ウスターシュ
翌朝。ダミアンは再び、劇作家のパスキエが殺害された河川沿い公園を訪れていた。昨日はソワールに到着してからの活動だったので正午を回っていたが、二日目の今日は改めて、殺害時刻に近い朝方の現場を見てみることにした。
「魔剣の能力が私の想像通りのものなら、他の事件と条件は同じだったということか」
ダミアンは姿勢を低くし地面に右手をついた。規則的な並木道には、朝日によって木陰が連なっている。先日の路上生活者の男性の、パスキエ殺害時は風のない穏やかな天候だったにも関わらず、木の影が妙な動きをしたように見えた、という証言。それが大きなヒントとなった。
影に作用する特殊な魔剣に関する知識がダミアンにはある。あえて明るい時間帯に衆人環視の下で犯行に及んだのは、多くの影を最大限に利用するため。白昼堂々の犯行は一般的にはリスクだが、犯人とってはむしろ好条件だったのだろう。
そしてこの公園に関しては、群衆の代わりに並木道の木陰を犯人は活用した。四件目のパスキエ殺しだけが特殊に思えたが、実際には条件はほぼ同じ。殺人を重ね、魔剣の能力への理解が深まったことで、このような応用に至ったと考えられる。
「おう兄ちゃん。朝早くからご苦労だな」
ダミアンが顔を上げると、昨日出会った初老の男性が目の前に立っていた。
「兄ちゃんに話があってな。町に探しに出ようかと思っていたんだが、手間が省けたよ」
「話しというのは?」
「昨日言っただろう。事件について何か気になったことはないか、公園で暮らす仲間にも聞いておくってさ。事件と直接関係あるかは分からないが、少し気になる事を聞いてな」
「気になること?」
「作家の兄ちゃんが殺される一週間ぐらい前からかな。晴れた日の朝に、決まって若い男が公園にやってきて、下見でもするように散策してたらしい。それが、事件後にはきっぱりと姿を見せなくなっている。まあ、あんな凄惨な事件があった直後だし、公園に寄り付かなくなるのも当然かもしれないが、容姿が特徴的で妙に印象に残っていたらしい」
人間、気まぐれに公園立ち寄ることもあるだろうが、事件前の一週間、晴れの日だけに出没していたというのは、今回の事件との強い関連性が感じられる。これまでと異なる状況下で犯行に及ぶにあたって、男は目撃者の印象通り、現場の下見を行っていたのかもしれない。
「容姿の特徴というのは?」
「まだ若いのに、頭が余すところなく白髪になっていそうだ。みんな公園に住み着いて長いが、初めて見る顔だったらしい」
「白髪の青年か」
容姿の特徴を聞いて、顔も知らない一人の青年の名が浮かんだ。
「貴重な情報に感謝する。おかげで次の行き先が決まったよ」
「捜査の助けになったのなら何よりだ。どうか作家の兄ちゃんの無念を晴らしてやってくれ」
※※※
「あら。あなたは確か、ダミアンさん」
「昨日の今日で申し訳ない。あなたに少し聞きたいことがあってな」
公園を後にしたダミアンはその足でプランタン孤児院を訪れた。突然の訪問ではあったが、フルール院長は快くダミアンを院長室へ招き入れてくれた。
「ウスターシュという人物について聞きたい。彼が孤児院を飛び出した理由について、あなたは真相は本人のみぞ知ると言っていたが、本当は何か心当たりがあるのではないか?」
「……どうしてそう思うのですか?」
「彼について語る時、あなたは少し言い淀むような仕草を見せた。最初は部外者の私に対して遠慮があったのかとも思ったが、視線は時折クロエの方へ向いていた。ひょっとしたら彼女に対して遠慮を感じているのではと思ったんだ。半分は直感だがな」
「あの一瞬でそこまで。周りをよく観察しておられるのですね」
フルール院長は感心するだけで否定は口にしなかった。
「お話ししてもよいですが、この事はクロエには伝えないとお約束して頂けますか? 出来ればあの子の耳には入れたくないお話しです」
「約束しよう」
しっかりとフルール院長を見据えるダミアンの瞳には説得力があり、院長の目に信頼に値する人物に写った。
「予め断っておきますが、これからお話しすることに確証はなく、全ては憶測です」
立ち話で済ませるには重い話しだ。院長はダミアンへ着席を促した。
「ウスターシュが姿を消す少し前に、一人の女性が孤児院を訪ねてきました。名はマガリー。クロエの伯母にあたる女性です」
