十五話 其の四
「あっ、オイ!エア!
何処に行く?」
ゼンの制止も振り切り、エアは一つ目の方へ向かう。一つ目の戦闘能力は無いに等しい。なにせ、一つしかない目を奪ったのだ。最早、視界に頼ることはできない。
それ以上にゼンが危惧しているのは、エアの身だ。一つ目の戦闘能力を奪ったとはいえ、まだ息はある。それに目が潰れた痛みから、暴れ回っている。振り回している腕がエアに当たれば、大怪我では済まない。
「心配しないで。
話すだけだから」
「話すって何を」
「いいから!」
エアは一つ目の方へ飛ぶ。ゼンも追いかけようとしたが、直ぐに足を止める。ああなった以上、エアを止める方が危険だと彼は判断した。下手に人質にでもなれば、打つ手は無い。離れていても、今ならば一つ目の命を奪う手段はある。
「ねえ」
「アァアアァァ」
「あなたが本当に、あの惨状を生み出したの?」
「アアァアァ。
……アノ惨状?」
「人を二つに割いた、あの光景」
「ソウダ。俺ガヤッタ。
ソレガドウシタ」
「あんな惨い殺し方をするなんて、何か人間に恨みか憎しみでもあったの?」
エアの脳内には、あの惨い光景が蘇っていた。
「ドウイウ意味ダ?」
「だってあんなことをするなんて、何かよっぽど深い理由があるんでしょ。
何の理由もなしに、人を二つに割くなんて」
「人ヲ殺スノニ理由ガイルノカ?」
「なっ」
「アイツラハ俺ヨリモ弱カッタ。
ダカラ殺シタ、ソレダケダ」
「それだけって……」
いつの間にか、ゼンはエアの隣に立っていた。何を言うでもなく、彼はエアの体にそっと触れる。
「エア、もういいか。
こいつの言っていることは、間違ってはいない。理解はできんかもしれんが。
ただアイツが強く、俺たち人間が弱かった、それだけの話だ」
「ソウダ。
人間、オ前ハ俺ヨリモ強カッタ。ダカラ、俺ハ今、コンナ無様ナ姿ヲ晒シテイル。
イズレ、オ前モコウナル。
ハハハハッ」
「そうだろうな」
そう答えるゼンの姿に動揺はない。まるで一つ目の言ったことを悟っているかのように。
「行こう、ゼン」
「行くって何処に?」
まだ夜は明けていない。それどころか、これから一層夜が更けていく時間だ。
「ここから。一歩でもいいから、とにかくここから遠く離れよう。私、これ以上ここにいたくない」
「そう遠くまでは離れられないぞ」
「うん。それでもいい」
ゼンとエアは、その場から離れていく。一つ目の笑いだけが闇夜の森に響いた。笑い声は二人を呪うかのように、いつまでも耳にその声を置いて行った。
「おはよう。
気分はどう?」
太陽が真上に昇る頃にメアは目を覚ました。
「良くも悪くもない。
昨日の傷は痛むがな」
既にゼンは目を覚まし、昼食の準備に取り掛かっていた。エアが目を覚ました原因も、彼の作る昼食によるものだった。彼が準備をしなければ、エアはもっと寝ていたに違いない。
昨晩、ゼンたちは一つ目の命を奪うことなく、その場を去って行った。夜も更けているということもあり、移動するのは短距離と決めていた。それでもゼンたちが眠りに付いたのは、朝日が昇る直前の頃である。
エアは移動が終わるなりすぐ深い眠りに付く。一方、ゼンは快眠どころか、眠りに付くことすらできずにいた。体に走る痛み・戦闘直後の興奮、それに周囲の警戒もある。結局、ゼンは朝食の準備に取り掛かることにした。
調理途中に何度も睡魔に襲われることはあったが、ゼンは何とか意識を保っていた。エアが起きれば、朝食である。それを済ませばエアと見張りを交代し、彼も眠りに付く予定だ。
エアが起きてこないため、せっかく作った朝食が昼食になってしまった。
「これ、美味しいね」
