十六話 其の八
「ゼーーーン、大変!」
ゼンとリホノの間に入ってきたのは、エアだった。エアはゼン以外の人間がいるにも関わらず、その姿を現した。
「ド、ドラゴン?」
「ハーー、ハーー。
ゼン、大変だよ。アイツらが村に近づいて来ている。一人や二人じゃない。優に十人は超えている。どうしよう」
「ゼン、これってどういうこと?」
「全て終わったら話すよ。
エア、お前はどこかに隠れていろ。俺に何かあったら、後はわかっているな」
「――うん」
エアは深くうなずいた。ゼンもエアも覚悟は決まっている。唯一、リホノだけが戸惑っていた。彼女は目の前の現実を直視できずにいる。
目の前には小型のドラゴンがおり、ゼンと話している。このドラゴンは彼の言葉を理解し、従っている。ドラゴンには嫌がっている様子もない。
「お前もだ、リホノ。
俺一人ではどこまでやれるかわからん。できる限りのことはするが、あまり期待はするな」
「それって……」
「急げ!
奴さんたちは待ってくれないぞ」
リホノはどうすればいいのかわからずに、その場に立ちつくしている。
「エア、奴らはどこから来るんだ?」
「私たちが入った場所と同じだと思う」
「そうか」
ゼンは歩きだす。エアとリホノはただ、彼の後姿を見守ることしかできなかった。
「どうして、先に行った奴らからの連絡がないんだ?」
村に向かっている一行がいる。人数は五人だ。中央にいる男だけが馬に座っている。残る四人は、一人を守る四に円形に陣を組んでいた。
「先におっぱじめてるだけですよ」
「事前の調査でも、あの村に戦える奴はちょっとしかいないって話ですよ。
仮に腕利きの奴がいたとしても、複数で囲めば、こっちのモンですよ」
「け、けども本当に馬鹿強い奴がいたら?
先に行った奴が全員、その腕利きに殺されていたら?
親分、もう止めましょうよ。こんな村、どうせたいした物もないですよ
ねえ、そうしましょうよ」
そう発言したのは、殿にいる男だ。
「お前は、この村から手を引け、そう言いたい訳だな」
親分と呼ばれた男が馬を止めた。後ろを振り返り、先ほどの提言をした男の方に体を向ける。
「え、ええ。
もっと他にいい狩場がありますよ」
男の顔が少し晴れた。親分が自分の話を、足を止めて聞いてくれたのだ。自分を無下にする訳がない、男はそう信じ切っている。
「そうか、そうか。わかったよ
ならば、お前は死ね」
次の瞬間、親分の槍が男の体を貫いた。
「なんで……」
男は口を開けたまま、訳がわからない表情をしている。口元からは真っ赤な血が流れていた。
「いいか、俺が尋ねたのはな。
どうして、先に村に向かった奴が帰ってこないかの理由だ。
断じて、村に攻め入るのを止める理由じゃない」
親分は槍を引き抜き、穂先の血を払う。
「他に言いたいことがある奴はいるか!
今なら、どんなことでも聞いてやるぞ」
誰も声を上げる者はいない。
「よぉし。
だったら、早く行くぞ。仮に、先に行った奴らが宴でも始めていたら、見せしめが必要だな。
俺の言う事を聞けない奴は、この集団には必要ないからな」
四人は再び、村に向かって歩き出した。
「三、四.四人か」
ゼンの視界には四人の男がいた。その内の一人は、馬に乗っている。
「不味いな」
まさか相手が馬に乗っているとは思っていなかった。対人であれば、先ほどと同じ戦法が通じる。だが、相手が馬に乗っているのであれば話は別だ。
人間の足では馬から逃げきることは不可能だ。時間があれば罠を仕掛けることもできたが、今となっては遅すぎる。
一人を不意打ちで消せたとしても、残るは三人だ。今のゼンの状態では、三人を相手にするのは厳しいものがある。加えて、一人は馬上だ。他の二人とは厄介さは比にならない。
「危険な賭けになるな」
ゼンはそう小さく呟くと、クロスボウを構えた。ボルトは装填済みである。引き金にほんの少し力を加えるだけで、ボルトは飛んで行く。彼は指先に力を加えた。
「ぐぁっ」
三人の視線が、声のした方へと向いた。声を発した本人は首にボルトが刺さっており、既に倒れている。次に三人の視線が向いたのは、ボルトが発射されたと思われる方角だ。唯一、馬に乗っている頭領のみが、正確な位置を割り出していた。
「そこだっ!
