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10 覚悟

「この問題は数列の初歩的な考えを使えば解けるのであって──」


 教壇に立つ初老の教師の機械的でか細い声が、この静まった空間に響き渡る。長かった夏も終わり、灼熱の太陽がうろこ雲に覆われてその勢力を弱める季節。備え付けられたベランダからは、あれだけうるさかったセミがその背をひっくり返して力尽きているのが見える。

 そんな夏休み終わりの秋の教室で、彼──アキツ・タクミはぼんやりと外を眺めながら数学の授業に臨んでいた。

 タクミは窓の外を見る。秋の空を眺めると、今までの記憶がよみがえって来る。

──ある時は教室に襲撃してきたテロリストを撃退した。銃を持った敵に対してタクミは果敢に立ち向かった。脳内シミュレーションした通りに敵を倒すことができた。

──ある時は光指す教室で謎の少女と出会った。あの出会いによってタクミの運命は大きく動いた。初めて誰かを守りたいと思えるようになった。

──ある時は圧倒的な強敵に対して立ち向かった。自分よりも一回り以上も大きい敵にも関わらず、タクミは全くひるむことなく戦うことができた。

──そして、ある時は最悪の黒幕に対峙した。その人物の悪辣な笑みは忘れがたい。タクミはその人物を許すことはできないだろう。

 

 と、教室内に例のチャイムの音とアナウンスが聞こえる。

 タクミは拳を握りしめる。オガサハラ、彼を許すことはできない。タクミは彼を絶対に殺さなくてはならない。アナウンスがタクミの怒りを沸き上がらせる。


「オガサハラ先生。ご来賓の方がいらっしゃいました。至急職員室にお戻りください。繰り返します。オガサハラ先生。職員室にお戻りください」


「──オガサハラ。絶対にお前を殺す」


 アナウンスに合わせて、教室の外から黒ずくめのテロリストが侵入する。


「──え? なんだあれ?」


「人、だよな? 誰?」


 教室のクラスメイト達が異変に気づき、口々に声を上げる。騒然とするクラスメイト達に向かって、テロリストは銃の引き金を引こうとする。が、


「がっ──?」


 鈍く不快な音が教室に響く。タクミがテロリストに向かって椅子をお見舞いしたのだ。その衝撃によって、テロリストは床に倒れ込む。それを見たタクミは間髪入れずに次の攻撃を繰り出す。手にするシャーペンを振り上げ、躊躇なく倒れるテロリストの眼玉に突き刺した。


「がっ。あああああ!!!」


 もがき苦しむテロリスト。タクミはその上に馬乗りになると、テロリストの顔面に向かって銃の引きを引いた。

 大きな衝撃音に教室に響く。クラスメイト達は何が起こったのか分からないと言った様子であった。

 そんな静まり返った教室を、タクミは後方に向かって悠然と進む。そして、遅れて教室に襲撃に来たテロリストの頭に向かって銃弾を放つ。あっけない撃退劇であった。


──タクミはクラスの誰も死なせずにテロリストの撃退に成功したのだった。


 タクミはいつものように倒れたテロリストの腰からナイフを引っぺがす。そして、アヤカと出会うために教室から出ようとする。その時──


「アキツ、おまっ、まじかよ──」


 クラスメイトの一人がタクミに話しかけてくる。その言葉にタクミはびっくりして振り返る。思えば今までのループではクラス全員が無傷で終わることはなかった。故にクラスメイトから声をかけられることなんてなかった。考えたこともなかったが、クラスメイトはタクミの行為に驚くことだろう。タクミは必死にこの出来事の言い訳を考える。が、そんなタクミに次々と言葉が寄せられる。


「お前、すげぇよ。テロリストをやっつけちまった」


「アキツくん、ありがとう」


「ありがとう、ありがとう!」


──それはタクミの予想だにしないものだった。驚かれることはあれ、感謝をされようとは夢にも思っていなかった。


「や、これは、その…… 大したことじゃないよ」


 タクミの顔が例によって真っ赤に染まる。タクミは恥ずかしさから逃れるために、感謝の言葉で包まれる教室を後にし廊下へと出る。そして、アヤカに会うために女子トイレへと向かおうとする。──と、


「──アヤカ……」


──目の前にはアヤカが立っていた。胸までかかる黒髪に短めのプリーツスカート。いつもと変わらぬ装いの彼女。彼女を見るや否や、タクミの足が自然に動く。彼女のもとへ走って行く。


「アヤカ。……ごめん。ごめん!」


 タクミはアヤカに抱擁した。溢れる気持ちが抑えられなかった。タクミは涙でぼやける目で彼女のことを見つめる。


「……なんで。なんでやり直したの? もしかして屋上に行ってないの?」


 だが、彼女は怒ったような、泣いたような表情をしていた。彼女の予想外に反応にタクミはたじろいでしまう。だが、彼女の状況を思えば彼女が怒るのはむしろ当然である。何せ彼女は屋上での出来事を知らない。彼女が死んでしまったあの場でタクミが自死したと思っても不思議じゃない。


