この身を侵すもの
林道を道なりに進むと、迷うことなくミヌーテ村まで到着することが出来た。
ユリアンの証言にあった通り、村内は大勢の村人の死体がそこかしこに転がる地獄絵図だった。立ち並ぶ家々は、犠牲者達の鮮血によって、元の色が分からなくなるまでに、赤々と染め上がっている。
見渡す限り、村に存在するのは老若男女を問わず、死体、死体、死体。そんな中、死体に囲まれる唯一の生者が、村を訪れたダミアンの気配に気づき、返り血塗れの体でゆっくりと振り返った。手には魔剣とおぼしき、手全体を覆い隠す大きなナックルのついたサーベルを握っている。
「おやおや、旅のお方ですか? 村を散らかしてしまい、お恥ずかしい限りです。お時間を頂ければ掃除いたしますが」
丸眼鏡をかけた白髪の壮年男性、ライゼンハイマーは申し訳なさそうに頭を下げた。まるで死体など存在せず、――掃除が行き渡らずに村の美化が損なわれてしまった――程度の感覚で応対している。
ユリアンの証言と村の惨状から、ライゼンハイマーが魔剣士であることは間違いない。すでに狂っているというのなら、彼にとって死体となった住民達はゴミ同然。一方で外部の人間は狂気の対象ではなく、あくまで来客として応対しているのかもしれない。いずれにせよ、異常であることに変わりはない。
「お食事でしたら直ぐにご用意できますよ。それとも宿でお休みになられますか?」
ライゼンハイマーはなおも死体など存在していないように、旅人の来訪を歓迎する姿勢を崩さない。表情は穏やかだが、明らかに顔色が悪い。自責の念に駆られているというよりも、純粋に体調が悪い印象を受ける。
「もてなしは結構だ。私はお前に用がある」
「私に――ゲホッゲホッ!」
会話の最中にライゼンハイマーが咳きこみ、口を手で覆った。手の隙間や口元には血の色が見える。どうやら吐血したらしい。咳が落ち着くと、ライゼンハイマーは一言詫びてからダミアンと目を合わせた。
「失礼しました。それで私にご用というのは?」
「お前の手にするそれは魔剣だな」
「そうですか、これは魔剣というのですか。確かに普通の剣とは随分と異なりますな。何せ剣術など素人である私が振るっても、達人の如く剣術が扱えるのですから」
どうやらライゼンハイマーは、手にする剣が魔剣だという認識もないまま殺戮を繰り広げていたらしい。魔剣の知識を持たぬ、偶然魔剣を手にしただけの一般人のようだ。
「素人が達人のような剣術を、か。なるほど、魔剣の正体は模倣剣ゼーンズフトか」
村に入った瞬間から違和感は覚えていた。そこら中に転がる村人たちの死体には特殊な形状の傷などはなく、シンプルな刃物傷のみが刻まれている。傷からは無駄なく確実に命を刈り取る達人の剣術を感じる一方で、使い手たるはずのライゼンハイマーの佇まいは素人そのもの。達人の気配は微塵も感じられない。
模倣剣ゼーンズフトの能力はライゼンハイマーが自覚しているように、誰が扱っても優れた剣術を発揮するという、非常にシンプルなものだ。
優れた剣士を育成するのには時間がかかる。武器そのものの性能を高めることで、並の兵士にも一騎当千の戦闘能力を発揮させることを目的に生み出された兵器が魔剣だ。模倣剣ゼーンズフトは、それを最も分かりやすく体現した魔剣と言える。
誰が扱っても同じということは、ある意味では魔剣士の方が模倣剣ゼーンズフトに使われているということ。事実、刀身の動きが先行し、使用者がそれに引き摺られるような滑稽な場面も少なくない。一見するとナックルが大きいだけのサーベルにしか見えない模倣剣ゼーンズフトをユリアンがおかしな剣と評したのは、剣の方が使用者を操るような動きを見せていたためだろう。
「お前は良き村長だったのだろう。そんな人間がなぜこのような行いを?」
ユリアンがライゼンハイマーの名前を出した瞬間、その表情は怒りや憎しみよりも圧倒的に困惑の方が勝っていた。彼の知るライゼンハイマー村長は紛れもない善人であり、目の前で大勢の村人を殺されてもなお、本当に彼がやったのか信じきれずにいたのだろう。
