8 決戦
屋上へと続く階段下にたどり着いたタクミとアヤカ。この上にボスとも呼べるテロリストが待ち構えている。これが俗に言う最終決戦であるのだろう。タクミは気合を入れるために軽く頬をたたく。それを見たアヤカも唇を噛み、目の前の敵に集中する。
「これで最後にしよう」
タクミの言葉にアヤカは大きく頷く。
「ええ。そして、行きましょう。──屋上に!」
そう、屋上には全ての真実が待っているはずだ。ループの真実、テロリストが襲撃に来た理由。それらの答え合わせができる。この戦いは絶対に負けるわけにはいかない。
「作戦はどうする?」
タクミはアヤカに視線を向ける。その視線を受けたアヤカは当然だとばかりに口を開く。
「前回と同じ。私が牽制してあなたが奇襲を仕掛ける。前回と状況は大きく変わっていないし、それが最善よ。それに──」
アヤカは自身の腰に目を落とす。タクミをその目線に合わせて自身の腰に目を落とす。
「──それに、今回は準備に余念がないわ。今回こそは決めてみせる」
二人の腰にはナイフが装備されていた。タクミはそれを取り出す。握りやすい形状の黒い柄に光を反射し白く光る刀身。それは道中倒したテロリストから鹵獲したものであった。
「ああ。今回は射撃だけじゃない。接近戦で勝負だ。……前のループでナイフを使った戦闘も経験してたんだっけ?」
「ええ。そう聞いているわ」
タクミはアヤカから聞かされたループの話を思い返す。失われた記憶、以前のループではタクミはナイフを使った戦闘も経験していたらしい。今回のループでナイフを使うのは初めてだが、体が使い方を覚えていることだろう。
「よし! ──じゃあ行こう!」
──そして、タクミの言葉によって戦いが開始される。
アヤカは階段の影から銃口を覗かせて、上段に隠れているテロリストに向かって牽制をする。
「タクミ! お願い!」
アヤカが言葉を発すると同時に、タクミは階段を駆け上る。銃の引き金を引きながら、隠れているテロリストへと近づく。タクミは階段の踊り場へと辿り着くと、体を翻して銃口を敵に向ける。しかし、タクミが敵に銃口を向けるよりも先に、敵の銃口がタクミに照準を合わせていた。敵のテロリストの銃から発砲音が響く。
「っ! ──クッソ、がっ」
タクミの体から何かが吹き飛んでいく。それは銃弾が貫通した体の部位であろうか。否、それはタクミの手にする銃であった。
「何回も同じ手を食らうと思うなよ!」
──タクミは敵のテロリストが発砲した銃弾を、自身の銃を盾にすることで防いだのであった。
そして、タクミは腰に携えたナイフを逆手に装備すると、敵のテロリストの首元目がけて切り裂きにかかる。が、タクミの剣線は空を切る。テロリストが上半身を屈ませてタクミの攻撃を躱したのだった。さらに、テロリストは攻撃を振って隙が生じたタクミのみぞおちに向かって蹴りを食らわす。それをモロに喰らったタクミはよろめきながら後方の壁に激突する。
「ぐっは!」
タクミは苦しみの声を上げながら壁にもたれかかる。しかし、休憩する隙を与えないとばかりに敵のテロリストはタクミに銃口を向けていた。
発砲音が階段にこだまする。階段らしく無駄に大きい反響音が響く中、床にぼたぼたと血が流れ落ちる。それはテロリストの腕から流れ落ちた血だった。
発砲音はアヤカの銃から響いたものだった。階段下にいたアヤカが発砲したのだ。彼女の銃弾はテロリストが手にする銃を弾き飛ばした。彼女は銃を連射し、テロリストの腕に向かって何度も銃弾を浴びせる。
テロリストはたまらず背を向けて階段上に退却する。その姿を追いかけながらアヤカは冷酷に何度も射撃を繰り返す。が、射線上からテロリストが見えなくなる。アヤカは大きく舌打ちすると、タクミの方へ振り返り、優しく手を差し伸べる。
「アヤカ…… ありがとう、助かる」
「大丈夫? 蹴られたところ痛くない?」
タクミはアヤカの手を借りてその場を立ち上がる。タクミを見つめるその目は慈愛に満ちた女神そのものであるが、先ほど敵に見せた感情は間違いなく本気の殺意であった。タクミはそれには触れないようにする。
