義経、逃げる
登場人物
源義経・・・・主人公。鎌倉武士。兄、頼朝に追われている逃亡者。
武蔵坊弁慶・・義経の家来。怪力の持ち主。
佐藤継信・・・義経の家来。切れ者。作戦担当。
佐藤忠信・・・家来。継信の弟。短気だが情にあつい。
伊勢義盛・・・家来。謎だらけの人。言語に精通。
静御前・・・・義経の愛人。文武に優れる。元白拍子。
サナン・・・・金国の商人。じつは武人。
堀景光・・・・家来。通称弥太郎。
堀頼重・・・・家来。景光の叔父。使える男。
シャクシャイン・蝦夷の戦士。義経に同心する。
その他・・・・劇団ぴよこ
【 北海道沖 】
人生、一栄一辱、南柯之夢。まったくこの世はうつろい易いものなんだなあ。おぼろにかすんだ海の上の月を見ながら義経はつぶやいた。
小舟は静かな夜の海を、滑るように進んで行く。
「何をぶつぶつ言ってんですか?」
佐藤継信が声をかけてくる。
「いや、さあ、継ちゃん。人生ってあれだよね、生々流転だよねって。あんだけ頑張ってさ、活躍したってどうよ?もう逃亡者じゃん。まったく泥船渡河ってことだね」
「義経さま、どういう意味で?」
「あー、だからさ、泥船、つまり泥の船で川を渡るようなものだね、人生って。カチカチ山のタヌキみたいなもんだ」
「一応、木の船ですよ、これ。だいいち、タヌキなんぞが船で何してるんですか?」
「だーかーらー、人生って儚いねってこと」
前を凝視していた継信の弟の忠信が急に振り返ると、すごい形相で義経に怒鳴った。
「あんたが何も考えずに行動したからでしょうっ。誰のせいでこうなったんですか。まったく、よくいいますよ。勝手に軍を進めるわ、朝廷から勝手に官位を受け取るわ、数え上げたらキリがないじゃないですか」
「まあ、そう怒るな、忠信。義経さまも悪気があってのことじゃない」
「そうだよ忠ちゃん、怒るなよー」
「兄貴は黙ってて下さい。もうこいつにはなに話しても無駄なんですよ」
「いでで、やめて、忠ちゃん」
「よせ忠信、船が傾く」
佐藤忠信が義経の胸ぐらをつかんで張り倒そうとした。
「やめてくれねえか、忠信よ」
忠信が目を真っ赤にしながら振り向くと、船尾に入道の姿をし、顔から全身にかけて包帯だらけの大男が横たわる身体を起こしているところだった。
「聞いていた通りだ、弁慶。もうこいつには愛想が尽きた。海に投げ込んで、クジラの餌にしてやる」
弁慶と呼ばれた入道は、血が固まってガビガビになった坊主頭を下げた。
「そう言うな、忠。そいつはバカだが、正直なんだ。悪いのはそいつの兄貴の方だろ。こいつをダシにして奥州を手に入れようとしやがった。まあ、うまくやられたぜ」
忠信は義経を放した。
「もう、ひどいよ忠ちゃん。でもきっとこれは誤解なんだよ。兄貴も話せばきっとわかってくれるよ」
義経はへなへなと船板に座り込んだ。
今度は入道の手が伸びてきて義経の胸ぐらをつかんでいた。ビリビリと着物の破れる音がする。すごい力なのか、着物がボロなのか、どちらにせよ義経は青い顔をしていた。
「てめえ、まだわかんねえのかっ、このクソったれ。お前の兄貴の頼朝に殺されそうになってんだぞ。いい加減目を覚ましやがれっ」
「弁慶、やめろ」
今度は佐藤兄弟が止めに入る始末。
「あんたら、そろそろ陸地につくぞ」
船を操作するのは大きな蝦夷の男だった。目の前にはおおきな陸地が横たわっている。
「ヤウンモシリだ」
蝦夷の男はそうつぶやいた。
「矢運も知り?なんだそれ」
義経は不用意にしゃべって弁慶に殴られた。
「われわれのモシリだ」
胸を張るように蝦夷の男は櫓を操作しながら言った。
「俺たちの国ってことじゃないのか?」
