エピローグ
エピローグまで気になっていただきありがとうございます。
前話で物語としては終わりですが、エピローグも充実した内容になっているかと思うのでぜひお楽しみください。
──思春期とは一種の病である。
その病気の患者は、世界の主人公は自分であると思い込み、溢れる妄想力で時に世界の法則を作り替えたりもする。妄想の中ならば自分は一端の戦士にも巧妙な策士にもなり得る。あの時のタクミもそうだった。学校に侵入したテロリストを何人も撃退し、愛する人を救った。あの物語の主人公は間違いなくタクミであった。
もしかしたら彼──オガサハラも思春期の患者だったのかもしれない。彼の言う悪魔なんてものは存在しなかったのかもしれないが、だがしかし、彼の妄想は確かに世界の法則を変えさえした。あれからしばらくたった今でもループの謎が解明されることはなかったし、そもそもループの悪魔を召喚する降霊術なんてものの存在すら疑わしかった。ネットで検索してもそんなサイトはついぞ見つからなかった。ループは彼の脳内シミュレーションが生み出した産物なのかもしれない。だがまぁそう言うこともあり得るだろう。なぜならばそれこそが思春期という病の症状なのだから。
──あれからというものタクミは多くの思春期患者を診察してきた。
多くの患者は授業中に症状が発症していた。タクミが教壇に上がり物理の授業をしていると、何人かの生徒が上の空になっているのが分かった。彼らはきっと妄想をしていたのだろう、学校に侵入してきたテロリストと戦っている妄想を。
「──あなた、教師時代の写真なんて見返してどうしたの?」
そんなタクミに対して、ゆったりとした柔らかい口調で話しかける者がいる。タクミはその声の主へ振り返る。見るとそこにはアヤカがいた。彼女はほうれい線が刻まれた口角を上げるとこちらに笑顔を向けた。
その笑顔をみたタクミはシワだらけの腕をゆっくりとあげ、戸棚に写真を飾り直した。
「いや、急に昔が懐かしくなってね。思えば君との出会いも学校だったね」
「そうね。あのループの中で私たちは出会ったのよね」
──二人は老齢になっていたのだった。
あのループを脱してから60年が経過していた。あの後タクミとアヤカは同じ大学に進学し、タクミは教師に、アヤカはシステムエンジニアになっていた。二人は26の時に秋の空のもとで結婚式を挙げ、子宝には恵まれなかったものの二人でここまで仲良く生活してきたのだった。
「あのループがなかったら僕たちは出会わなかったのかもしれないね」
タクミはガンを患っていた。余命はわずか。終末医療として自宅でアヤカと最後の日々を過ごしていた。
「ううん。あのループがなかったとしてもきっとどこかで出会ってたわ。そんな気がするの」
「うん。そうだね……」
タクミは直感した。もうすぐ自分は死ぬのだと。タクミは死の間際に感じる特有の感覚を知っている。繰り返すループで知ったものだ。それを今再び感じた。タクミは自らの寿命が終わりゆくのを感じた。だが、悲しくはない。タクミは自らの死を受け入れていた。
アヤカもまたタクミが死にゆくのが分かっている。しかし、彼女も悲しがることはない。そう、もう十分なのだ。何十年も共に過ごし、思い残したことなどない。であるならばアヤカがタクミにかける言葉は励ましの言葉でも哀れみの言葉でもない。感謝の言葉だ。
「ありがとう、タクミ。わたしと一緒にいてくれて。すごく楽しかった。本当に、ありがとうね」
アヤカは手を伸ばし、タクミの手のひらを包み込む。彼女の視線からは満足感が感じられた。
タクミは目を瞑り今までの人生を振り返る。
思えばループを脱してからの日々にはいつもアヤカが一緒にいた。アヤカと受験勉強をがんばった日々。同じ大学でキャンパスライフを過ごした日々。就職し、忙しい日々の中でもめげずに愛を育んで行った日々。二人で他愛もない話をしながら過ごした日々。そのどれもが尊い日々だった。
「アヤカ。こちらこそありがとう。本当に感謝しても仕切れないよ」
タクミはアヤカに感謝の言葉を述べる。言葉を発しただけなのに息切れが止まらない。タクミは本当に間も無く死ぬのだと理解した。タクミは息を引き絞り、アヤカに最後の言葉を告げる。
「──来世でもまた君に会いにいくね。そしてまた二人で一緒に過ごすんだ」
「うん。ずっと一緒だよ。……あんまり遅いとわたしから会いに行っちゃうんだかね」
「……じゃあ、そろそろ逝くね」
「うん。──また会おうね」
──そして、タクミの意識は遠のいたのだった。
※
「この問題は数列の初歩的な考えを使えば解けるのであって──」
教壇に立つ初老の教師の機械的でか細い声が、この静まった空間に響き渡る。長かった夏も終わり、灼熱の太陽がうろこ雲に覆われてその勢力を弱める季節。備え付けられたベランダからは、あれだけうるさかったセミがその背をひっくり返して力尽きているのが見える。
そんな夏休み終わりの秋の教室で、彼──アキツ・タクミの意識は覚醒したのであった。
「──え?」
タクミは自分の体に目をやる。年老いた腕ではなく、当時の若々しい体であった。そして周囲を見渡す。そこはタクミが教師時代を送った教室ではない。そこはタクミが学生時代を過ごした、ループを経験した教室であった。
「これは死後の世界? それとも──」
