十六話 其の十四
雨が降っていた。天からの恵みは回っていた火を消し、残ったのは消し炭と建物の残骸のみである。
そんな雨の中、ゼンは一人立っていた。傘も雨具も持っていないため、雨水を遮る物はない。外套も脱いでいるために、彼の体は雨水で濡れている。雫は彼の頬を伝い、地面に落ちてゆく。
ゼンの目の前には、リホノが埋められていた。その部分だけは土が盛り上がっている。彼の手には、リホノから託された首飾りが握られていた。
ゼンは固く握りしめていた首飾りを、自身の首に付ける。
少し離れた所にエアとセロはいた。幸いにも火災から逃れることのできた厩に身を寄せていた。屋根もあるため雨に濡れる心配もない。
「エア、お前はここにいろ。
俺が数日経っても戻ってこなければ、お前は一人でどこにでも自由に行け。
そうなったら俺のことは忘れろ、いいな。
悪いが、セロのことは頼むぞ」
ゼンの外套も刀もセロの下にある。彼はその二つとも、取ることなく歩き始めている。彼が身に着けている装備と言えば、愛用のナイフと彼自身の肉体だけだ。
「ゼン……」
普段とは迫力の違うゼンに、エアは何も言う事ができなかった。ただ黙って彼の後姿を見ることしか。
「いた」
ゼンの目に、二人の男が映った。装備からして奴らの仲間に違いないだろう。ただ身に着けている物だけは様子が違った。彼らの風体には似つかわしくない小奇麗な衣類を身に纏っている。
なぜこの二人だけがここにいるのかは不明だが、今のゼンにとっては好都合だ。二人はゼンの気配に気付く様子は全くない。互いに楽しそうに談笑している。
ゼンは二人との距離を詰めると、まず向かって左の男の襟を掴む。そのまま一気に地面に叩き付けた。その時になって、ようやく右側の男は事態を察する。
ゼンは間髪入れず、残りの男に一撃を加える。全力の拳を男の鳩尾に叩き込む。男は膝から崩れ落ち、うずくまる。彼は男のナイフを奪い取り、太腿に突き刺す。
「ああぁぁあぁ」
男は地面を転がり、悲鳴が響き渡る。ゼンはもう一人の男にも同じようにナイフを突き刺した。地面に張り倒されたことで気絶していた男は、痛みにより気を取り戻した。
悲鳴の数が増えた。
「お前らの仲間はどこにいる?
正直に答えなければ、足に穴が増えるぞ」
「こ、この先にある洞窟だっ。
そこに他の連中もいる」
ゼンは発言した男の太腿から、ナイフを引き抜く。引き抜くと同時に、先ほどとは別の場所にもう一度ナイフを突き刺す。
「っっぁぁあああ!
し、正直に話したのに」
「お前も話せ」
ゼンはもう一人の方に目を向ける。
「そいつの言っていることは本当だっ!
なっ、だから許しっ」
ゼンは男の顔を蹴り上げた。男の顔は血でまみれ、鼻からは真っ赤な血が流れている。鼻はあらぬ方向に折れ曲がっていた。確実に鼻が折れている。息はしているが、意識は失っていた。彼は男の首に手を掛けると、力を掛けて一気に骨を折った。
「やめろ……。
俺に近づくな」
男の言葉は、ゼンにとって何の意味も持たなかった。彼は男に近づくと、傷口に足を乗せる。ただそれだけでも男にとっては足が灼けるような激痛が走る。男の動きを止めた所で、彼はそこから更に全体重を掛ける。
「あっっぁああああぁ」
男の悲鳴は途中で消えた。ゼンは男の左胸にナイフを突き立てている。先程まで悲鳴を上げていた男は死体へと変わっていた。
「――この先か」
ゼンの顔は返り血で汚れていた。彼は顔に付いた血を拭うこともなく、歩き始めている。雨水と血が混ざわり、下手な血化粧を施しているように見えた。
「三、いや五人か」
焚火を囲んでいる賊は三人いた、奥で眠りこけている奴が二人。眠っている二人は放置でいい。まずは三人だ。この三人を素早く且つ的確に息の根を止めていく。
まだ陽は沈んでおらず明るいために夜襲を仕掛けることもできない。一人ずつ引き寄せて始末するか、それとも陽動をかけ止めを刺すか。