屋根の上だ。逃がすな」
ゼンは自身の場所が割れるや否や、一目散に逃げだした。後ろからは、馬の走る音は聞こえない。足音も一つだけだ。彼の想定の内で最も望ましい成り行きになっている。
「来い」
ゼンは逃げ道の途中にある角で息を潜めている。右手には愛用のナイフが握られていた。段々と足音が大きくなってくる。
「クソッ、何処行きやがった」
顔を見なくともわかる。ゼンの姿が見えずに焦り苛立ち始めている。何の成果もなしに帰る訳にもいかず、焦りは募る一方だ。
あと二歩、一歩で男はゼンの隠れている角に辿り着く。彼の視界に男が入った。
ゼンはナイフを突き出した。
「がっっぁ」
男の左胸にナイフが突き刺さっている。ゼンは角から身を乗り出すと、左手に持っていたナイフを男の首元に突き刺した。相手が確実に絶命したことを確認し、彼は二本のナイフを引き抜いた。
「あと二人」
ゼンの足は、彼が泊っている宿屋へと向かっていた。今彼がいる場所から走ればすぐの距離にある。
「悪いが、少し活躍してもらうぞ」
セロはいつもと変わらぬ様子でいた。周囲は騒々しかっただろうにも関わらず、主人を待っているその姿はなんとも頼もしい。
ゼンはセロに跨る。残る敵は二人だ。その内の一人は、馬上にいる。馬上の相手が厄介ならば、こちらも馬上で戦うことを彼は選択した。
これで少なくとも条件は同じだ。ただ問題は、ゼンが馬上での戦闘に慣れていないということである。決して彼が馬上での戦闘が下手という訳ではないが、上手いという訳でもない。ただ、戦える、というだけだ。
相手が馬上での戦闘に慣れていた場合、ゼンは不利になる。加えて、先ほど武器を確認したが、馬上の男は槍を持っていた。武器の長さでは刀が負けている。
ゼンが勝つためには、相手の槍を躱し、刃が届く距離まで近づく必要がある。今更、戦い方を考え直す時間はない。後は、ただ己の全力を賭して戦いに臨むだけだ。
「蹄の音が聞こえる。
お前は離れておけ。近くにいても邪魔なだけだ」
男の槍を握る力が強くなる。音から判断するに、こちらに向かっているのは一人だ。恐らく、自分の敵になる存在だ。頭領は何の情報も持っていないが、確信に近い自信をもっている。それは、一朝一夕で身に付くものではない。数多の修羅場を潜り抜け、磨かれた野生の勘とでも呼ぶものだ。
男は手綱を強く握りしめ、足で馬の腹を叩いてやる。
馬は声を上げ、走り出した。
ゼンの視界に、馬を走らせている男の姿が見えた。望むならば、奇襲を掛けたかったのだが、最早、止まることも引き戻ることも不可能だ。彼は更に速度を上げる。
鈍い音が響いた。鉄と鉄がぶつかった音だ。最初の一撃は、どちらも有効打にはなりえなかった。ただ、ゼンの手が熱く、震えている。
やはり馬上での戦闘はゼンにとって厳しいものがあった。地面に足がつかず、踏ん張りがきかない。先程の一撃も、ただ相手の攻撃を受け流しただけだ。とても攻撃に回せるほどの余裕はない。
二人は馬を止め、再び向かい合う。先に馬を走らせたのは、ゼンの方だ。彼から遅れること数秒して、親分格も前に出る。
再度、鈍い音が響いた。否、今回は何かが地面に落ちた音もした。地面に落ちたのは、ゼンである。
「がぐっ」
受け身を取る暇もなく、背中から着地した。衝突時の衝撃で、刀も手から放してしまっている。
「終わりだァ」
親分格が追撃に入った。すぐに馬を引き返し、ゼンに留めを刺そうとする。彼は倒れてはいたものの、意識は失っていない。それどころか、クロスボウを構えていた。
