鎌倉武士、アルバイトをはじめる
新登場人物
田島紘一・・・・・日本エアラインのベテランパイロット
亀吉・・・・・・・土佐の桂浜の漁村の子供
その他・・・・・・劇団ぴよこ
【 釧路市内 カフェ ボウ 】
無理やりに近い状態で、店内改装されられた。
前はお客の20人も入ればいっぱいだったのだが、鎌倉産業のショップマネジメントなんたらが来て、増築、改装を勝手にやっていった。
中央にカウンターを円形に作り、どこからでもカウンターの中にいる人間が見える。周りはラウンジで、テーブル席がある。特徴的なのは奥に一段高くなっているフロアがあり、低い大テーブルがそれを囲んでいることだ。
最初、広すぎる店内で戸惑っていた星奈の母、冬香も、釧路市内で最大、いや全道最大のコーヒーショップに、いまは嬉々として働いている。まあ、客は相変わらず少ないが。
それでも昼時になると、自慢のハンバーグを食べに前以上に来客があるため、母一人では間に合わないこともしばしば起きた。とくに土日は休みの鎌倉産業の人間が入れ代わり立ち代わり来るようになってからは、てんてこ舞いの様子だった。星奈も店の手伝いに駆り出される。
「忙しそうだね、星奈ちゃん」
「あ、伊勢さん、いらっしゃい」
伊勢義盛。義経の家来で、いまは鎌倉産業の海外貿易を担当していると聞いた。
「お店、明るくなったね」
「あ、サナンさんも、おそろいで。今日はお休みですか?」
「うん。明日から中国に商談で出かけるので、義経さまにご挨拶をと」
この人、もとは金の国の武将だったのに、こっちへ来てからすっかり義経の家来になりきっているのだ。いまは楽しくてしょうがないらしい。はるか昔に自分の国はなくなってしまったが、義経の下、かつて自分の国のあったところと関係できるからだ。それに仲間もいる。それを聞いたとき、星奈は、男の人って羨ましいなと思った。
自分の父は、星奈が小さいころ癌で亡くなった。父は普通の会社員だったが、弓道の師範でもあった。祖父から譲り受けた小さな射場を備えた道場もあって、星奈はよくそこで遊んだ。
父は優しかった。そして誰よりも強かった。父の望みは、『日置流』という古流の武射系に属する流派の興隆だ。実利(貫中久。強く貫き、よく中て、それを維持する、という意味)を重んじる、いわば弓道の武闘派だ。有名な三十三間堂の通し矢は、この流派の得意とするところだ。
母は、そんな父の夢を、女手一つで星奈を育てながら、わずかに残った遺産でこの店を開き、少しでもかなえようとしていた。母を助けるつもりで始めた弓道は、いつしか星奈の生きがいにもなり、ついに高校生では最高のレベルに達していた。
しかしそんな星奈が、この出会いによって少しぐらついてきたのを感じていた。自分のはるか上を行く弓の技術や力、そして義経自身の生き方を見てからだ。
「星奈、ねえ、ちょっと星奈ったら」
「え?あ、なに?」
「何ボーっとしてんのよ。向こうのお客さんにランチ持ってって」
「あーはいはい」
最近少し、変なんです。
「忙しそうだね」
「あ、若。お出かけでしたか」
「うん。ちょっとジャケットと靴買いに。なんかさ、雑誌で見るファッションのようなやつって、ここらじゃあんまり売ってないんで、やっぱ東京とか行かないと」
「何言ってんですか。この間まで奥州逃げ回っていたじゃないですか。しっかり鎌倉武士してたじゃないですか。何がファッションですか」
「そう怒るなよー、よっちゃん」
「義経さま、しばらくです」
「ああ、サナンも来てたの。最近顔見せないから心配してたよ」
「ありがとうございます。仕事で中国に行っていたもんで」
「そうか。で、見つかった?」
「いえ、それはまだ。しかし良いのです。ここに家族はおりますれば」
「そうだね、サナン」
サナンさんは、もし今でも残っているとしたらと、金国の末裔を捜していた。
ふたりは深々とお辞儀をして、帰って行った。他の客が不思議そうに眺めている。
「それにしても忙しそうだね。手伝おうか、ママ」
最近、義経は母のことを冬香、ではなく、ママ、と呼ぶようだ。しかも、それはお母さん、を意味するようなイントネーションではなく、なにか甘えるような抑揚がついたものだ。母は、そんなときだけあたしから見てもわかるような色っぽさを出して返事するのだ。
「いやん、いいの?助かっちゃう。あとでうんとサービスしてあげる」
何のサービスだっ。一応高校生なんだぞ、色ボケばばあ。と、星奈は心の中で罵った。