ゼンは自身が手を置いている枯れ木に目をやる。枯れ木と言っても幹は太く、枝に葉がないだけだ。根も安定しており、人一人がぶら下がっても何の支障もないだろう。
「この距離なら、いけるか……」
焚火を囲んでいる三人は、村から略奪した食料を頬張っていた。普段なら口にしないであろう食べ物は、彼らの口へと次々と吸い込まれるようにして消えていく。
「んだ、これ。
味薄いな」
「ああ。
どれももう一味足りないって感じだな」
「今はたらふく食えるだけでいいじゃねえか。
足りない味は、コイツで補えばいい」
男は瓶を持っている。中身はアルコールだ。もとより細かいことを気にしない彼らだが、ほろ酔い状態になり、その傾向に拍車がかかっていた。
突如、彼らの目の前にボルトが飛んできた。ボルトは三人に命中することなく、焚火のすぐ近くに着弾する。
「何だっ?」
「落ち着け!」
「向こうからだ。
ほら、あそこだ!クロスボウが見える」
「次が来る前に仕留めるぞ」
三人は走り出した。後方で眠っている二人に声を掛けることもない。三人はゼンが焦っていると結論付けたのだ。飲みの最中という、最も隙ができている折角の好機を見逃したのである。
加えて、数のこともある。ゼンは一人なのに対し、賊は未だに数十人もの戦力を有している。その事実が賊たちの気持ちを大きくさせていたのだ。
それに彼らは聞き逃していなかった。ボルトが撃ち込まれた後に、その場から逃げ出そうと全力で走った音を。地面は枯れ葉が一杯のために少し歩いただけでも音がする。その上を走れば、それなりの音がするのは当然だ。
「どこだ?」
「ここにあるのはクロスボウだけだ!」
「野郎はいねえぞ」
三人はゼンがいた場所にまで辿り着いた。既に三人とも息は切れている。
「クソッ」
「逃げられたか」
「まだ近くにいるはずだ、探すぞ!」
「こっちに来てみろ、足跡があるぞ」
ゼンの足跡を見つけた一人が、残る二人を呼ぶ。二人もその声に応じ、残された足跡の方に近づく。
三人の視線が一方向に向いた瞬間、ゼンは現れた。彼は落ち葉の下に隠れていたのである。故意に足跡を残し、逃げたかのように見せたのも彼の作戦であった。
三人はゼンから見れば、全員が背を向いている。その内の一人は、距離も近い。彼の足であれば瞬時に間合いまで近づける。
ゼンは最も近くにいた一人の男の背後に入ると、足の腱をナイフで絶ち切る。
男は悲痛な叫び声を上げる。地面に倒れこみ、切られた足を大切に抱え込んでいた。ゼンはそんなことなどお構いなしに、次の標的に狙いを定める。
一人を行動不能にしたことで、残る二人がゼンの存在に気付いた。すぐさま武器を構えるが、その手は震えていた。先程までの陽気な雰囲気は霧散していた。今、彼らの表情にあるのは、“恐怖”の二文字である。
ゼンはゆっくりと二人に近づいて行く。残る二人は、それなりの距離があった。こうなれば二人ではなく、一人を相手にするのと変わりはない。
「テ、テメエ」
男はゼンに対し、ナイフを向けている。ゼンは男の持っているナイフなど目に入っていないかのように前に進む。彼は足で男のナイフを蹴飛ばすと、左手で男の首を掴む。そのまま宙に吊り上げ、一気に地面に突き落とす。
「ガッ」
男は受け身をとることもなく、背中から地面に激突した。その衝撃は、一人離れている男の耳にも入るほどである。そこから更に、ゼンは追撃を掛けた。
ゼンは全力の左拳を振り下ろした。左拳は男の顔面にまともに入った。彼の拳に鼻の骨が砕ける感触が残っている。男の顔面から拳をどけると、拳からは血が垂れた。
ゼンは右足を上げると、男の首に向かって足を降ろす。ゆっくりと体重を掛けて、首の骨を折る。
残るは一人だ。その一人も、もはや戦意を喪失しかけている。何とか武器は構えているが、意識は後ろばかりを気にしている。ゼンが一瞬でも男から目を逸らせば、すぐさま後ろを振り向いて逃げ出しそうな顔つきだ。