継信がそう推理した。
そこは現代でいう北海道だ。平安時代の終わりころまでに東北各地の蝦夷の民は、ほとんど北海道に移住していた。いや、大和朝廷に追われたのだ。
「とにかく藤原本家ももうここまでは追って来れないだろう。まずは一安心だ」
継信は冷静に言った。何ごとにも冷静沈着なこの男は義経の四天王を名乗り、常に逸脱しがちな義経たちをリードしてきた。しかしさすがにこの史上最弱最バカの義経をコントロールするのは、不可能だったのだ。
「さっきから何、バカバカって言ってるんだよ」
「言ってません」
「言ってましたー」
「いつ言いましたかー、そんなこと」
「聞こえましたー。ちゃーんと心の声でー。バーカ」
義経は弁慶にまた殴られた。
「スマリノットゥというところだ。ここで船を降りる。すぐコタンがある」
「狐岬というところらしい。この先にこの男の村があるそうだ」
ずっと黙っていた伊勢義盛という武士が蝦夷の男の通訳をした。
「義盛、おまえ言葉がわかるのか?」
忠信が驚いたように言う。
「少しだが、わかる」
「じゃ、なんでさっさと通訳しないんだ」
「聞かれてないもん」
さっきからのけ者にされて拗ねていた。バカだ。
「ま、まあいい。とにかく上陸しよう。船酔いの一歩手前だ」
義経はとっくに船酔いでゲーゲー吐いている。
「とにかくそいつを降ろせ」
あきれた弁慶はそう言いながら義経の尻を蹴り、継信の肩を借りて船を降りた。
忠信と義盛に支えられて義経も船を降りる。
先頭の蝦夷の男についていくと、海草や魚を干してある棚のようなものが見えてきた。
蝦夷の村があった。
【 蝦夷の地 】
村には大勢の人間がいた。独特の衣装を着ている。
「入れ。わたしのチセだ。中にフチとメノコがいる」
「この男の家だそうだ。なかに婆さんと娘がいると言っている」
蝦夷の男の言葉を伊勢義盛が訳した。
5人がどやどや入っていくと、土間のようなところにそれぞれの鎧櫃と荷物を置いて、少し高くなった床に上がった。動物の毛で編まれた敷物が温かい。
部屋は結構広い。天井は太い梁が通され、三角に傾斜がつけられている。魚や植物の実、芋のようなものが干してあった。
「まだ夜は冷えるようです。今は休んで時を待ちましょう」
弁慶を寝かせた継信は囲炉裏端に座っている3人に声をかけた。婆さんと若い娘が、家を出たり入ったりしている。食事を作っているようだ。
「すいません、夜中に。なにもかまわなくていいですから、暖だけ取らせてください」
義経は恐縮して言った。鎌倉幕府の将軍の弟のくせに、こんな地の果ての蝦夷の人間に気を使っている。気弱なのか?いや、そうなら幾度かの大いくさに勝てはしなかったろう。不思議な男だと皆は思っている。
「イペシュー サシオハウエレクシ エモ ポッケヨシペ」
「婆さんが何か言ってるぞ?」
「鍋でコンブを使ってタラと言う魚と芋を煮たから食え、温まる。そう言っている」
一同は伊勢義盛をまじまじと見た。こいつ何もんなんだ。
弁慶を起こして義経が椀を渡す。主従のくせに。身分のやかましい時代に、だけどそういうところはかまわない二人なのだ。継信は眩しそうに二人を見つめている。
「もうじき弥太郎も叔父の堀頼重とともに参るでしょう。ちり散りとなった家臣たちも集まります。すぐに再起を図るのがいいでしょう」
継信は義経と弁慶に向かって言った。弥太郎というのは義経の家臣で、本人は家臣第一と言っている単なるお調子者だが、どこか憎めない性格をしている堀景光という若者だ。叔父の頼重は義経たちをかくまったり、逃亡の手助けをしてくれた。
