兄代わり
「ウスターシュは私にとって兄代わりであり、命の恩人でもあるんです」
自宅アパートまで送り届ける道中、クロエが孤児院で話題に上がったウスターシュについて語ってくれた。
「私は早くに両親を亡くして伯母に引き取られたのですが、母と確執のあった伯母は姪であった私に対しても攻撃的で。虐待を受けた末に、六歳の頃に貧困街に捨てられてしまいました。伯母は母の忘れ形見である私をぞんざいに扱うことで、復讐心を満たしていたのかもしれませんね。
右も左も分からず、お腹を空かせて蹲っていた私を助けてくれたのが、一歳年上のウスターシュです。彼は大人から雑用を引き受けることで日銭を稼ぎ、日々を生きていました。自分だってその日の食べ物を確保するだけで精一杯だったでしょうに、飢えた私に自分の食料を恵んでくれました。ウスターシュとの出会いがなければ、私はとっくの昔に死んでいたと思います」
クロエの口から語られた過去は想像以上に過酷なものだった。ウスターシュの所在を院長に尋ねた時とは異なり、今のクロエは顔色一つ変えずに淡々と語っている。彼女はすでに、過去は過去として割り切れる強さを持っているのだろう。
「ウスターシュは私を見捨てずに、生きていくための術を教え込んでくれました。綺麗ごとだけでは生きてはいけません。大人からの雑用をこなす一方で、そういった仕事さえもなく、食べる物に困っていた時には、いけないことと知りながらも、盗みを働いたこともあります。そうやって何とか、二人で一日一日を必死に生き抜いて二年。私が八歳、ウスターシュが九歳の時に、フルール先生の運営するプランタン孤児院に保護されることになったんです。私にとってウスターシュは家族です。大切なお兄ちゃんです。その関係は生涯続いていくものだと信じていましたが、ウスターシュは七年前、十二歳の時に忽然と姿を消してしまった」
「院長は、彼が孤児院に馴染めなかったようだと言っていたが」
「そうですね。ウスターシュは当初から孤児院に保護されることを嫌い、保護されてからも定期的に家出のようなことを繰り返していました。孤児院の先生方はとても優しいし、食事と寝床も与えられている。そういった環境こそが、ウスターシュにとっては違和感だったのかもしれません。彼の境遇は私以上に過酷で、親の顔も知らず、物心がついた頃にはもう路上で生活していたそうです。過酷な人生を物語るように、私と出会った頃には、元は黒かった髪が白髪になっていました。
多くの理不尽や社会の汚い部分を目の当たりにし、自分だけを信じて生きてきた。日陰者には日陰者なりのプライドがあるんだと、常々口にしていました。そんな彼にとって、無償の愛を素直に受け入れることは難しかったのかもしれません。それでも、恐らくは私のために三年間、一緒に孤児院に居てくれたんだと思います。せめていなくなる前に、一言相談してくれても良かったのに」
「突然いなくなったとは聞いたが、兄妹同然だった君にも何も言わずに?」
「……あるいは、私に愛想をつかして出て行ってしまったのかもしれません。当時はダントリクさんからお声がけを頂いて、女優としての道を意識し出した時期でした。ウスターシュと会話をする時間も減っていて。あの頃、ウスターシュがどこか落ち着かない様子だったことには気づいていたんです。しっかり話をしていれば」
あの時、もっとウスターシュのことを気にかけてあげていれば、今でも一緒にいられたんじゃないかと、クロエは今でも後悔している。ウスターシュには助けられてばかりで、何の恩も返せなかった。
「すみません。今日出会ったばかりのダミアンさんにこんな話を」
「気にするな。会えなくなってしまった相手と、あの時もっと話していたらという気持ちは分からないでもない」
悠久の昔、両親と共に無残に殺害されてしまった幼馴染の少女。別れの時が唐突に訪れると分かっていれば、もっと伝えておくべき言葉があっただろう。
「ダミアンさんにもそういう方が?」
「随分と昔に、死に別れてしまったがな」
「……すみません。無神経に」
「気にしていない。君は再会出来るといいな。幼き頃のすれ違いも、お互いに成長した今ならば歩み寄れるかもしれない」
「はい。私もきっとまた再会出来ると信じています」
ダミアンの優しさを感じ、クロエは自身の願いも込めて力強く頷いた。
「ここが私のお家です」
そうこう語り合っている内に、目的地であるクロエのアパート前まで到着した。
「では、私も宿に戻るとする。また情報収集に伺うこともあるかと思うが、その時はよろしく頼む」
「分かりました。お送りいただき、本当にありがとうございます」
見送りに最後まで気は抜かない。クロエが建物に入ったことを見届けてから、ダミアンは宿の方角へ向けて歩き出した。