「いらっしゃいませー」
義経が入店した客に水を持っていくと、いちいち歓声が上がった。女性客のみならず、男性客も、だ。私服だと義経が男か女かわからないのだ。わからないが、とにかく美し過ぎるので、とりあえず歓声を上げるらしい。うざい。
昼過ぎから、ランチの客は減り、すこしヒマになるはずだった。しかし客がどんどん増えてくるのはなぜだ?しまいには入りきらない客が外で入店待ちをする始末。混んでるんだから他行け、と星奈は思った。普通、コーヒーショップに行列なんかできない。開店セールじゃあるまいし。しかもランチの時間はとっくに過ぎてるのだ。なんなの?きっと近くの飲食店が軒並み休業しているんだわ。星奈はそう、自分を納得させた。
閉店時間の夜9時まで客は満杯だった。主に若い女性が主のようだった気がした。義経がフロアを歩くたびにキャーキャーと歓声が上がった。まあ、それは仕方ない。ああ、今日は疲れた。明日は日曜日。午前中は母は買い物に行くから、昼まで店番だ。午後は弓道場で練習しなくっちゃ。まあ、日曜日だからヒマだけど、義経にも手伝わさせるかな。
「ふーん、混んでて大変だったんだ」
「そうだよ静。ちょっとくらい手伝ってくれてもよかったのに」
「だって、このDVD見てたから」
どこかで借りて来たんだ。アイドル系のDVD。どうすんだ、あんなに。
「何やってんだよ。目、悪くするよ」
「そっちかよ」
義経に星奈がツッコんだ。
まあ、いいや。なんかにぎやかだ。母さんと二人の時は静かでのんびりとしていたのに、この二人が来てから、生活がガラッと変わってしまった。
「よっちゃん、お風呂はいっちゃいなさーい」
「はーい、ママ」
なんかムカつく。よっちゃんて誰だよ。
翌朝。日曜日。顔を洗ってー、着替えたら店回りを掃除してー、それから庭にある花を摘んで店のカウンターに飾ってー、コーヒーを点てる。
そのころには義経たちも起きてくるから、店でトーストとコーヒーでおしゃべりする。どうせ午前中はヒマだし。
優雅な計画を立てながら下に降りていくと、母さんが玄関に立ったままでいる。
「あれ?母さん、買い物は?」
無言で玄関わきの窓を母は指さした。覗くと、行列が見えた。なんだ?何の行列だ?
「なにあれ?」
「うちに、みたいよ」
「はあ?」
「おはよー、星奈、ママ」
「あ、義経、たいへん―――」
「ああ、外だろ?連絡あった。沙耶から」
義経はスマホを振りかざしていた。そんなもんどこで?いや、そんなことはどうでもいい。連絡?沙耶?何のことだ。
「沙耶って?」
「大木沙耶。ほら、星奈の弓道部の部長」
「なんでそんな。いつからそんなに仲良くなった?なんで沙耶部長が?」
「まあ、ね。いや、店の席、予約するって」
「はああああ?なんでうちの店に予約すんのよ」
「それは――」
ピンポーン、ピンポンピンポンピンポーン
けたたましいチャイムの鳴らし方。なによ。どうしたのよ。
「だれー?」
結城紗枝が立っていた。
「お、おはよう。いま、コンビニに行こうとしたら、星奈ちゃんちのお店がなんか大変なことになってるみたいで。なんかあったの?」
「あ、おはよう、紗枝ちゃん、だっけ?」
「え、なんで牛丸君がここに?」
「ちょ、ちょっと入って、紗枝ちゃん」
「え?え?」
「黙ってて悪かったけど、牛丸君はうちの居候なの」
「え、ええええええええええええ?」
「そんなに驚かなくてもいいでしょ」
「だって、もうクラスどころか全校中に牛丸君のことが評判になってて。なんか、地元のテレビ局の人も来たって。そんな人が星奈ちゃんちに居候って」
「失礼な。居候じゃありませんよ、ちゃんと家賃とか払ってるし。二人分」
「二人分?」
「だーれー?」
「ひひゃあああああああああああ」
「なんなのよ」
「ししし、静香さん?」
「あら、あなた同じクラスの」
「さささ紗枝です。ゆうゆゆう結城紗枝です」
動揺してるらしい。目玉がぐるぐる回っている。
「ちょっとお、星奈、どういうこと?何でこの二人がここにいるの?」
「話せば長くなるわ」
「意味わかんない」
「と、とりあえずお店開けなくちゃ」
冬香が慌てて店の準備に行った。
「どうなってんの?」
そんなことをしている間に客の列はどんどん伸びていった。
店を冬香が開けると、すぐに満席になった。オーダーが取りきれない。星奈が手伝いに入ったが、到底二人だけでは間に合わない。
「いらっっしゃい。ご注文は?」
義経が手伝ってくれる。きびきびと注文を聞いて来る。歓声があちこちで湧き上がる。
