シェドゥヴル劇場
大都市ソワールの名所の一つでもある、豪奢な作りのシェドゥヴル劇場。第三の事件の被害者となったネルヴァル卿は観劇後、帰りの馬車に乗り込む直前に殺害された。劇場のオーナーは第一の事件の被害者であるダントリク。劇作家のパスキエもこの劇場の所属だ。被害者四人の内の三人。シェドゥヴル劇場はこれまでに殺害された人物の数少ない共通項の一つだ。
オーナーと劇作家が亡くなった混乱で、劇場はしばらく閉館状態にあったが、ダントリクの遺族の意向もあり、残ったスタッフでの再開を決定。現在は再開に向けた準備が進められている。
ダミアンは劇場の正面入口から中に入った。話を聞ける相手はいないかと、エントランスで関係者の姿を探す。
「当劇場へ何かご用でしょうか?」
エントランスを通りがかった若い女性がダミアンへ声をかけた。美しいブロンド髪と翡翠色の目が印象的な美女だ。
「私はダミアン。市長の依頼を受けて殺人事件の捜査をしている者だ」
怪しい者ではないと証明するために、ダミアンは市長から渡された懐中時計を提示した。
「まあ、あなたが。市長様から捜査協力の通達があったと、館長からお話しは伺っております」
言われていたように、市長が事前に関係者に話を通しておいてくれたようだ。身分証明はスムーズに終わった。
「君はこの劇場の女優か?」
「シェドゥヴル劇場所属のクロエと申します」
クロエが女優であることは一目で分かった。容姿ではなく、整った姿勢と聞き取りやすい発声にその雰囲気を感じた。
「事件について話を聞かせてもらいたいのだが大丈夫だろうか? 稽古などで忙しいのならば時を改めるが」
「それは構いませんが、今は人が少ないですよ。今日の稽古は終わってほとんどの演者やスタッフは引き上げてしまったので。私はたまたま居残っていましたが」
「とりあえず、今回は君から話を聞ければそれで問題はない。私は今日この町に到着したばかりでね。今は自分の目で現場を見て回っている段階だ。大勢から話を聞く必要があれば、その際は改めて機会を設ける」
「分かりました。そういうことでしたら、私に出来る限りの協力はさせて頂きます。私も、ダントリクさんやパスキエ先生の死の真相が知りたい。そうでないと、本当の意味での再起なんて出来ませんから」
経営の観点からもいつまでも閉館しているわけにはいかず、シェドゥヴル劇場は再開へ向けて動き出しているが、未だに犯人の特定に至らぬ現状、関係者の不安と憤りは最高潮に達している。再開後に再び関係者に被害が及ぶ可能性だって否定出来ない。クロエの言う通り、事件そのものが解決しなければ本当の意味での再起とはいえないだろう。
「立ち話もなんですので、こちらへどうぞ」
クロエはダミアンをホールへと招き、「お好きな席へどうぞ」と着席を促した。観客はもちろん関係者も引き上げているので、今この広い空間はクロエとダミアンだけのものだ。
貴重な機会ではあるが、ダミアンは特に席を選り好みするようなことはせず、ただ合理的に、入口から一番近い席に腰掛けた。初対面で距離が近すぎるのは失礼だと思ったのか、クロエはダミアンと間を一席を空けて着席した。
「劇場前で事件が起きた時、君たち舞台関係者は何をしていた?」
「舞台を終え、私たち演者や衣装スタッフは、楽屋で着替えやメイク落としを。技術スタッフはセットや設備の点検など。舞台関係者のほとんどが、楽屋や舞台袖で何かしらの作業をしていました。劇場内がにわかに騒がしくなり、慌てて楽屋に駆け込んで来た受付のスタッフからの報告で、事件を知った次第です」
「パスキエ氏は、その時は?」
四件目の犠牲者となった劇作家のパスキエはこの時点ではまだ存命だ。舞台関係者として劇場にいたと思われる。
「パスキエ先生は当時、エントランスで観劇後のお客様方に挨拶をされていました。ネルヴァル様の事件も目撃されています。オーナーが亡くなってから間もない時期でしたから、お客様に安心感を与えるためにと、観劇後のお客様に連日熱心にお声がけをなさっていました。劇場を懇意にしてくださっているネルヴァル様ご夫妻ともご歓談されたようで、パスキエ先生自ら外までお見送りした直後、あのようなことに……」
沈痛な面持ちでクロエは目を伏せた。演者としてクロエも、常連であったネルヴァル卿に挨拶をする機会はあったが、貴族という立場を鼻にかけぬ好人物で、妻と二人で週末の観劇を楽しむおしどり夫婦だった。そんなネルヴァル卿が殺害され、それから間もなく、今度は尊敬する劇作家であるパスキエまで。オーナーのダントリクに始まり、どうしてあんなに素晴らしい人たちがこのような目に遭わなければいけなかったのか、憤りを禁じ得ない。
「ネルヴァル卿の奥方は今は?」
「……最愛の旦那様を亡くしたショックから立ち直れずに、現在はお屋敷に籠っていると聞いています。事情を聞けるような状態ではないと思いますので、そのことにはご配慮いただければと思います」
「承知した。奥方への聞き込みは見送ろう」
被害者の間近にいた人間の中で、ネルヴァル婦人は数少ない生存者だ。何か事情を聞ければと思ったが、クロエの話を聞くに情報を得ることは難しそうだ。
「ネルヴァル卿は普段、護衛などは連れていたのか?」
「いえ。少なくとも私は見かけたことはありませんね。奥様と二人で過ごす時間を大切にされていましたから、側に人をつかせることに消極的だったのかもしれません」
「なるほど。やはりネルヴァル卿の近くにいたのは奥方だけということか」
一連の事件の状況を見るに、犯人は護衛や秘書など、標的の周辺の人間も容赦なく斬殺している。ネルヴァル卿の妻だけは見逃したとは考えにくい。だとすれば考えられるのは、殺せない、あるいは殺す必要のない状況だった可能性だ。
ダミアンは捜査資料の記述を思い出す。事件当時、ネルヴァル卿は帰りの馬車へ乗り込む直前であり、妻は先に馬車に乗り込んでいた。これまでの事件と一線を画す点があるとすればこれだろう。思えば最初の事件も馬車を直接破壊するのではなく、御者の腕を斬りつけることで馬車を停車させるという段階を踏んでいる。人体を切断するだけの威力はあっても、馬車ごと標的を破壊するだけの威力はない。威力そのものは通常の刀剣の範囲に留まっている可能性が考えられる。もちろん、現状では推論の域は出ない。
「ありがとう。色々と参考になったよ」
クロエから得られた情報は想像以上の成果を上げた。魔剣士の尻尾はまだ掴めていないが、これまでの情報を統合することで、魔剣の能力についてはある程度、形が見えつつある。次の現場へ移動しようと、ダミアンは観客席から立ち上がった。
「これからどちらへ?」
「第一の事件現場だ。事件発生から月日が経ち、真新しい情報は残っていないかもしれないが、直接現場を見ておくことには意味がある」
「でしたら、私もご一緒してもよろしいですか? 直ぐに帰り支度を整えてきますので」
「それは構わないが、どうしてまた?」
「ダントリクさんにはお世話になりましたので、お花をお供えしようかと。今日は元々帰りに立ち寄ろうと思っていたんです」
「いいだろう。私は劇場前で待っている」
「ありがとうございます」
長く待たせては申し訳ないと、クロエは駆け足で控室へと向かっていった。




