十六話 其の二
キャラバン隊と別れ、ゼンたちは平坦な道を歩いていた。道の中央だけは草が生えていない。多くの人が歩く中で不毛地帯へと変化したのだろう。
キャラバン隊のトッポから聞いた話によれば、この先に小さいが立派な村があるらしい。隊の人達もそこで商売を終えた後にゼンと会ったとのことだ。
彼らの話では、移住の民である商人にも平等に接し、商品にもそれなりの値を付けてくれたらしい。
ゼンは向かっている村で商売をしようとは考えていないが、同じ滞在するならば余所者にも優しい場所の方が有難い。白い目で見られるのには慣れている。それでも、そういった視線を避けられるのであばれそれに越したことはない。
「ゼン、何かあったの?
さっきから落ち着きがないみたいだけど」
エアの言う通り、ゼンは平時の落ち着きを失くしていた。視線は定まらずに、常に動いている。まるで何かを警戒するかのように、周囲を見ている。
「少しな。気になることがある」
「どんなこと?」
「この光景を、前にも見た気がするんだ」
「同じ場所に来たかもってこと?
けど、私はこんな場所見た覚えがないよ。ゼンの見間違えってことはないの?
ほら、こんな道探せば幾らでも見つかるよ」
「ああ。お前の言う通りだ。こんな道、珍しくはない。俺も何処かと間違えているだけなのかもしれない。
だが、もっと昔の記憶なんだ。この光景は。はっきりと思い出すことすらできない。お前と出会うよりも、もっと前の」
「私と出会う前……。じゃあ、一年以上も前だね」
「もっと前だな。恐らく、十年以上」
「そんなに!
そんな前だったら、ゼンもまだ子供だね」
「子供も子供の頃だ。
まだ、親と一緒に各地を回っていた頃だな」
未だにゼンは明確な記憶を思い出せていない。にも関わらず、彼の中の既視感だけが強まっていく。
過去の記憶に縋っていても事態は進まない。ゼンは道を進む。進めば進むほど、過去の記憶がゼンの脳内に蘇ってくる。変わっている部分もあるが、彼の昔の記憶と違わない部分の方が多い。
「エア、そろそろ隠れていろ。
もうじき入り口に着くぞ」
「憶えているの?」
「今、さっき思い出した。
右手に見える大きな木があるだろ。あれが見えたら、もうすぐ入り口のはずだ」
そして、ゼンは口には出していないが、あの木には別の思い出もあった。
あの木にはナイフで切った跡が二本残っているはずだ。身長を測るのにゼンが付けたものである。一本はゼンの、もう一本は誰のものなのか、思い出すことはできない。
「……ン!ゼンってば
ちゃんと聞いてるの?」
エアの声で、ゼンは現実に引き戻される。少しの間だが、過去の思い出に沈んでいたようだ。
「――大丈夫だ。
しっかり聞いているさ」
ゼンは頭を振り、意識を今に集中させる。こんな気の抜けた状態に陥ったのが平時で幸いした。これが戦いの最中であれば、彼の命はとうに亡くなっていたに違いない。
「じゃあ私はいつもの所に隠れるから。
外に出ていい時になったら、教えてね」
「ああ、わかった」
エアの話は聞いていなかったが、今の一言で凡その流れは把握できた。もしかすると、エアはゼンが話を聞いていないことを知っていたのかもしれない。それを口にするほど彼も野暮ではない。
村に近づけば近づくほど、ゼンの足取りは重くなっていく。何か不吉な予感や虫の知らせがある訳ではない。むしろ、心のどこかで高揚すら感じ始めている。
それが何に起因する昂ぶりなのかはゼン自身ですらわかっていない。こんな気持ちになるのは随分と久しぶりのことだ。まるで自分が自分ではないような感覚に彼は囚われていた。
遂にゼンは村の入り口にまで辿り着いた。そこで彼は確信を深めた、自分がこの村に来るのが始めてではないという。村の入り口には誰も立っていない。他の村であれば、入り口には一人か二人、人が立っているものだ。それは、外敵から侵入を防ぐためであり、不審な人物を予め排除するためでもある。
守り番が立っていない、よほど平和な村なのか。それとも、村の中に余程腕の立つ者がいるのか。ゼンは一呼吸置き、村の中へと入って行った。
村の中は外観から見るのとさしたる違いはなかった。目を引くような派手さはないが、人が住むのには十分な広さと快適さを有している。村民は各々の仕事を全うしていた。ある者は斧で薪を斬ったり、家畜の世話をしている者もいる。
村民もゼンの存在には気付いている。目が合った者もいた。彼らはゼンを一目見ると、また各自の仕事に戻っていく。それは彼に興味を抱いていないというよりかは、見飽きているような動きであった。村民の目も、ゼンを見下すといった様な感じではない。
ゼン自身も、村民の態度よりも別のことに気を取られていた。それは、彼の過去の記憶だ。過去の記憶が断片的に、彼の脳内で再生される。
ゼンはもう一人、誰かと一緒にいた。小さい、女の子だ。歳は彼と変わらない位だ。彼よりかは少し背が高く、彼の前を走っている。そこまで思い出すことはできても、肝心の女の子の名前は一文字たりとも思い出せない。
ひとまずゼンは宿屋を探すことにした。過去の記憶を辿るのは、それからでも遅くない。彼は立ち止まり、周囲を見渡し、一際大きな家屋を探す。
あった、一際大きな建物が。ゼンは建物のある方向へと進む。その道中であった。住民たちの話し声が聞こえてくる。話題が何かまでは聞き取ることはできなかったが、少なくとも悲しい話でないことは間違いない。その証拠に、笑い声が聞こえる。