「そうだな。早く会いたい。頼重には礼も言いたいしな。しかし再起はどうかな。ここでそんなことをすればこの人たちに迷惑がかかる。どこか別の場所で軍を整えよう」
義経は弁慶を支えながらそう言った。弁慶の包帯は痛々しかったが、椀からは勢いよく汁が吸い込まれていく。
「それにしても、もはや奥州藤原氏の後ろ盾もなくなった。これからどうしたものかな。このままでは野盗の真似事もやぶさかではないぞ」
「忠ちゃん、すでに藤原さんところからかなり金とか盗んできたんだから、もう野盗でいいんじゃない?」
「野盗なんかいやですよ。だいたい、義経さまがやっちゃえばとか言うから」
「あー、人のせいにするんだ」
忠信が顔をしかめている。藤原氏の館から盗み出した金塊と、藤原氏自慢の中尊寺金色堂から金箔を剥がしてきていた。義経討伐にシャカリキになったのはそのせいだ。だが、当面の軍資金は間に合う。しかしそのあとはどうする。じり貧になるのは目に見えているのだ。
「堀頼重たちが来てから考えましょう。いまは弁慶どのの養生が先だ」
継信がくだらない言い争いをしている二人をしり目に弁慶と義盛に言う。
一月ほど経った。弁慶は傷も癒え、すっかり体力も戻っていた。嫌がる義経と剣術のけいこをしていると、義盛が走って何艘かの船が近づいてくると知らせにきた。
「わが軍勢か、藤原の手勢か」
弁慶が走り、浜まで出ていく。義経もブラブラとついていくが、途中、干してある小魚を盗もうとして犬に吠えられている。
「どうやらわれらが軍勢のようです」
継信がほっとしたように言う。大小十艘ほどの船がこちらに向かっている。
「先頭の船の舳先にいるのは?あれ?女人のようですね」
忠信は目がいい。女人が薙刀を持って立っているのが見えた。どこかで見たことがあるような。
「あっ、静っ?」
叫んだのは義経だ。真っ青になって震えだした。
「やばいっ。諸君、ここは頼んだよ。もうぼくは大陸に行ったと伝えてくれ」
「よーしーつーねーっ!」
「ひっ」
飛ぶようにして走ってきた甲冑姿の女人に捕まった義経は、見るも無残にうなだれていた。
「これは静御前どの、ご無事でしたか。吉野で捕らえられたと聞きましたが」
なだめるように継信が怒りの形相を露わにしている女人に聞いた。
「このクソヤローに置いて行かれて、一時は捕らえられたが隙をついて逃げた。北の果てまで逃げたと聞いて、途中、藤原のボンクラどもに邪魔されたが蹴散らし、いまこうして追いついた。もう、こいつぶっ殺すわ」
「ちょっと、やめてしずかちゃん。ぼくだっていろいろあるんだから。ね。話し合おうよ」
「どの面下げてそんなこと言ってんだよ。何も知らないで置き去りにされた挙句、すべては静御前にそそのかされたと、頼朝あてに書状まで書きやがって」
「そりゃ義経が悪い」
弁慶が顔をしかめて言う。もはや義経に味方はいないようだ。
「その首出しな。切り取ってクジラの餌にしてやる」
静御前はごつい薙刀を振り上げた。
義経の窮地を救ったのはあの、蝦夷の大男だった。
「イランカラプテ アルカイシサム カッケマピリカ。ウエンニシパ ヌペチシティネ エタラカチャランケ」
静御前は戸惑って大男を見る。義盛が通訳をする。
「挨拶してます。強く美しい和人のご婦人、だそうです。ダメ旦那はすごく泣いているようだから、あとはよく話し合いなさい、と」
美しい、という言葉に吾を取り戻した静は襟を正して大男にきちんと挨拶をする。
「ちょっと、義盛。お礼言ってくんない?」
「イヤイライケレ」
義盛が大男に言うと、にっこりと笑った。太い眉毛が大きく動く。
「待てコラ」
義経が逃げ出そうとしていた。
「すいませんでしたーっ」
義経は土下座になっていた。