「ああ、痛いのは痛いけど…… 重傷ってわけじゃなさそうだ」
タクミは蹴られたみぞおちをさする。幸いなことに大したことはなさそうだ。少し痛むが、骨折などはしていなさそうだ。肩を上下させ、息を整える。
「そっか。それはよかった! 気を付けてね」
アヤカは口角を上げてこちらに向かって微笑む。その姿を見て安心すると共にこのループで決着をつけるのだという気持ちが再燃する。絶対に負けたくはなかった。なんとしても屋上へたどり着くのだ。そして、ループを脱出するのだ。
「ありがとう。気を付けるよ──」
だが、覚悟を決めたのもつかの間、テロリストが突如視界の目の前に現れる。階段上から踊り場に飛び降りてきたのだ。刹那、アヤカの手にするを銃をはたき落とし、その勢いのまま回し蹴りをアヤカに食らわす。彼女は叫び声をあげる間も与えられずに、階段を転がり落ちるように蹴り飛ばされた。
「なっ。アヤカ──!」
叫ぶタクミに向かって、ナイフの剣線が飛んでくる。タクミはそれを体をねじって避けようとする。しかし、避けきれずに肩口に一文字を描くようにナイフの切り込みが入れられる。
「ぐっ。痛ってぇ!」
テロリストの攻撃はこれで終わらない。次はタクミの首を突き刺さんとナイフの切っ先が向けれられる。切っ先がタクミの首をとらえる寸前、タクミは白刃取りをするようにテロリストの手元を押さえつけた。
「負けるわけにはいかねぇんだよ!」
タクミとテロリストの力試しが始まった。お互いに力を押し付け合う両者。タクミの首元にナイフを刺そうとするテロリストとそれを防ごうとするタクミ。しかし、敵の力は圧倒的だった。一回り以上も大きい敵相手のタクミは押されかけていた。
ナイフの切っ先がもうすぐそこまで来ている。タクミは死の恐怖を感じる。少しでも気を抜いたら死んでしまう。力試しはタクミの負けでほぼ決まりだった。
そこでタクミは考え方を変える。力に対抗するのではなく、力を受け流す。タクミは重心を横にずらすと、敵の力を後ろに流す。
「力だけがすべてじゃねぇ!」
そして、バランスを崩した敵の腕を引っ張り、後ろの壁に向かって思い切り投げ飛ばす。敵の体は正面から壁に激突する。
タクミは壁に激突したテロリストの後頭部をがっちりと掴むと何度も何度も壁に叩きつける。
「うわあああああ!!!!!」
鈍く不快な激突音が階段に鳴り響く。テロリストは成す術もないようで、顔面に傷を増やしていく。
「俺らは屋上に行かなきゃいけないんだ。行かなきゃいけないんだよ!」
タクミは必死になって攻撃を続ける。屋上へ行き真実を知る。それだけがタクミの体を突き動かしていた。もはや頭の中は空っぽだった。
──だから、敵がナイフを握る右手に力を入れていることに気づかなかった。だから、敵が振り返ってタクミの体を縦に切り裂いていることに反応できなかった。
「は──?」
タクミは異変を感じ取り自らの体に視線を落とす。そこには一筋の線が描かれていた。肩口から下腹まで、その線は長々と続いていた。遅れてタクミは何が起こったかに気づく。しかし、その時には血がどばどばと噴き出し、タクミの体は赤に染め上げられていた。
「あ、ああっ」
タクミはその場に膝をついて倒れ込む。溢れる血を止めようと手で体を押さえる。しかし、流れる血が止まることはない。タクミの体からボタボタと鮮血が流れ落ち、床に血の池を作り上げていた。
「あああああああああ!」
タクミは激痛を感じて呻く。意味が分からなかった。タクミの頭の中、妄想の中ではこの戦いの勝利は決定的で、屋上で答えを知ることは決まっていたも同然だった。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
タクミは仰向けになりながら体を激しく震わせる。しかし激痛から逃れることはできない。痛みがタクミにまとわりついているのが分かる。
一瞬の油断ですべてが決まってしまった。タクミは激痛の中、彼の真上に立ち尽くすテロリストに視線を向ける。テロリストは見下すようにこちらを見つめていた。手にしたナイフを振り上げ、とどめを刺さんとしているようだ。
