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ワールド・ジャーニー  作者: ノリと勢い
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十六話 其の十一

「ハァ、ハァ。

よしっ、次」

 ゼンは汗だくになりながら、次の水を井戸から汲む。左腕しか使えないのだが、彼は器用に作業をこなしていく。

最近のゼンの一日は水汲みから始まる。朝は気温も低く、体も冷えている。半袖で外に出れば鳥肌が立つほどだ。しかし、朝の日課を終える頃には、ゼンの体は汗だくになる。

無論、右腕の運動も行っている。最初は、掌を握り開く、この動作を繰り返す。これだけの動作だが、続けていると次第に右腕が疲れてくる。これを一日に何回も繰り返した。

この作業で腕に違和感を覚えなくなってからは、軽い荷物を持ったり、その辺りに落ちている棒切れを刀に見立て素振りの練習も行っている。

この頃になると腕から出血することはなくなってきた。以前の通りに元通りまでとはいかないが、感覚は悪くない。抜糸するまでには今まで以上に動くことになっているだろう。

医者からも回復に向かっていると太鼓判を押されている。診察の頻度も毎日ではなくなった。

「これで終わりッ」

 最後の一杯を汲み終えると、ゼンはその一杯を頭から掛ける。

「フー」

 この日課のお陰で、ゼンの体力は大きく衰えることはなかった。何せ、一日に必要な分の全てを彼一人で汲んでいるのである。時間にしてみれば一日の内のほんのわずかな間だが、一連の作業はかなりの運動量になる。

 更にゼンにはまだ仕事が残っている。汲んだ水を台所まで運ぶという仕事が。これを右腕が使えないため、一度に運べるのは一つだけである。全てを運ぶ頃には、水に塗れた髪も体も乾き始める。

 水汲みを終えた後は、三人揃って朝食を摂ることになっていた。ゼンの前にだけは、二人分の量が盛られている。彼はその一部を袖に隠し、部屋に戻ってからエアに分け与えている。

「味が薄いね」

 エアの感想は簡潔なものだった。確かにこの屋敷で提供されている料理は、ゼンのものと比べ味が薄い傾向にあった。理由はいくらでもある。調味料があまり入っていない、使っている香辛料の量も種類もゼンと比べると少ないなど。

 ゼンも出された料理であるため文句は付けにくかった。ただ、自分で飯の準備をすればもっと満足度は高いに違いない、という思いだけが募っていた。

「もうじきにここを発つから、それまでは我慢してくれ」

「え?

 もうここを離れるの」

「右腕の抜糸ももうすぐだ。

 怪我が治れば、ここに滞在する理由は無くなるからな」

「念を取ってもう少し休んでおけば。

 それに次、何処へ行くかも決まってないんでしょ」

「それはいつものことだろ。

 それにしても珍しいな。まるで、この村から出るのが嫌みたいに聞こえたぞ。

そんなにこの村が気に入ったのか?」

「私のことより、ゼンはどうなの?」

「どういうことだ?」

「ゼンはこの村に居つきたいと思わないの。

 ほらリホノもいるし。ここを無理に出ていく必要もないでしょ。傷も完全に癒えたわけではないんでしょ」

「確かに、ここを無理に立つ理由はない。が、近い内に発つぞ。これは決定事項だ」

「――どうし」

「所詮、俺とアイツでは住んでいる世界が違うんだ。血みどろの戦いまみれの世界にアイツを連れて行く訳にはいかない。

 お前がここに残りたいなら、それでもいいんだぞ。無理に連れて行くことはしない」

 エアが甲高い声で叫ぶ。

「私じゃない!

 ゼンがどうしたいか、っていう話だよ!

「俺の考えは、さっき言った通りだ」

 ゼンはあくまで冷静に、エアを諭すように話す。

「俺が死ぬときは、一人でいい。

 寿命まで生きられるとは思ってないからな」

 ゼンの顔は落ち着ている。まるで他人の話をしているかのような素振りだ。

「とにかく、傷が癒えたらこの村を出る。

 お前は好きにしろ」

 ゼンはそう言い残すと眠りに入った。

 エアからも、それ以上は何も言う事もなかった。


「ふむ、これなら問題なさそうですね。

 どうしましょうか、今日にでも抜糸しますか?」

「そうしてくれ」

「いいですが、痛みますよ。

っと、貴方には関係のない話でしたね」

医者の顔には微かに笑みが浮かんでいた。僅かな間の付き合いだが、ゼンのことを理解してきたようだ。彼が今更、抜糸程度の痛みでは怯まないということを知っているのだ。

「やるなら、さっさとやってくれ」

「では、早速」

 医者は自分の鞄から、道具を取り出した。抜糸自体は、あっという間に終わった。ゼン一人でもできなくはないが、ここは黙って治療を施されることにする。

 自力でやった場合、歪な傷跡が残る場合が多いことをゼンは知っていた。傷跡が増えること自体にはもはや、彼は何の抵抗も憶えていないが。

「よし、と。

 終わりましたよ」

「すまんな、感謝する」

「それが仕事ですので」

 医者は自分の道具を鞄にしまい、リホノの屋敷から去っていく。屋敷を去る前には、ゼンに塗り薬の入った容器を置いて行った。医者曰く、贅沢に使っても数日分の量はあるそうだ。