義経の軍はもはや軍の体をなしていない。総勢でも百人ほどしかいないのだ。これでは再起どころか本州に戻ればすぐに攻め滅ぼされてしまう。
しかしこの蝦夷地にいても、追手は必ず来るだろう。
「藤原氏はすでに鎌倉に滅ぼされようとしています」
静御前はそう報告した。弁慶の読み通り、義経を離反させた藤原氏に待っていたのは滅亡という二文字だった。義経の血筋と名声が鎌倉武士の恐れるところであって、これを討たせた藤原氏など恐るるに足らなかったのだ。義経を庇護していた藤原秀衡はこれをよくわかっていた。しかしその死後、子の藤原泰衡は理解できなかったのだ。
「そうなると藤原についていた郎党どもが、鎌倉に教順を見せるためにも義経さまを討とうと躍起になるだろうな。ここにもそのうちやってくるか」
弁慶は難しい顔をした。どうする?蝦夷地は広い。逃げ回るか?いや、それも何れ捕まるか野垂れ死ぬか、だ。
「ところで郷御前はどうした?一緒じゃないのか?」
静御前は不思議そうに言った。だれも口を開こうとはしない。ひとり、ヘラヘラしながら言うやつがいた。義経だ。
「うーん、郷のやつったら、愛想つかして京に帰っちゃった。子供と一緒に」
郷御前は義経の正妻だ。女の子の子供が一人いる。
「なんですって?あんたそれでいいの?」
「だって仕方ないじゃないか」
「仕方ないって、あんたそれでも男なの?」
「じゃあ、どうすりゃいいの。一緒にいても捕まって殺されるだけなら、少しでも生き延びられる方法を取るのが人間じゃないか」
静御前は何も言えなくなった。確かに家族は一緒の方がいい。しかしそれは平時でのことで、死に直面した現状では仕方がないことだ。
「とかなんとか言って、蕨姫には一緒に行こうと言ってましたが」
忠信がバラした。
「ちょ、おま、なんていうことを言うんだ。うそだ。そんなことは言ってません」
「だれが信じる?ちょっとおまえ、こっちへこいよ」
静御前がまた鬼の形相になった。義経の襟首を持って、家の中に入って行く。折檻されるのだ。
「何があったんですか?」
「あ、弥太郎。無事だったか」
「はい、継信さまもご無事のようで。弁慶どのはすっかり傷も癒えたようですね」
「すっかり良くなられた。ところで堀頼重どのは?」
「向こうで兵の泊るところを割り振りしています」
「苦労をかけることだ」
「まったく」
堀頼重が割り振りを終えて弁慶たちのところへ来る。
「遅くなりました。2千いた兵もこの通り、みな落ち延びたか散り散りとなってしまいました」
済まなそうに頭を下げる頼重に、弁慶は慌てて押しとどめる。
「いや、頼重のせいではない。それに十分にここまでやってくれたのだ。礼を言うことはあれど苦情などいえるものか」
「そういって頂けるとありがたい」
「それで、鎌倉は、どうだ?」
「奥州の武士を集めている。この地に向かわせるつもりだ」
「そうなれば、われらひとたまりもないな」
「さよう。来月には、来る」
「そうか。早いな」
「どうするつもりだ」
「そうだな」
弁慶はひらめいたことがあった。さっき義経が苦し紛れに言ったことだ。
「大陸に行こう」
青い北の空に、はるかに続く大海原の向こう。そこに何があるのか、まったくわからなかったが、ここで死ぬよりはましだと弁慶は思った。いまならまだ、仲間がいる。
【 大陸へ 】
大陸の『金』という国が交易船をよこしてくると蝦夷の男が言った。ここから歩いて三日のところに、大きな集落があり、そこで海産物を乗せて行くという。それに便乗させてもらって大陸まで渡るのだ。
「え、やだよ。大陸なんて。第一言葉通じないじゃん。そんなとこ行ったってどうしようもないよ。もう京へ帰ろうよー」