「く、クソが……」
タクミは覚悟を決めた。自分が死ぬ覚悟を。この戦いをもう一度やり直す覚悟を。
テロリストが掲げたナイフが振り下ろされようとしている。タクミは目を瞑り、彼がとどめを刺すのを待った。そして、──いつまで経っても意識が遠のくことはなかったのであった。
「──え?」
違和感を感じて目を開くタクミ。そこにはタクミの代わりに攻撃を受け、ナイフが首に突き刺さった状態のアヤカがいたのだった。
「やあああああああああああ!!!!」
アヤカは雄たけびを上げながら敵のテロリストの顔面に向かって自身のナイフを向ける。首にナイフが刺さった状態にも関わらずに、だ。
タクミを狙ったはずの攻撃を身代わりにされ、それでいて鬼の形相で反撃にかかっている。そんな尋常ならざる状況にタクミはおろか、敵であるテロリストも想定外だったようで、彼はその様子を見ることしか敵わない。
──アヤカはテロリストの脳天に深々とナイフを突き立てたのであった。
テロリストは一瞬の断末魔を上げて床に倒れ込んだ。それからは、呻くことも悶えることもなく人形のように固まった。──即死だった。
それを見届けたアヤカは全身の力が抜けたかのようにその場に倒れ込む。
「あ、ああ。ああああああ。なんで。なんで」
意味が分からなかった。何故アヤカが重傷を負っているのか、何故アヤカが傷つかなくてはならないのか。傷を負うべきはタクミであり決して彼女ではない。
タクミは力を振り絞り、アヤカの下に這いずり寄る。
「タクミ。やったわよ。これで屋上に行けるわ」
首に刺さっているナイフのせいであろうか、アヤカの声は空気交じりのかすれた声であった。呼吸するのもやっとの様子であった。その様子を見れば明らかであった。アヤカは間もなく死ぬのだということが。
「これじゃあ…… これじゃあ意味ないじゃんかよ」
タクミは彼女の頭へ手を伸ばし、柔らかく撫でる。彼女を見つめるタクミの視界が涙でぼやけた。自らの体の痛みなどどこかに行ってしまった。タクミはアヤカを抱き寄せる。
「意味なくなんてないわ。あなた一人でも行くのよ」
「二人で行くんじゃなかったのかよ!」
タクミの瞳から涙がとめどなく溢れ出る。
「お願い。約束して…… あなた一人でも真実を確かめて」
そんなことできるわけがなかった。彼女と一緒だからここまでたどり着けたのだ。彼女と一緒だから頑張れるのだ。それなのに、最後の最後でどうして一人でできるというのか。
「そんな。そんな約束なんて! できるわけ──」
「──お願いだから!」
「──ッ!」
しかしそんなタクミの思いはアヤカの叫びにかき消されてしまう。叫んだのが原因であろう。アヤカの口から血が吹きこぼれる。苦しみの表情で息を荒く吸い込んでいる。だが、そんな状態にも関わらず、彼女の瞳には力が宿っていた。絶対に譲らないと言う強い意志を感じた。
「お願い……!」
タクミは彼女の意思を一心に受ける。本気の覚悟を肌で感じる。タクミは一人で屋上へ向かう決心をした。
「……分かった。約束、するよ」
タクミはアヤカに向かって約束の言葉を口にする。だが、その時には彼女の体は動かなくなっていた。
──アヤカは死んでしまったのであった。
それを理解したタクミはアヤカの瞳に手をやり、目を閉じさせる。その目にはいまだに力が宿っており、まるで生きているかのようだった。
タクミは近くにあるアヤカが使っていた銃を杖にして何とか立ち上がる。そこでタクミは自身が負った傷の痛みを思い出す。思えばタクミも相当な重傷を負っているのだった。だが、弱音を吐いてはいられない。タクミは屋上に行かなくてはいけないのだ。タクミは階段上、屋上の方へ目線を向ける。陽光が照らしているそこには確かに屋上への扉があった。タクミは一段一段ゆっくりとその場所へ歩みを進める。
「これで、やっと……」
そして、タクミは屋上の扉に手をかけたのだった。
アヤカを犠牲にしてボスを撃破したタクミ。全ての謎を解き明かすため屋上の扉へと手をかける──。
次回ラスボス登場です。