「クロエを自宅に送り届ける途中で、彼女から生い立ちを聞く機会があった。彼女は伯母から虐待を受けた末、捨てられたと。そんな相手がどうして今更?」
「そうですか。その件はすでにクロエから聞いておりましたか」
悲惨な過去ゆえに院長の口からは語りづらかったが、事前にクロエから聞いていたと知って少し気が楽になった。
「五年も経っていながら、マガリーはクロエを引き取りたいと言って訪ねてきたのです。長年この仕事をしていますが、マガリーには反省の念や保護者としての自覚があるようには見えませんでした。
これはクロエの女優としての才能をダントリクさんが見出し、研修生になることを提案していた時期のことでした。どこかからそのことを聞きつけたマガリーは、捨てた姪に将来性があると知り、お金目当てで引き取ろうとしたのでしょう。保護するにあたってクロエの生い立ちについては把握していましたし、マガリーには愛情はなく欲望が透けて見える。実の伯母だからといって、院長としてマガリーにクロエを任せられるはずもありません。感情的に声を荒げるマガリーを宥めつつ、何とかその日はお帰りいただくことが出来ましたが、そう簡単に諦めてくれるような雰囲気ではありませんでした。
幸いだったのはその日、クロエがダントリクさんの案内で劇場の見学に行っていて孤児院にいなかったことです。クロエがマガリーと再会し、あのような場面を目撃していたら、精神的なショックは計り知れませんから」
「その口振りだと、クロエはそのことを一切知らないようだな」
「はい。言う必要はないだろうと思い、あの日マガリーが孤児院を訪ねて来たことは、これまであの子には伝えていません。あれっきり、マガリーは孤児院へは現れませんでしたから」
「そう簡単に諦めるような雰囲気でなかったにも関わらずか?」
「……孤児院を訪れてから一週間ほど経って、マガリーが亡くなりました。町の中心を流れる河川から死体が上がったのです。上流の橋からは彼女の靴が片足だけ見つかりました。事件事故の両面から捜査が進められそうですが、生前、マガリーは酒癖が悪いことで有名だったこともあり、最終的には酔って足を滑らせたマガリーが橋から転落したと結論づけられました」
「ウスターシュの仕業か?」
ダミアンは単刀直入にそう聞いた。ウスターシュが唯一心を開く、妹同然の存在であるクロエ。その人生を邪魔建てしようと、彼女を虐待していた伯母が再び姿を現した。長く過酷な環境に身を置いていた彼が、排除という極端に行動に走った可能性は否定できない。
「……確固たる証拠はございませんが、ウスターシュは当然クロエの過去を知っていますし、マガリーが訪ねて来た日も孤児院におりました。院長室での私とマガリーのやり取りを聞いていた可能性は否定出来ません。マガリーが亡くなったのは夜のことでしたが、抜け出しの常習犯であったウスターシュなら、大人の目を盗んで外へ行くことも可能でしょう。もちろん、院長としては彼を信じてあげたいですが、全てが有耶無耶なまま、マガリーの死から間もなくウスターシュは私達の前から姿を消しました。そうして現在へと至ります」
「なるほど、彼との再会を願うクロエの手前、あなたの立場は複雑だな」
黙することが、女優としての道を邁進するクロエのためになると思い、フルール院長は知らない振りを続けてきた。兄のように慕うウスターシュとの再会をクロエは願っているが、そもそもの失踪の理由が、彼女に酷い仕打ちをした伯母を殺害したからかもしれないなどと、まさか院長の口から伝えるわけにもいかないだろう。
「辛い話しをさせて申し訳なかった」
「いえ。ずっと一人で抱え込んで来た秘密でしたから、少し心が軽くなりました。しかし、どうして今になってウスターシュのことを?」
「昨日、クロエから生い立ちを聞かされて、彼の人柄に少し興味が湧いただけだよ」
今この場で、院長にウスターシュを一連の事件の容疑者であると言う必要はないだろう。プランタン孤児院出身であるウスターシュが、ダントリクたちを殺害した可能性があるなどと、憶測の段階で伝えるわけにはいかない。
「院長。クロエが言っていたが、ウスターシュは白髪だったそうだな」
「はい。元は黒髪だったようですが、可哀想に保護されたころにはもう真っ白に。それがどうかいたしましたか?」
「いや、特に深い意味はない。話を聞かせてくれてありがとう」




