旅の剣士
雄大なアンビシオン平原周辺の町々は、平原の砦を根城とする、賊の一団の驚異に晒されていた。
かつての大戦時に建造された砦は現在でも堅牢だが、一方で管理などはなされておらず、盗賊団など犯罪集団の拠点として利用されてしまうことがしばしばあった。それでも、犯罪集団が居つく度に周辺の町が連盟で傭兵ギルドへ依頼を出し、犯罪集団の排除を行うことで、これまでは大きな問題へと発展することはなかった。
しかし、二か月前にルジャンドルと名乗る剣士率いる集団が砦を掌握してから状況は一変した。
周辺地域への略奪や、平原を移動する行商や旅人が襲撃される被害を受け、これまでのように周辺の町々は傭兵ギルドへ依頼を出し、ルジャンドル一味の排除を試みた。しかし、ルジャンドル一味はこれまでの犯罪集団とは格が違い、総勢十名に及ぶ傭兵団が全員返り討ちに遭ったうえに、全ての首が砦の正門へと飾られた。
事態を重く見た周辺の町々は、傭兵ギルドへさらなる協力を要請。ギルドも派遣する傭兵の増員を認めてくれたが、結果は犠牲者の数が増えただけだった。さらなる増援を要請するも、あまりにも危険な依頼ゆえ、及び腰となる傭兵が増え、依頼は次第に断られるようになっていった。
アンビシオン平原の劇的な治安悪化により、交易や旅人の往来も激減。周辺地域の経済は深刻なダメージを受けている。略奪行為も止む気配はなく、ついには新たにギルドへ依頼を出す余力すらも失い、絶望的な状況に陥っていた。
アンビシオン平原に面する地域の一角、プレザンの町にも陰鬱な雰囲気が立ち込めていたが、この日は珍しく、町を訪れる二人組の旅人の姿があった。
「昼間だというのに、人っ子一人歩いていない。町が死んでいるようだ」
町としての機能がほとんど死んでいるプレザンの町で、唯一営業を続けている食堂のカウンターには、濃紺のコートを羽織った金髪の青年剣士、ジェロームの姿があった。隣には折り畳んだローブを膝の上に乗せたブラウス姿の女性、エーミールの姿もある。
「いつ気まぐれに、ルジャンドル一味が町を襲撃するかも分からない情勢だ。みんな怯えて家に引き籠っているのさ。もっとも、奴らは容赦なく家に押し込み、住人を殺害するような連中だ。家に籠ったところで何も変わらんよ」
一人で食堂を営む小太りの店主が、やつれた様子で溜息を漏らす。雇っていた給仕はルジャンドル一味を恐れて町から逃げ出してしまい、今は男性一人で店を回している。
地元住民はもちろん、治安の悪化により旅人も町に寄り付かず、客足は激減しているが、ルジャンドル一味に怯えて他の住民のように家に籠ることは、店主のプライドが許さなかった。それではルジャンドル一味に敗北を認めるようなものだ。いつ腹を空かせた客がやってくるか分からない。だから男性は食堂を開け続ける。その甲斐あって今日、久しぶりにこうやって旅人に食事を提供することが出来た。
「時間はかかるが北東の山道から迂回すれば、アンビシオン高原を通過せずに東部に抜けられる。女性には少し大変な道かもしれないが、物騒なアンビシオン高原よりはよっぽど安全だ」
店主は地図を出し、親切心でアンビシオン平原を回避するルートを教えてくれたが、ジェロームは申し訳なさそうに首を横に振った。
「心遣いに感謝するよ。だけど、俺の目的地はアンビシオン平原の砦だ。ルジャンドルに用がある」
「ルジャンドルにって、もしかしてあんた傭兵か? 資金難でギルドへはもう依頼は出していないと聞いているが」
「俺はギルドへは所属していない旅の剣士だ。ルジャンドル一味の悪行は噂に聞いている。一人の剣士として、この状況を見過ごすわけにはいかない」
ジェロームの言葉を聞いて一瞬、店主の表情に希望が灯ったが、直ぐに我に返り首を横に振った。
「気持ちは嬉しいがやめておいた方がいい。これまでに多くの傭兵がルジャンドル一味の討伐に向かったが、誰一人として戻らず、死体は無残に砦に吊るされた。十数人の部隊が皆殺しに遭ったことだってある。旅の剣士というくらいだ、腕に覚えはあるんだろうが、流石に相手が悪すぎる。手下どもはどうにかなっても、ルジャンドルは別格だ。あいつの使う剣は常識を超えている」