「いや、屋上には行ったんだ。そこで俺はすべての真実を知った。このループのこと、そして、倒すべき敵のことを──」


 タクミは屋上で真実を知った。屋上にはこの出来事を仕組んだ黒幕がいた。その人物は自らの欲望のために多くの人たちを巻き込んだ。だから、許すわけにはいかないのだ。なんとしても彼の野望を止める。それがタクミたちが成すべきことなのだ。


「倒すべき敵? それはどういうこと?」


 だが、アヤカの表情からは疑問符が消えない。怪訝な表情でタクミを見つめている。それは不信感に近いものだった。タクミは必死になってアヤカを説得する。


「アヤカ。君は敵によってループを抜け出す力を背負わされている。その力は君が死ぬことによって発動する。奴等の狙いは君の死。君を殺すことでループを終わらせようとしている。だから、俺は君を救うために戻ってきたんだ。君を、──運命から救うために!」


 アヤカはオガサハラによって運命を決定づけられた。彼の無謀な計画のために、アヤカは過酷な運命を歩まされている。アヤカだけではない。この学校の者も彼の計画のために死んでいった。東大に入りたいという彼の個人的な野望に多くの者が運命を狂わされたのだ。だから、タクミはその運命を断ち切ることを決意したのだ。


「運命に囚われている? い、意味が分からない…… タクミ、意味が分からないよ!」


 だが、アヤカの表情は厳しいままである。抱擁したタクミの手を振りほどき、拒絶の意を示す。彼女のその行為を受けたタクミは自身の思い違いを理解する。


「あ、アヤカ……」


 運命に囚われている? 運命を断ち切る決意をした? 違う。そうではない。そんな上辺の小奇麗な信念のもとにタクミは動いているわけではない。タクミがわざわざ自死してまでアヤカに会いに来た理由。それはもっとシンプルで、強力な理由であるはずだ。その理由というのは──


「ああ、もう!!!!」


 タクミは頭を掻き毟る。タクミは自身の気持ちに気づいた。いや、本当はもっと早くに気づいていた。気づいていながらも必死に抑えていたのだ。その感情を認めるにはタクミは余りにも思春期だったのだ。だが、思春期だからこそ成せることもある。タクミは意を決し、大きく息を吸う。アヤカの顔を見つめ、自身の本当の気持ちを吐き出す。


「俺は……! ……俺は君のことが好きだ! 好きだから、好きだからずっと一緒にいたいんだよ!」


 タクミは運命を変えるためにループを選んだのではない。タクミはアヤカが好きだから、彼女と一緒の世界を生きたいから、もう一度ループをやり直しに来たのだ。そこには体の良い大義名分や大仰な理屈はない。それはタクミの心からの願いであり、絶対に押し通したい我儘なのだ。

 その気持ちはグラスに注いだ水のように、一旦溢れ出したら止まらない。タクミはアヤカの肩を掴み、彼女の目を一心に見つめる。


「た、タクミ……」


「俺はアヤカがいない世界なんて嫌なんだよ。だから、だから──」


 彼女の眼からは何を考えているのかは読み取れない。だが、もう止まらない。タクミは思いの丈を全て吐き出す。


「──ずっと一緒にいてください。お願いします……」


 タクミはこうべを下げ、彼女のもとへ手を伸ばす。正真正銘愛の告白だ。彼女がどんな表情をしているかは分からない。ただこの告白が成功しろと、ただそれだけを思って腕を差し出し続ける。そして悠久とも思える静寂の後、彼女から小さな声音が聞こえる。


「好き…… 私も好き」


 それは消え入りそうなくらい小さい声だった。おまけに緊張で震えるようだった。だが、それでも彼女の言いたいことははっきりと分かった。なぜなら、タクミの腕の先に彼女の手があったからだ。

 タクミの緊張で汗ばんだ手先を彼女の柔らかい手先が包んでいた。 


「ほ、ホントに?」


 タクミはにわかには信じがたかった。目の前で起こっていることが現実とは思えない。しかし、アヤカの顔を見たタクミはこれが現実なのだと悟る。


「うん。ホントに。私もタクミが好き。……だから、約束ね」


 言うとアヤカはタクミの前に小指を差し出す。アヤカの無邪気な笑顔でこちらを見る。テロリストを殺している時とは違う、その笑顔はどこにでもいる女子生徒のそれだった。そんな様子を見ると安心する。この笑顔をずっと隣で見ていたい。タクミはそう思った。


「ああ、約束だ」


 タクミは彼女の差し出した小指と自身の小指とを交差させる。


「ずっと一緒にいるって、指切りげんまん」


 彼女はリズムを刻んで指切りげんまんの歌を歌い始めた。タクミはそれを笑顔で眺める。


──タクミは覚悟を決めた。今度こそ決着をつけると。絶対にオガサハラとの戦いを終わらせると。


「……全くもう、遅いんだから」


 タクミは彼女が小さく呟いた言葉を聞き取ることはなかったのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。描きたかった主人公の告白シーンを描くことができました。不器用ながらも真っ直ぐな告白。この告白でなぜタクミが戦うのかという、物語の核を表現できたのかな〜と思います。

次回最終回、ぜひお楽しみください。

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