エアは昨日の出来事などなかった様に、明るく振舞っている。そうでもしなければ、気分が落ち込むだけなのはエアも理解しているようだ。
「それは何よりだ」
ゼンは何も言うまいと思い、返事だけに留めておく。彼は食事中、何度も欠伸を繰り返していた。
「ひょっとして、寝てないの?」
「ああ。誰かさんがすぐ寝てしまったから、見張りをするのが俺しかいなくてな。
これを食ったら、俺は寝る。その間、見張りは頼むぞ」
「うん。
ということは、今日はもうここで過ごすの?」
「ああ。
どうせ今から寝たら、起きる頃には日も沈んでいる。どうせ急ぐ理由もないんだ。ゆっくり行こう。
それじゃあ、見張りは頼んだぞ」
「任せてよっ」
エアが返事をした時には、既にゼンは目を瞑っていた。近くにあった木に背を預け、腕組をしながら座っている。微かに肩が上下に動くだけで、それ以外に動きはない。既に眠っているのだろう。
「人のことは良く寝る奴だ、なんて言うけどゼンも大概だね
さて、どうしようかな……」
こうなるとエアは暇になる。ゼンが眠っているためこの場を離れることもできず、話し相手もいない。
ただただ暇な時間を過ごすというのは、エアにとって想像以上の苦痛を伴う時間である。なにか用事や暇をつぶせる何かがあれば話は別なのだが。
こうなれば頼る相手は限られる。セロだ。例え、話ができずとも触れ合えるだけで心が安らぐというものだ。ゼンと違い、嫌みや皮肉を言うこともない。加えて、黙ってエアの話を聴いてくれる。本当に自分の話を聴いてくれているとはエアも思っていないが。
既にゼンは寝息を立てている。顔も穏やかだ。遠くから見れば、死んでいるかのようにも見える。
「気持ちよさそうに寝てるね、お前のご主人は」
「痛っってええ」
ゼンは目を覚ました。寝ていた時の心安らな表情はどこに消えたのか。眉間にしわを寄せている。
「体が痛むの?」
「体も痛むが、首と腰が……。
やっぱり、野外で寝るもんじゃないな。きちんと横になって寝るべきだった」
まだ陽は落ち切っていないが、既に外気は冷たくなり始めている。羽織るものが欲しくなる頃合いだ。
「俺が寝ていた間、何もなかったようだな」
痛みで目が覚めたが、誰にも邪魔されずに熟睡することができた。最早、夢を見ていたのかすらゼンは憶えていない。
「お陰様で、何もなく退屈な時間を過ごせましたよ」
「――そいつは何よりだ。
腹は減っているか?」
エアの目が輝きだした。それと同時に口角も上がりつつある。
「うん!」
「そうか。
じゃあ、晩飯の準備に取り掛かるか。
あぁぁあ。体が固まってるな。」
ゼンは大きく体を動かす。肩を腕を脚を、全身を大きく振り回す。彼の体の至る所から骨の鳴る音が響く、まるで壊れた楽器の様に。
「凄く音が鳴っているけど、大丈夫?」
「いつものことだ」
昨晩のこともあり、残された食材は少ない。ゼンはもっと川の近くで寝ておけばよかったと後悔する。そうしておけば自分が寝ている間に、エアに魚を調達するように頼むことができた。
「さて、どうしたもんか」
ゼンの頭の中には二つの選択肢があった。一つは残された食材使い切ること。もう一つは、残った食材を大切に何日にも分けて食べること。幸いにも水はある。
「今日は何作るの?」
ゼンの後ろでは、エアが嬉しそうな顔を浮かべている。
「――よし。
今日は豪華に行くか」
エアの顔を見て、ゼンも決心する。
「珍しいね」
「偶にはいいだろ。
厄介ごとも片付いたし」
その日の晩飯は、過去一番と言っていいほどの豪勢なものとなった。そのせいで、後に二人が苦しむことになるのは、ゼンだけが知っていた。