「静も手伝って」
義経が静を手伝わさせる。静さんは、なんかそれっぽい服に着替えてきていた。すごくスタイルがいい。
「静は男の客な」
「はーい」
ますます店内、そして覗き込む店外の客で騒然となった。まるでアイドルだ。やっと星奈は気がついた。こいつらは義経を目当てに来たんだ。朝から並んでまで。しかも火に油を注いだ。アイドルを超える美少女を店に出してしまった。午後からは客層は男女半々になった。行列はさらに続いた。
「悪いわね、手伝ってもらっちゃって」
母が紗枝にすまなそうに言った。
「いいんです。暇だったし、楽しいし」
「無理しなくていいのよ」
「ありがとう、星奈ちゃん。でもなんだかあたしもアイドルグループに入ったみたいで、超うれしい」
「何言ってんだか」
「紗枝、こっち来て」
静が呼ぶと、奥の一段高くなったフロアに連れて行った。何ごとかを静は紗枝に囁いていた。え?っという顔を紗枝はしていたが、やがてうなずいたようだ。何をやってる、あの二人。
音楽が流れると、二人で踊りながら歌い出した。そういえば紗枝はアイドルに憧れていたんだ。静に見せたDVDも紗枝のものだ。紗枝はともかく、静さんが異常にうまい。まるで本当のアイドル、いやそれ以上だ。気品があるのだ。そしてうまく紗枝をリードしている。
ステージと化したフロアは異常な盛り上がりを見せている。こっちでは義経にキャーキャーと女子が騒いでる。カオスだ。
オーダーを取りに来た時に義経に聞いた。
「ちょっと、どうなってんのよ、静さん。なんでこっち来て間もないのにあんなことできんのよ」
「ああ。だって静って、もとは白拍子だからね」
「何よ?白拍子って?」
「うーん、謡をしながら踊ったりする人。アイドルの元祖みたいなもんだ」
「そんなのいるんだ」
「鎌倉じゃ、超有名だったんだよ」
「へー」
君を始めて見るをりは 千代も経ぬべし姫小松 御前の池なる亀岡に
鶴こそ群れ居て遊ぶめれ
ポップ調の曲に、古風な歌詞が斬新だった。
ああ、こういうの、どこかで見たことがある。もうカフェはどこ行った。
「星奈さん」
「あ、部長?」
「予約してよかったわ」
「何してんの」
「いえね、遮那くんを見に」
もう、いい加減にして。
ステージが変わったようだ。こんどは義経が歌う。何やってんだ、あいつ。でもうまい。信じられない。
女子の客がカオスに近い。部長が最前列で手を振っている。もうあの人はダメだ。
やっとのことで店の営業が終わった。もう、なにがなんだか分からない。さっき、鎌倉産業のビジネスプランニングとかいうわけのわからない人たちが、店内の様子を見て行き、母に何事か相談していた。
月曜日、学校は大騒ぎになっていた。ネットですでに評判になっているらしい。義経や静はもはやアイドルだった。おまけで星奈もアイドルみたいな扱いを受けた。美鈴が、あたしもやらしてと、頼みに来た。静に聞いてと言うと、嬉しそうに飛んでいった。
練習がしたかったが、なかなか時間が取れない。まわりがうるさいのだ。しかし授業は普通だった。男子の体育の授業以外は。
弁慶さんが男子の体育の授業を受け持っていた。ごく普通に走ったりしていたが、剣道の授業の時は見物人が大勢詰めかけた。女子や男子の生徒以外にも、先生や一般の人まで。
「どこまで腕をあげられたか、見せてもらいましょう」
「ふふふ、いい気になるなよ、弁慶。お前の面から必ず一本取ってやる」
もの凄い打ち合いなのだ。こんなの見たことがない。本物の命のやり取りをしている人たちなんだと、改めて思い知らされた。まあ、そんなことを知っているのはあたしだけだから、まわりはそのすさまじさに度肝を抜かれているだけだ。
午後の部活になると、ようやく落ち着いて練習ができると思ったら、こんどは義経が射場に来て騒がれている。なんか、弓道部に入ったらしい。そう部長の沙耶が星奈に言った。
「星奈、見てやるよ」
「え?」
「ほら、腕をちゃんと上げて」
義経に何か言われるたびに、まわりでキャーキャー言われる。男子の部長の大森が必死に静かにするよう言っている。もっとも女子部員まで騒いでいるから、あまり効果はない。
「ごめんね、うるさくなっちゃって」
「え?あ、ううん。大丈夫。それよりあんたこそ大丈夫なの?忙しそうだけど」
「まあね。それよりインターハイってのがあるんだろ。がんばって練習しなくちゃね」
「うん」
なんかいい雰囲気なんですけど。わたしの周りはなんか険悪ですけど。部長の沙耶が殺気を込めた目で、睨んでんですけど。