義経は駄々を捏ねた。
しかし静御前が脅すと、あっさりと承知したのにはさすがみんなも呆れてしまった。
蝦夷の男に丁寧に別れを告げると、男は涙を流して別れを惜しんでくれた。とくに義経にはわが子のように接していたのだ。義経には人を引き付ける何かがある。弁慶をはじめみんなも、なんだかんだ言いながらついてくる。命もかける。弁慶は、不思議だといつも思うのだ。
3日目に集落につくと、浜の沖合に見慣れぬ異国の船が3艘泊っていた。
大陸の商人だろうか。一番位の高そうなやつに継信が声をかける。なかなか通じないで困っていると、驚いたことにまた伊勢義盛が来て通訳を始める。どんだけバイリンガルなんだ、こいつ。
船にもっとえらいやつが乗っているので、そいつと話してみてくれと言われた。弁慶と継信、そして義盛が小舟でその船まで行く。大きな船だ。縄梯子を降ろされて、それを這いあがる。船上は広い。何人もの男たちが働いている。船室の一つに通されると、やがて一人の男が現れた。
「初めまして。わたしは金国の商人でサナンと言います」
驚いたことにこちらの言葉を話す。それを言うと、商売上、覚えたそうだ。
こちらも自己紹介をして、交渉を始める。
「そういうわけで、われわれは亡命をしたい」
義盛に通訳させ、継信が説明する。旅費は一人砂金6小両で現代の重さだと約100グラムの砂金だ。これが百人分、約10キロということになる。そのくらいは出せる。
話がまとまると、大陸の情勢についていろいろ聞いた。いまは南宋という国を中心に金と元という国が入り乱れているという。どうやら付け入るスキはありそうだ。弁慶がほくそ笑んでいると、サナンが鋭い視線で聞いてきた。
「あなたは僧侶の格好をしているが、本当は武人なのではないですか。僧侶は人を殺せぬはずですが」
弁慶は少し考えて、だが正直に答えた。
「いえ、わたしは本当に僧侶なのです。しかしある人に使えるようになってから、武人のようにふるまっております。その方のためなら、仏法の教えも曲げてしまうほどに」
「そうですか。そんな方がいらっしゃるのですね」
「あなたも商人とは思えませんが」
弁慶は思わず言った。
「そうですか。わかりますか。じつはわたしは金国の帝の命を受けた武人なのです。帝と言っても、歴史のあるものとは言えませんが、国を思い、民を思い国を作りました。そのお手伝いをしているつもりです」
どこでもそういう者がいるのだと、弁慶は感心した。
「末永くお付き合いさせていただければ、われわれはこの上ない幸せとなります」
弁慶はそう挨拶して感謝を伝えた。しかしのちにこの金国を滅ぼしてしまうことを、いまはまだ知る由もなかった。
乗船準備をしているころ、物見に出していた者が慌てて飛んできた。すぐに継信に伝わると、継信は血相を変えて義経のところに報告しに来た。
「どうやら鎌倉の手勢が来たらしいです」
「なに?どのくらい」
「およそ三百人。われわれがいた村に着いたと言うことです。物見の足からして、一両日中にはこちらに来るでしょう」
「乗船を急がせねば」
サナンに相談すると、どうしても出発は明後日になってしまうという。それでは間に合わない。
「仕方がない、戦おう」
弁慶が決断する。船に籠っても火を放たれるだけだ。船を沈められたらサナンに迷惑が掛かってしまう。それは避けねばならない。
「いやだ。3倍の敵に勝てるわけないよ。無理無理。ぜったいむーりー」
義経は超弱気になっている。一ノ谷の戦いで平家の本陣をたった70騎で逆落としの上、大混乱に陥らせ源氏の大勝利に導いた男とは思えない。あれはあんたじゃないのかと、弁慶に突っ込まれている。