「……優しかったかどうかは、自分では何とも言えませんが、村民が幸せであるように願い、誇りをもって村長を務めてきた自負はあります。ですが、私だって一人の人間です。時には村長として大勢のためにではなく、自分本位な行動を取りたくなることだって――ゴホッ! ゴホッ! ゲォ……」
言い終えぬまま、ライゼンハイマーは前傾姿勢でせき込む。表情は先程よりも苦しそうで、口元を服の袖で拭うと、袖に血の赤が染みを作った。
「死に至る病か」
「……持ってあと半年といったところ。体の自由が利く時間はもっと短いでしょうな」
「それがお前の狂気の源か?」
「狂気か、確かにそうですな。私は己の生と天秤にかけて、あれほど愛して止まなかった村人を自分本位に殺害してしまったのだから。私は病以上に、狂気にこの身を侵されているのでしょう」
「余命僅かだからと、どうして村人を殺す必要がある? あるいは他者を殺すことで自身の病を癒す魔剣も存在するかもしれないが、少なくともお前の手にした魔剣は単純な凶器だ」
「私は遠からず病で死ぬ。その運命は変わりません。ですが、私は誰よりも長生きなのです」
苦し気に歪んでいたライゼンハイマーの口角が微かに上がった。
「私の寿命が尽きる前に村の住民を皆殺しにする。そうすれば相対的に、私はこの村の誰よりも長生きしたことになる。この事実さえあれば、私は心置きなく逝くことが出来ます」
全身には村人の返り血を浴び、口元を自身の吐血に染めた姿で、ライゼンハイマーは満面の笑みを浮かべる。
余命僅かと知り、最初は純粋に生を渇望しただけだったのだろう。だが、魔剣の狂気に飲まれた心優しき村長は、極端な発想へと転じてしまった。
誰よりも長生きしたい。胸の内に願うだけなら良かっただろうが、それを実行出来るだけの凶器を手にしてしまった。おまけにそれは、素人が扱っても剣の方が標的を皆殺しに出来る、使い手を選ばない代物。殺戮は何の前触れもなく始まったというし、思いついたままに惨劇へと発展したのだろう。
「流石に、世界中の誰よりも長生きしようと思うほど私も強欲ではありません。私はあくまでもこの村の住民よりも長生き出来ればそれで構わない。あなたに手を出すつもりはありませんから、出来れば私のこともそっとしておいてはくれませんか? 事が済めば、私は一人静かに、病で逝く瞬間を待ち続けます」
やはりライゼンハイマーの狂気の対象は村人のみ。来客に危害を加えるつもりはないようだ。だが、来客であるダミアンの側がその理屈に付き合う義理などない。
「お前が魔剣士である以上、私はお前を狩る。それに、目的を達成したいのなら、お前とて私との衝突は避けては通れまい」
「まさか?」
ダミアンが村を訪れる直前まで殺戮を繰り広げ、ほとんどの住民を殺害したが、唯一、村で一番幼いユリアンの姿だけが見当たらなかった。ユリアンの祖父レンネンカンプは聡明で勇敢な男だった。彼が孫を逃がした可能性は高い。そして今のダミアンの含みのある物言い。村から逃れたユリアンがダミアンと接触したのだとライゼンハイマーは確信した。
「……あの子は村で一番若いんだ。あの子を殺さなければ、私は誰よりも長生きすることは出来ない」
村で一番若い命。それはある意味でライゼンハイマーにとって最大の標的だ。ユリアンを殺さなくてはこれまでの全ての殺しが無駄となってしまう。
ダミアンは衝突は避けては通れないと言った。ユリアンの居場所を教えるつもりも、素直に通すつもりもない。
「村外の方を巻き込むのは不本意だが、どうやら私はあなたよりも長生きしないといけないようだ。子供の足で逃げられる範囲など限られている。早くユリアンを狩らねば」
剣に操られるような不格好な動きで、ライゼンハイマーが魔剣を引いた。
「やれるものならやってみろ」
ダミアンもまた、抜刀の構えで臨戦態勢を取った。
ライゼンハイマーは知る由もないが、ダミアンはすでに長い年月を歩んでいる存在。ある意味では、ユリアン以上にライゼンハイマーの標的となり得る存在である。