タクミの中で嫌な予感がする。脳内で『最悪』が警鐘を鳴らしていた。タクミの背中を冷や汗がなぞった。この景色は見覚えがある。だが、それはありえない。なぜならば『それ』は死んだはずだ。それが起きるわけがない。起きてはならないのだ。
だが、最悪の予感が正解だとばかりに、教室にチャイムの音がこだまする。
「──アキツ先生。ご来賓の方がいらっしゃいました。屋上へお越しください。繰り返します。アキツ先生。屋上へお越しください」
「……は?」
わけがわからなかった。だが、それを確かめるためには屋上へ行くしかない。そのことだけは理解できた。タクミは震える手足に鞭を打ち、教室を出る。
「なんで? なんで……!?」
タクミは脇目も降らずに屋上へと向かう。頭の中を無理解が覆っていた。極度の緊張で思考が働かない。真っ白にぼやける視界の中、なんとかタクミは屋上への扉にたどり着く。
「……アヤカ」
屋上の扉を開けた目の前にはアヤカが立っていた。こちらに背を向け屋上の中央の方を一点に見つめていた。いや、もはや見つめていたという表現は不適切であった。彼女は屋上の中央の方を向いて固まっていた。彼女の目には生気がない。タクミが呼びかけても反応がなかった。
そしてタクミも彼女が見つめる先、屋上の中央に目を向ける。
「お前は──」
そこにはオガサハラがいた。あの時のように椅子に座し、机に教科書を広げていた。彼はタクミの方へ目を向けるといつもの飄々とした声音を上げた。
「ああ、やっと来たのかい。待ってたよ。アキツタクミくん」
「オガサハラ…… なぜだ。なぜ!!!!!!」
だが、わからなかった。なぜループが発生しているのか。オガサハラは死に、ループは終わったはずだ。タクミの疑問に答えるようにオガサハラが言葉を発す。
「ふぅ。どこから話せばいいだろうか。先ほどサンドウさんが先に来たから説明してあげたのだけど、ご覧のようになってしまってね。まぁ無理もないか。何せ60年越しのループだ。そりゃショックも受ける」
「60年後…… なぜお前がそれを知っている? これはあのループの続きなのか? でもなぜ? 俺はお前を殺してはずだ」
タクミの頭はとっくに限界を迎えていた。思考が全く働かなかった。
「困惑しているようだね。まぁそうもなるだろう。順を追って説明しよう。重要なポイントは2つだ。1つ目はループの仕組み。僕の力はループの生み出す力と言ったが、その中にはループの繰り返し条件を決める力というのも含まれている」
「ループの繰り返し条件? それは俺が持っているはずだ」
ループを繰り返す力はタクミが持っていたはずだ。現にタクミが死んだらループが発生していた。
「その問いについての正解はイエスでありノーだ。君の力は確かにループを繰り返すための引き金になる。が、ループの条件とはならない」
「それはどういう……?」
「アルゴリズム的に言えばループは開始から終点までが終わった時、ループを繰り返す条件を満たした場合にもう一度ループするんだ。そしてこれが僕に与えられた力である。それに対して君の力は強制的にループの繰り返し条件を発動する力だ。いわゆるcontinue文と言われるやつだね。つまり君の死はループの繰り返し条件を発動するトリガーにはなり得るが、繰り返しの条件にはなり得ない。本当の繰り返し条件は僕の東大の合否なんだ」
そう、ループの条件はタクミの死ではなかったのだ。本当のループの条件はオガサハラが設定したものであった。そのことを理解したタクミは絶望感に襲われる。
「ふざけんな。なんだよ、それ……」
「そして2つ目だが、僕は君の寿命があと60年だというのを知っていた。僕は以前のループで君らが寿命を全うすればサンドウさんよりも先に君が死ぬことを知っていた。そして君が先に死ねばループが強制的に発生する。だから言っただろう。サンドウさんを君より先に死なせるな、って」
「ああ、ああああ。あああああああああ」
「それぞれの最善の利害が衝突した時の解決策を教えてあげようか。各人が最善を叶えられるように周回を重ねるんだよ。あの時の周回で僕は君たちに最善を譲った。二人で過ごす日々は楽しかっただろう? 次は僕の最善を叶える番だ。60年も時間を与えたんだ。もう十分だろう? 今度は僕に譲ってくれよ」
タクミは全てを理解した。全てはオガサハラの手のひらの上だったのだ。タクミがオガサハラを殺すことも、アヤカと二人で過ごすことも、そして、タクミがアヤカとの生活に満足することも全ては彼の計算通りだったのだ。だが、もうタクミには力が湧き上がらなかった。オガサハラへの殺意が膨れ上がるが、体が動くことを拒否していた。タクミの心は完全に折れたのだった。
タクミは膝をつき空を眺める。
「ああ、俺は普通に死ぬことさえ敵わないのか──」
──秋のうろこ雲に遮られ、太陽の日差しは差し込むことはなかったのであった。
エピローグまで読んでくださりありがとうございます!!
前話から一転、とてつもない終わりとなりました。ですが、これはエピローグなので本編とは分けていただければと思います!
ただ一つ、このエピソードで伝えたかったのは、罪を背負うということの重さです。
曲がりなりにも人を殺してしまっているタクミが背負う罪を表現しました。
……では本当に本当に最後まで読んでくださりありがとうございました! 何か新しい作品を書こうと思うのでまたどこかで出会えれば!