まだ話をしている人達の姿は見えていない。ゼンは角を曲がり、ようやくその姿を見ることができた。そして、彼はある一人に目を奪われた。
その人物は、集団の中心にいた。黒い綺麗な髪の女性だ。背は高く、周りにいる男たちにも引けを取っていない。遠くから見ただけではっきりと顔を見た訳ではないが、ゼンはその女性に釘付けになった。
向こう側も、ゼンに気付いたようだ。彼と目が合う。女性も、彼の顔を見て、ほんのわずかの間だが、動きが止まった。そのことに違和感を抱いたのは、彼女の周りにいる連中だ。
彼女の視線の先には、ゼンがいる。複数人の視線が一斉に彼に集まった。
「どうしたんですか?」
「あの男が何か」
女性は、ゼンに向かって歩き出す。女性の顔がはっきり見える距離まで近づいた所で、ようやく彼は我に返った。
「あなた……」
「ど、どうかしましたか」
珍しくゼンが動揺している。
「以前に会ったかしら。顔、いえ、雰囲気が。初めてあった気がしなくて」
「気のせいでしょう。
俺はただの流れの旅人です」
会話ができる距離まで近づいて、ゼンは改めて女性の顔を見た。目鼻立ちがハッキリしていて、薄い青色の綺麗な瞳をしている。色も白く、透き通るような肌だ。十人いれば十人が美人だと言うに違いない。それ以上に、彼が圧倒されたのは、その佇まいだ。
来ている衣服や装飾品は他の住民と大して変わりはない。言葉遣いもそうだ。そこに彼女がいるだけで、自然と周りの雰囲気が明るくなる。
「それじゃあ。俺は宿を探さないといけないんで」
ゼンは女性との会話を切り上げ、その場から去ろうとする。
「ちょっと待って!」
女性の声に、ゼンは足を止める。
「あなたの名前は?」
ゼンは少し止まってから、振り返る。
「ゼン、ゼンです」
自身の名前を言うと、ゼンは再び歩き出す。
「リホノ。私の名前は、リホノ!」
その声はしっかりと、ゼンの耳に届いていた。が、彼が歩みを止めることはなかった。
「それでは、ごゆっくりと。
ご食事の際はお声がけ下さい」
ゼンは店主から鍵を貰うと、自身の部屋へと向かう。部屋の中には寝るためのベッドと、作業をするための机が一つだけある。質素な造りだが、寝るには十分だ。
部屋の中も清潔に保たれており、嫌な気分はしない。窓からは沈みかけている夕陽が差し込んでいる。窓は西側に設置されているため、部屋の中にいると眩しい位だ。
「ふぅ」
ゼンは外套を脱ぐと、身に着けている装備を一つずつ外していく。
「あの女の人、知り合い?」
エアがポーチから出てきた。その顔は妙ににやけている。
「さあな」
「あの人は知っているような口ぶりだったよ。
それに、ゼン。この村に来たことがあるんでしょ。じゃあ、昔のゼンが会っていてもおかしくはないよね。
見かけによらずやるね~。あんな美人と知り合いだったなんて」
「そうだな……。
ちょっと待て。どうしてお前が美人だって知っているんだ?ポーチの中にいれば、声はわかるが、顔までは判別できないよな」
「――あっ。」
ゼンは手を止める。語るに落ちる、を正にその身で体現したエアであった。
「おい」
「ちゃ、ちゃんとポーチの中にはいたよ。本当だよ。ただ、ポーチの隙間からちょ……っと覗いただけって。」
ゼンは片手で自身の顔を覆う。
「一応聞いておくが、見つかってはいないな」
「それは勿論。もし見つかっていたら、今頃は大騒ぎになっているよ」
「ハー」
深いため息が部屋の中に響く。
「ゼン、怒ってる?」
「怒る気力すら湧いていない。ひとまず今は、お前が見つからなかったことに安堵している」
「ごめんなさい」
エアにしては珍しく、すんなりと自分の非を認めた。
「まあいいさ。
それにお前からすれば、こんな面白いことを逃す訳がないしな」
ゼンは引き続き、装備を外していく。腰に付けているナイフだけは念のために身に着けたままだ。
「飯を食ってくる。
お前の分も持って帰って来てやるから、今度こそはここで大人しくしていろよ」
ゼンは夕食を食べに部屋を出る。エアの一件で精神的な疲労が一気に押し寄せてきた。この疲れを吹き飛ばすには、美味しい物を食べるのが一番だ。
「飯をくれ。量は二人分でいい。
金はこれで足りるか?」
ゼンは大銀貨二枚を差し出す。
「はい。
二人分も作って食べきれます?」
「食べきれなかったら、部屋に帰ってから食うよ」
今のゼンの食欲ならば二人分程度ならば余裕で食うことができる。だが、本人は全てを平らげるつもりはない。適当な分を部屋に持ち帰り、エアに与える予定だ。
「少し外を散歩してくる」
「お気をつけて」
ゼンは外に出て、背伸びをする。腰の辺りから骨の鳴る音が響く。その後、軽く肩を回し、屈伸を繰り返す。
一息ついたことで精神的な余裕がゼンに生じる。その隙間に浮上してきたのは、先ほどの女性のことだ。
“リホノ”その名前を聞いて、ゼンはハッキリと思い出すことができた。今までかけていた記憶の破片が一気に元の場所に戻ってきた。
記憶の中で靄が掛かっていた女の子の顔も、今では明瞭に映し出される。
ゼンの意識を過去から戻したのは、夕食の香りだ。気付けば、外に出てからそれなりの時間が経っていた。何はともあれ、まずは食欲を満たすことが先決だ。
ゼンは宿屋へ戻っていく。