ゼンは背中からクロスボウを取り出すと、すぐさま引き金を引く。ボルトは男の脇腹に命中した。彼は狙って当てた訳ではないが、男の動きを止めることができた、結果としては上々である。
「ぐぐ、がぁあ」
男は必死にゼンから逃れようとする。脇腹から湧き出る火傷するような痛みに耐えながら、腕だけで自身の体を引きずる。
だが、男が動く速度よりも、ゼンの足の方が速かった。彼は男の腹に足を踏み下ろす。
「ぁあああぁぁ!」
男の動きが止まった。ゼンは足で男の体を蹴り、男を仰向けにさせる。彼は男の脇場からボルトを無理矢理に引き抜く。男の悲鳴が三度響き渡った。
ゼンは引き抜いたボルトを再び男の体に突き刺す。彼は突き刺したボルトをまたも男の体に突き刺した。何度も、何度も。ボルトを突き刺す度に男の体は反応を示した。男の体から反応が消え、彼はボルトを手放した。
最後に、ゼンは息のある一人に近づく。この一人だけは腱を切っただけで、息はある。男はまだ痛みから解放されていなかった。苦悶の表情を浮かべながら、地面を転がっている。
ゼンは男の顔のすぐ側に立つと、男の顔を全力で蹴った。彼の靴には安全のためと武器として使うためにも鉄板が入っている。鈍い音と骨が折れる音がした。最早、息は虫の息同然だ。このまま放っておけば絶命することは間違いない。
ゼンは男の持っているナイフを手に取ると、そのナイフで男の喉笛を掻っ切った。彼は手にしたナイフをその場に放り投げると、再び移動し始めた。
彼の次の標的は眠っている二人だ。先程殺めた男たちの悲鳴で、今は目を覚ましているかもしれない。だからといって、ゼンが歩みを止めることはなかった。
「オイ、今の声聞こえたか?」
「きっと、あの男の声だ。そうに違いない。
あっちはたったの一人なんだ。それにほら、三人も向かったんだぞ。死んでないはずがない」
「じゃ、じゃあ、どうして叫び声が複数回も聞こえたんだ?それに、声も違ったぞ」
「やかましい!
だったら確認しに行くぞ」
「俺は嫌だぞ。行くなら、お前一人で行けよ」
「腰抜けが。
俺一人でやってやる」
男はすぐ近くにあった鉄鎚を手に取ると、悲鳴の聞こえた森の中へと入って行く。まだ陽は沈んでいないが、森の中ということもあり非常に暗い。雨もまだ止んではおらず嫌な雰囲気に拍車をかけている。
「何処だ……何処にいやがる」
男の独り言は森の中で反芻することもなく消えていく。鉄槌を握っている両手は既に汗ばんでいる。
「――な」
男の目に入ったのは、凄惨たる光景であった。物を壊すかのように人命を奪った現場だ。目に入っている範囲で生きている人はいない、そう瞬時に判断ができる程の。
男が一歩前に踏み出す。地面が下降したかのように、男の左足が沈んでいく。
「ぬあっ」
男は体勢を崩し、大きく足を捻らせた。すぐさま立ち上がろうとするが、それよりも男の意識をもぎ取ったのは、右足に走った激痛だ。余りの痛さに鉄槌を手放していたことにも、男は気付かなかった。そのすぐ隣にゼンが立っていることも。
ゼンは男が手放した鉄槌を手に取ると、男の頭目掛けて振り下ろす。鈍い音が響いた。その音を耳にしたのはゼン以外誰もいなかった。
「なあ、どこだ?
おい返事をしろよ」
どうやら残った一人も後を追ってきたようだ。だが、声の様子からして男は自身の探している人物が、既に亡くなっているとは思っていなそうだ。
ゼンは足音を消して、男に近づく。男は彼の気配に気付く素振りは一切ない。男が鉄槌の間合いに入った。
ゼンは全力で鉄槌を振った。さきほどよりも鈍い音が響き、男の体は宙を舞う。
即死ではなかった。男はわずかに肩を震わせ、息をしている。その男を、ゼンは見下ろす形で立っていた。彼は男が息をしているのを確認すると、鉄槌を再度振り下ろした。




