剣士の旅立ち
「それじゃあ、行ってくるね、皆」
快晴に恵まれた初春。一人の若き女性剣士が故郷の山村を旅立とうとしていた。
剣士の名はイレーヌ。ポニーテールにまとめた金髪と澄んだ碧眼を持つ、快活な印象を与える十八歳の美少女だ。
黒いノースリーブのシャツには革製の胸当てを装備し、その上から雨風を防ぐためのカーキ色のフード付きコートを羽織っている。
下半身はポケットの多いカーゴタイプのショートパンツに黒いレギンスを合わせ、足元は機能性重視で、履きなれた黒いレザーのレースアップブーツを着用。
腰に帯剣させた剣士の象徴は、ナックルのついたサーベルだ。刀身は、梔子の花の模様が彫られた美しい金属製の鞘へと納められている。
このサーベルは村人たちが慈悲の剣と崇める聖剣であり、イレーヌにとっては亡き父の形見でもある。選ばれし者以外は聖剣を鞘から引き抜くことは不可能とされ、慈悲の剣は百年近く神殿のオブジェクトと化していた。
だが今から二十年近く前、旅の剣士であったイレーヌの父親、ジョエルが「慈悲の剣」を鞘から抜くことに成功。ジョエルはそのまま村で所帯を持ち、妻との間にイレーヌを授かった。その後も村を拠点とし、聖剣片手に傭兵として各地の戦場へと参加。多くの人命を救ってきた。
村で聖剣使いの英雄と称えられたジョエルであったが、ある戦場で負った傷が原因で一線を退き隠居。その戦傷が原因で、一年も経たぬ間に亡くなってしまう。当時、イレーヌはまだ四歳であった。
使い手を失った慈悲の剣は再び神殿へと安置され、新たな使い手が現れるまで眠りへとついた。
そして十四年の歳月を経た現在。
父の背中を追い、幼い頃から剣術修行に邁進してきたイレーヌが慈悲の剣鞘から抜くことに成功。親子二代に渡り、聖剣の使い手として認められた。
村という狭い世界だけで完結せず、より広い世界で剣術の腕を磨きたいと思ったこと。持ち前の正義感に加え、父と同じ人助けの道を歩みたい思ったこと等から、イレーヌは十八歳になると同時に剣術修行の旅に出ることを、聖剣の使い手となる以前から心に決めていた。
「剣士にかける言葉ではないかもしれぬが、体には気を付けるんじゃぞ。また何時でも戻って来なさい。これは餞別じゃ」
「ありがとう、村長さん」
白い顎鬚を蓄えた老齢の村長から、傷薬や包帯、携帯食料や路銀などが収められた布製のナップサックを受け取る。軽い素材と中身ながら、村人達の思いの詰まったナップサックはとても重みのあるものだ。
「ほれ、ジェローム。イレーヌが行ってしまうぞ。しっかりと見送ってやりなさい」
村長に促され、イレーヌの四歳年下の弟であるジェロームが落ち着かない様子でイレーヌと向き合った。十四年前に父を、八年前に病で母を喪って以来、二人だけの家族だった。イレーヌはいわばジェロームの半身、笑顔で送り出すべきなのは分かっていても、心は簡単には割り切れない。
「……たまには帰って来いよ」
「うん。なるべくマメに帰って来るよ。お土産も買って来ちゃう」
男として寂し気な表情を見せるものかと俯く頭を、イレーヌが優しく撫でる。
お互いに我が強くてたくさん喧嘩もしたけど、いざ離れ離れとなると圧倒的に寂しさが勝る。旅立ちを前に涙こそ見せぬものの、イレーヌの表情もとても強張っていた。
「土産なんていいよ。姉ちゃんが元気に帰って来るなら俺はそれで十分だから」
「大丈夫だよ。お姉ちゃんが強いのはジェロームにだって分かってるでしょう。聖剣のご加護だってあるし」
「そうだよな。姉ちゃんは誰よりも強いんだ!」
「ありがとう、ジェローム」
姉の剣術の腕を誰よりも理解しているのは、鍛錬の様子を一番近くで見守っていたジェロームだ。覚悟を決めて面を上げたジェロームは瞳に涙を貯めながらも、陽気に姉を送り出してやろうと笑みを浮かべていた。
そんないじらしい弟を前に感極まり、イレーヌも涙交じりにジェロームの体を抱きしめた。しばらくはお別れだ。弟の温もりをしっかりとこの身で覚えておきたい。
一分間に及ぶ抱擁を終えた後、姉と弟は笑顔でお互いの体を離した。別れの挨拶は十分だ。もう思い残すことはない。
これで笑顔で旅立てる。
「剣士としての私の名がこの村にまで届くように、頑張るからね!」
笑顔でそう言い残し、若き女性剣士は故郷の村を旅立った。
剣術修行の旅の中でのある出会いが、自身の運命を大きく変えることになろうとは。この時のイレーヌはまだ知る由もない。