家に帰ると、冬香が待っていた。なんでも土日はチケット制にするらしい。混乱しないようにだ。鎌倉産業のなんとかプランニングの人が来て、そういう段取りをつけてくれた。静と紗枝、そして金子美鈴が一日3回、ステージに上がるという。ユニットが組まれているのだ。もうアイドルでしかない。
星奈も誘われたが、とんでもございませんと、断った。柄じゃないし、だいいち弓道の練習に差し障る。まあ、どのみち店の手伝いはしなきゃならないから、練習は無理そうだ。だが、義経が部活の時に教えてくれたことで、飛躍的にうまくなっている。自分でも驚いた。
そうこうしているうちに忙しく時間は過ぎて行った。店は大繁盛で、地元どころか東京のテレビ局も取材に来たり、釧路市の新たな観光スポットにもなった。静たちのユニットは大当たりで、『源氏シスターズ』という怪しげな名称のこのアイドルたちは、SNSや映像サービスにその姿が溢れかえった。
いくつもの芸能プロダクションがオファーに来たようだが、鎌倉産業の鉄のブロックに会い、しぶしぶ引き上げていく。それでも路上ライブなどやってるもんだから、道内どころか日本中、いや世界中から人が押し寄せた。釧路は一躍世界に躍り出たのだ。意味わからん。
そうこうしているうちに、インターハイの選考会が始まり、星奈と義経、そして静が出場することになった。義経はずっと励ましてくれた。静もだ。父の夢のほんの少しでも、叶えられるんだと思うと、心が弾んだ。明日、東京へ発つ日、母や鎌倉産業の人たち、そしてクラスメイトが壮行会を開いてくれた。すごくうれしかった。
翌日、空港にも多くの人たちが来てくれた。まあ、大方は義経と静のファンだ。母は笑顔で送ってくれた。でも、少し泣いていた。星奈もちょっとだけ、泣いた。
飛行機が飛び立つとき、静が怖がっていた。そういえば、飛行機は初めてか。
青い空に雲が流れていく。だんだんに。ん?なんか雲がやたら多くなってきた。
「雲が出て来たね」
義経は気を失っていた。こいつも飛行機は初めてだった。
「計器類が異常です。引き返しますか、機長?」
機長と呼ばれた男は戸惑っていた。
田島紘一はベテラン中のベテランパイロットだった。幾度も困難な事態に、完璧に対応してきた。しかしこの異常は今まで経験したことのないものだった。目前におおきな雲があらわれた。低気圧なのはわかる。しかしそれがこの計器異常に結びつかない。全ての計器がおかしいのだ。
「やむをえん、引き返そう」
だが方向がわからなくなっていた。太陽も見えなくなっている。もうすぐあの雲の中へ突っ込んでしまう。しかも避けられない。あの中は恐らく乱気流の巣だ。乗客に知らせなきゃ。
「機長よりお知らせします。これより当機は乱気流に入ります。シートベルトをしめて、揺れに備えてください」
シートベルト着用のサインが出た。
「ねえ、大丈夫かしらって、まだ失神してる?」
義経と静は気を失ったままだ。窓をみると、真っ暗になっている。何?何なの?
ドーーーーーン という大きな音がして、星奈は気を失った。
どれくらい経ったろう。星奈は波の音で気がついた。海岸の砂浜に倒れていたのだ。
辺りはそれ以外、何もなかった。向こうに松林が見えた。飛行機は?義経たちは?
何もなかった。誰もいなかった。
しばらくボーっとしていると、向こうから小さな人影が歩いて来る。子供のようだ。
星奈の傍まで来ると、その子供はきいたことのないようなしゃべり方で何か言った。ようやく聞き取れるほどだ。
「おめさ、どっからきちゅう?」
「はい?」
「わいは亀吉。あんたは」
「え、星奈」
「よそ者かね。ここは桂浜ちゅう。さっきのふたりと同じじゃのう」
「ふたり?」
「そうじゃ。誰か見つけたら、つれてきちゅーて言うぜよ」
「連れてってくれる?その二人のとこへ」
「こいや」
亀吉という少年に連れられて星奈は浜を歩く。向こうに村があるようだ。亀吉という少年は着物を着ている。七五三かしら?しかし粗末だからちょっと違うか。星奈は混乱していた。何があったのだろう。とにかくここは日本ではあるらしい。
「ここはどこなの?」
「は。そげんこともしらんちゅーとか。ここは桂浜。土佐の桂浜じゃ」
「土佐って、四国の?」
「そうじゃ。山内さまが治める、土佐藩じゃ」
まさかの江戸時代?星奈は気を失いそうになっていた。
星奈までタイムスリップしたようです。ここはどの時代?どうすりゃいいの?