「だ、そうだ。

 お前の言いつけ通り、傷が治るまではこの村で養生させてもらった。

 明日にはこの村を発つ」

 ゼンが扉を開けた、すぐ側にリホノは立っていた。壁に背を預け、その瞳は僅かに潤んでいた。

「……ええ、そうね。

 けども、明日は無理よ。こっちもあなたに渡す物資の用意があるの。

 いくら急いでも今日中には無理。一日待って」

 少しの沈黙の後、ゼンは返答した。

「わかった。

 治療も終わったし、今日の分の仕事をやってくる。右腕の調子も確かめたいからな」

 ゼンはリホノを残し、屋敷の外へと向かう。

 この日の作業は、想像以上に早く片付けることができた。その理由は簡単である。右腕が使えるからだ。単純に仕事の効率が二倍になったのだ。怪我の間も、右腕は適度に動かしていたため大きく筋力が落ちているということもない。違和感を覚えることもあるが、それも時間が解決してくれる。

「よう、元気か」

 普段よりも早い時間で作業が終わったため、ゼンはセロの元を訪れていた。今までも時間を見つけては、こまめに顔を見せていた。セロの調子はいつもと変わらない様子だ。彼の顔を見ると、首を伸ばし顔を彼の方へと近づける。

「またしばらく世話になる。

 よろしく頼むぞ」

 ゼンはセロの顔を撫でてやる。セロは舌を伸ばし、彼の手を嘗め回す。いつ来てもこうだ。彼は開いている左手で、セロの体を触っていく。筋肉や骨に目立った異常はない。手で触っても、異常は確認できない。これならばいつでも旅を続けることができる。

「また明日来るよ」

 一向に離れようとしないセロを引き離し、ゼンは厩を後にした。

「まずは手を洗わないとな」

 ゼンは手の匂いを嗅ぐと再度、井戸に向かった。

 やがて日も暮れ、ゼンは食卓へと向かった。席に着いたのは、彼が最後だった。食卓の雰囲気はいつもよりも重く感じる。彼は部屋に入った瞬間から感じ取っていた。全員が顔には出していないが、柄に何か一物を抱えている。

 普段から会話が多いという訳ではないが、この日の夕食は特に会話が少なかった。

 リホノが会話を投げかけても、ゼンは曖昧な返事か単調な返答をするのみだ。

 次第にリホノからの言葉も少なくなってきた。そうなれば、後はひたすら口を動かすのみである。会話のない食事は、想像以上に早く終わってしまった。

「ご馳走様でした」

 二人よりも早く食事を終えたゼンは手を合わせ、一足早く就寝の準備に入る。もうじきに固い地面の上で寝ることが日常となる。その前に、今の心地よい寝床を一秒でも長く味わいたかった。

 いつも通り、椅子に横たわるとゼン自身も驚くほど、眠りに入ることができた。特に体が疲れていた訳ではない。むしろ、体の調子はいい位だ。右腕が使えることで肉体的にも精神的にも余裕が生まれている。

 次にゼンが目を覚ましたのは、朝日が昇り始めた頃であった。それでも普段よりも少し遅い位である。体を伸ばし、日課の水汲みに向かう。

 じっくりと寝た分、いつも以上に体の調子が良く感じた。右腕も違和感なく動かすことができる。体を動かし心拍数が上昇することで、心地の良い汗が額から流れてくる。水で汗を流し、昨日ぶりにセロの元へ向かう。

 つい昨日会ったばかりだというのに、セロは久しぶりに会ったかのように熱烈な歓迎の雰囲気を出していた。尻尾を振り、顔をゼンの方へと突き出している。

「明日からまた頼むぞ」

 セロはゼンの問いかけに反応するかのように、鬣を震わせる。セロの気概は十分だ。一方のエアは、暗い顔をしたままである。彼が声を掛けても反応が薄い。

 この地で過ごすのも今日が最後の一日だ。明日の朝にはこの地を発つことになっている。天候もしばらくは晴れが続いている。この様子では、次の日も雨が降る確率は低いだろう。

 朝食の時間になり、ゼンは食卓へ移動する。昨日同様に、食事の最中に会話はなかった。昨日以上に静かな朝食となった。食卓は、三人が黙って自分の目の前にある食材を口の中に運ぶだけの場と化している。

「ご馳走様でした」

 二人よりも早く料理を平らげたゼンが手を合わせる。

「昼から物資の受け渡しをお願いしたいんだが、都合は付けられるか?」

「はい、畏まりました。

 お手数ですが、物資の運搬はお願いしてもよろしいですか」

「お安い御用だ。

 俺は部屋で少しゆっくりする。準備ができたら教えてくれ」

 ゼンは自身の部屋へと帰っていく。もうじきこの部屋ともお別れになる。荷物は少ないが、それでも整理だけはしておきたかった。空いている袋にはもうじき物が詰め込まれる。その前に大まかにでも用途別に分けておきたかった。

 机の上にある装備類も久しぶりに身に着ける。この村にお世話になってからというもの、愛用のナイフを除き、装備類を外して生活を送っていた。装備品の重さを久しく感じる。

 この重さがゼンを、平和な世界から戦いの世界へと引き戻す。装備を身に着けていない時も手入れは怠っていない。いつでも使える状態だ。

 扉を叩く音がする。

「失礼します。

 準備はできていますかな?」

「ああ、大丈夫だ。今から向かうよ。

 おっと、こいつもだな」

 ゼンは刀を腰に差す。これで彼にとってのいつもの状態へと戻った。

「よし、行くか」

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