレスは見逃さなかった。
「おらあ!」
アキレスはダミアンの腹部へと強烈な喧嘩キックを叩き込んだ。如何なる時も乱時雨を手放さない癖が災いし、後退したダミアンの右手に握られたまま、乱時雨の刀身がアキレスの腹部から抜けた。体を貫通する刺し傷は決して軽くないが、体を大きく切り裂かれるよりは遥かにマシだ。蹴りの衝撃で刀身を引き抜く行為は大きな賭けだったが、生きるか死ぬかの瀬戸際で迷うことなく賭けに出て、しかもそれを成功させるあたり、アキレスはなかなか勝負強い。
だが体を貫いてた刀身が抜けたことで、腹部からは大量に出血している。勝ち目には程遠い、僅かな延命に過ぎない。加えて魔剣士狩りのダミアンは、決して攻撃の手を緩めてはくれなかった。
「時遠弩」
「野郎……」
目元の血を拭ったダミアンが、距離が取れたことを利用して即座に斬撃を飛ばした。重傷を負って動きが鈍ったアキレスは体の正面に直撃を受け、袈裟切りに大きな刀傷が刻まれた。重傷が重なり出血量も増大。足元が覚束なくなる。
「……このままやり合っても分が悪い。だったら一か八か」
危機的状況にあっても、アキレスは口元に笑みを浮かべていた。先程の咄嗟の判断に続き、早くも二度目の賭けだが、何もせずに敗北するよりは遥かにマシだ。
「てめえに殺されるぐらいなら、いっそど派手に大ジャンプと行こうじゃねえか!」
アキレスは負傷を押して、ダミアンに背を向けて全速力で駆けだした。二人が戦っていたのは大きな滝へ流れ込む川沿い。アキレスの進行方向には、急降下する大瀑布が待ち受けている。
滝つぼまでは数十メートルの高低差がある。健常な状態でも自殺行為だが、アキレスは刺し傷と袈裟切りで大量に出血している状態だ。飛び込めばまず助からない。それでも、この場でダミアンと戦い続けるよりは、まだ生存の可能性があるとアキレスは判断した。人生最大の博打だが、同時にテンションが上がっていた。結果はどうであれ、数十メートルの滝にダイブするなどそうそう出来る経験ではない。
「お前が死ぬのは勝手だが、魔剣は置いていってもらおうか」
アキレスの無謀な行為を、ダミアンも黙認するつもりはない。魔剣士が死んでも魔剣そのものを破壊しなければ、魔剣はまた新たな使い手を見出し、悲劇が繰り返されることになる。代置剣シュレッケンラーゲは、今この場で確実に破壊しなくてはならない。
「そいつは困るな。手放したらあの世でたくさん人を殺せねえだろう」
極限状態で精神が肉体を凌駕しているのだろう。振り返りながらアキレスは、負傷を感じさせぬ軽快さで、追撃するダミアンの進路上に、代置剣シュレッケンラーゲの能力で斬撃を出現させていく。動きを止めるべく、足を払うように、低い位置で斬撃を発生させる。いかに修復できるとはいえ、今足を断たれればダミアンとてアキレスに追いつけない。サイドステップやジャンプでの回避を余儀なくされ、一直線でアキレスに追いつくことが出来ない。
「じゃあな。魔剣士狩り」
ついに滝口へと到着したアキレスがダミアンの方へと振り返り、滝へと背を向けた。そのまま後ろに跳び、滝つぼへのダイブを試みる。
「無礼躯」
ギリギリ追いついたダミアンが強烈な刺突でアキレスを捉えようとするが。
「俺は魔剣士だぜ」
「詰めが甘かったか――」
身を投げたアキレスが不敵に笑い、代置剣シュレッケンラーゲを振るった。次の瞬間、ダミアンの顔面に斬撃が発生。両目を切り裂いた。流石のダミアンも堪らず、滝の淵で膝をついた。痛みは御しきれる。損傷した眼球も回復する。だが、今この瞬間ダミアンの視界は完全に無明だ。百戦錬磨の魔剣士狩りとはいえ、突然光を奪われては満足に行動することは出来ない。
「ははははははははは――」
大笑いと共に、アキレスの体が滝つぼへと飲まれていった。