「落っこちたんだよ」
「え?」
「馬が勝手に崖から滑り落ちて、気がついたら平家の本陣だったんだよ」
「じゃあ、計算してたわけじゃ」
「当たり前だろ。あんな暗い中、崖から飛び降りるやつなんているわけないでしょ」
弁慶は絶句した。いまさらそんなこと聞かされるとは思わなかったのだ。こいつは本物のバカなんだ。
しょうがない。もうどうでもいいと、腹を弁慶はくくった。
「お前が先頭に立て。な、いいな。もうこうなったら破れかぶれだからな」
「え?弁慶じゃないの?僕が先頭?マジで」
「いいのいいの。なんか吹っ切れたわ。いいじゃない。3倍?上等だよ」
「弁慶、ちょっとお前おかしいぞ?」
弁慶は薄ら笑いを浮かべて鎧櫃から義経の甲冑を取り出して、義経に無理やり着せ始める。
「しょうがないわね。さあ、みんなも支度しましょう」
静御前も心決めたようだ。義経と運命を共にするつもりだ。好きになった男だ。どんなバカでもしょうがない。
佐藤兄弟も腹を決めたようだ。そうすると、なんだか楽しくなってきた。みんな一緒なんだという安心感が支配した。もちろん錯覚なのだが、恐怖に支配されるよりましだと、当時の武士はそう心がけていた。
百人のもののふたちは、喜々と支度をはじめる。
「義経どのはおられるか?」
蝦夷のあの大男が訪ねてきた。半べそをかきながら義経が会うと、大男は平伏して言った。
「どうかわたしも御味方の一人として加えていただきたい」
「はい?」
「わたしだけでなく、ここに八百人の戦士が来ています。どうぞこれもお使いください」
「なんで」
大男はシャクシャインと名乗った。蝦夷一族の戦士だそうだ。大和との戦いに敗れこの地に来たが、大和の武士に一泡吹かせたいという。
「あの、ぼくも大和の武士なんだけど」
「月が一回りするほど一緒に暮らしたではないか。もうわたしたちと同じ血が通っている。見放せばわれわれのカムイもわれわれを見放すだろう」
「よくわかんない理屈だね」
「あんたと戦いたいと言うことさ」
鎌倉の武士たちは驚いた。どこからともなく屈強な戦士が現れたのだ。案内してきた奥州の武士は震えあがった。蝦夷の戦士なのだ。精強で強く、しかも毒矢を使う。大和の武士では考えられない。
義経と対峙したとき、それはさらに事態を悪化させていた。義経の軍がみな喜々としているのだ。こういう軍には勝てない。しかも物見の報告ではここらあたりは罠だらけだという。にっちもさっちもいかない。
逃げるしかないが、逃げようにも上陸した浜まで三日かかる。走って一日半。その間に何人討たれてしまうか。しかも船がまだあればいいが、もしなかったら、あの村で終わりだ。奥州から集めた武士はみな降伏した。五十人ほどの鎌倉からの武士は驚いた。
「お前ら、こんなことしてただで済むと思っているのか」
重野何とかという武士が喚いたが、ほかの者にぶん殴られていた。みな武装解除して戻っていった。
武士たちが置いていった武器はみな蝦夷にやった。また来るだろうが、どうするか聞いたら、別の場所に行くそうだ。蝦夷は転々とそうやって移り住んでいるんだということを、その時知った。
無事に船に乗り込むと、シャクシャインが浜で手を振って送ってくれた。みなも手を振って別れを惜しんだ。日の本で、最後にいい出会いがあった。そう弁慶は自らを慰めていた。
義経は静御前に殴られていた。なぜかはわからなかった。
船は大陸を目指した。
短編の予定でしたが、連載になってしまいました。
5回を目途にしていますが、流れでどうなるか。他にも連載があるので、まあ、ぼちぼちですね。