「全ては承知の上だ。だからこそ俺はルジャンドルと戦わないといけない」
「自殺行為だ。連れのお嬢さんのことも考えてやれ」
店主の制止は聞かず、ジェロームは二人分の食事よりも多い金額をカウンターに置いた。出会ったばかりの旅人を気遣ってくれたことへのせめてもの感謝だ。
「悪いが俺が戻るまでの間、彼女を少し置いてくれ」
そう言って、ロングソード片手にジェロームは食堂を後にした。
「待ってジェローム。私も一緒に行く。今は私だって戦える」
短剣片手に後を追ったエーミールがジェロームを呼び止めた。万が一の場合に身を守るための術として、エーミールもジェロームの指導の下に剣術を磨いて来た。いつまでもジェロームに守られてばかりじゃない。今こそ彼の役に立ちたい。
「今回ばかりは駄目だ。ルジャンドルは恐らく魔剣士だ。危険すぎる」
「それはジェロームだって同じでしょう。魔剣士と戦うのはあまりに危険だわ」
勝負とは武器の性能だけで決するものではないが、超常とでも呼ぶべき魔剣を操る魔剣士と、一般の剣士の間に大きな壁があることは間違いない。実際、相当な腕利きだったであろう多くの傭兵達がルジャンドルの餌食となっている。
「覚悟の上さ。魔剣士を倒せるぐらいにならないと、いつまで経ってもあいつに勝つことは出来ない」
魔剣士狩りと呼ばれる洋装の剣客。姉イレーヌの仇である魔剣士狩りをジェロームはずっと追い続け、半年前についに戦う機会を得た。しかし、圧倒的な実力差の前にジェロームは完敗。いつか魔剣士狩りを越えることを決意し、エーミールと共に再び剣術修行の旅に出た。魔剣士狩りとは数多の魔剣士を狩ってきた存在。彼を越えるのならば、魔剣士を倒せるぐらいに強くならなくてはいけない。
「それに、相手が魔剣士であろうとなかろうと、この地域の置かれた状況を見過ごすわけにはいかない。死んだ姉さんもきっとそうしたはずだから」
エーミールの頭に、行商の旅をしていた両親と幼い頃の自分を護衛してくれたジェロームの姉、イレーヌの優しい笑顔が浮かんだ。自分の知るイレーヌなら確かにこの状況を見過ごしはしないだろう。
同時にもう一人、三つ揃えのツイードスーツをハンチング帽を被った青年のぶっきら棒な表情が浮かんだ。ジェロームを含めて彼とは複雑な関係にあるが、仮に彼がこの場にいたら、やはりこの状況を見過ごしはしないだろうと思う。
「だったらなおさら私にも手伝わせて。ああいう輩は私だって大嫌いだから」
優しかった両親は街道を移動中に、盗賊団に襲撃されて無残に殺された。子供は金になるからという理由で誘拐されたエーミールも、ジェロームと出会うまで悲惨な人生を歩んだ。平穏な日常を脅かす略奪者が、エーミールはこの世で一番嫌いだ。それを一番よく理解しているのは、ずっと一緒に旅をしてきたジェロームをおいて他にいない。それでも。
「駄目だ。君は連れて行けない。これまでに遭遇した盗賊とはわけが違う。こういうことを言いたくはないが、足手纏いだ」
「ジェローム……」
何も言い返せない自分が情けなかった。これまでに悪漢を返り討ちにしたことはあるが、それはジェロームの援護があってこそ。大勢の相手はまだ荷が重い。魔剣士の相手など論外だ。ジェロームとて、今回ばかりはエーミールを守りながら戦える自信はない。
「直ぐに戻って来るから、食堂で待ってて」
微笑んでエーミールの頭を撫でると、ジェロームは町を出てアンビシオン平原方面へ向かっていった。
エーミールはジェロームの背中が見えなくなるまで見送ったが、ジェロームは一度も振り返ることはしなかった。覚悟が鈍るのを恐れたのだろう。ジェロームは決して慢心はしない。自分が返り討ちにあう可能性も当然考えている。だからこそ強い言葉を使ってでも、エーミールだけは助かるように町へと留めた。長年一緒に過ごしているのだ。そんな感情はエーミールにも筒抜けだった。だからこそ何も言えなかった。
「死なないでね、ジェローム。もう一人は嫌だから」
ジェロームの背中が見えなくなっても、エーミールは祈りを捧げ続けた。
章タイトルは「羇旅の邂逅」。
意味合いとしては、「旅の中の思いがけない出会い」といった感じです。作中のある出会いを指してこのようなタイトルにしました。