「まずっ」
クロスボウからボルトが放たれた。ボルトは、馬の足元に刺さった。馬に直撃こそしなかったものの、男を地面に引きずり落とすには十分だった。馬は大きく体を上げ、男は体勢を維持できずに地面へと落ちていく。
ゼンと違い、落ちることが分かっていたため、男は受け身をとることができた。
「こっ」
男の顔面に膝蹴りが入った。ゼンは後ろへ倒れていく男の髪を掴むと、もう一度、膝を顔面に叩き込む。鼻を折った感触がした。それと同時に膝に生ぬるい触感もした。
ゼンは三度、膝蹴りを入れようとした……。
「このっっ!」
男の反撃が始まった。ゼンに飛び込むようにして、突進する。想定外の反撃を喰らった彼は倒れこむ。
今度は男がゼンに馬乗りの形になる。男の鉄拳が彼に降り注ぐ。彼は必死に両腕で相手の攻撃を受け流そうとするが、一発、二発と彼の顔に拳が直撃する。
「ッッ!」
痛みの声を上げたのは男の方だった。男が鉄拳を振り下ろす際、ゼンは頭を上げた。拳の速度が乗る前に、拳よりも固い頭で威力を相殺した。当然、痛みがない訳ではない。だが、直撃を喰らうよりかは幾分かマシだ。
男の腰が少し、浮いた。ゼンは一気に力を入れ、男を跳ねのける。今度は、彼が男に馬乗りの肩になった。彼は左足で男の右腕を押さえつけると、左足から隠しナイフを抜いた。
「そこまでだっ」
ナイフは止まった、男の眼前で。
「う、動くな」
男の部下が、ゼンに向かってクロスボウを向けている。部下の手は僅かに震えていた。
「このッ」
ゼンが止まったことを機に、男は抜け出した。男は彼のナイフを奪い取る。そのまま彼に向かって刃を振るう。彼は引き下がり、一撃を回避した。
「動いたな」
ゼンが動いたことで、男の部下が引き金に指を掛けた。狙いは完全に彼に定まっている。
「クソッ」
さしものゼンといえども、どうすることもできない状況に陥ってしまった。彼の頭の中では。ボルトを一本喰らうことになっても、先にあの男を消すかという考えまで浮かんでいた。
「そうはさせない!」
声を上げたのはリホノだった。彼女は持っている剣で、男の部下に斬りかかる。彼女の斬撃は回避されてしまったが、発射を阻止することができた。
「よそ見とは、余裕だなッ」
ゼンの視線がリホノに向かっているのを、男は見逃さない。男のナイフがゼンの右腕を掠めた。掠めた箇所の服は破れ、血が流れ始める。
男は自分の攻撃が掠めただけとは命中したことにより、油断が生まれてしまった。
ゼンは左手に持ったナイフで、男の顔面を下から上へと切り上げた。ナイフは、男の右頬の辺りから入り、眉の部分までを切り裂いた。
「あああぁあぁぁ」
悲痛な叫びが響く。男は痛みから手で顔面を押さえ、地面を転がっている。
ゼンは転がる男の服を掴むと、強制的に自分の前へと立たせる。切り傷は深い。右目は失明しているに違いない。暴れる男の腹に拳を入れ、大人しくさせる。
「もう一度、この村に手を出してみろ。
次は、お前の心臓を生きたまま引きずり出してやる」
ゼンは低い、重い声でそう言い放つと、男を放してやった。
「今なら見逃してやる。
こいつを連れて逃げるか、こいつと共に死ぬか。選ばせてやる」
残る一人は、親分格が倒れたことで戦意を喪失してようだ。目からは恐怖の色が感じられる。
リホノも追撃を掛けずに、残る一人の動向を見ていた。自身に対する攻撃が止まったことで、逃げる決心を固めた。部下はのたうち回る男を引きずるようにして、村から離れて行く。