十四話 其の七
三度の爆発が発生し、衝撃と轟音がゼンを襲った。その爆発自体を起こしたのもゼンなのだが。
爆発の影響でゼンの耳は音が聞こえづらくなっている。加えて、爆発のせいで飛んできた何かの破片が彼の頬を掠り、その跡からは赤い血が滴れている。
そんな状態の中でも視線だけは真っ直ぐに前を向いていた。爆発のせいで土煙が発生し、視界は悪い。煙が無くなった時、ゼンを待ち構えているものは死体か、彼を狙うドラゴンか。
ようやく煙が晴れてきた。ゼンはまだクロスボウを構えている。ずっと右腕を上げていたため、腕が少し震えている。
「チッ」
ドラゴンの鱗が見えた。鱗のすぐ近くにはゼンを見ている眼球がある。まだドラゴンは死んでいない。あれだけの攻撃を喰らってもまだ生きているとは。彼はすぐさま次のボルトを装填しようと手を動かす。
装填する途中で、ゼンは気付いた。既にドラゴンが動けないことを。目はこちらを見て敵意を剥き出しにしているが、言ってしまえばそれだけだ。
もうドラゴンは動くことはできない。顔の鱗は所々が剥がれ落ちて、そこからは薄赤い肉が露出している。目も片眼は潰れていた。ゼンが見たのは残った片目だったのだ。
「ガァァ、アアア」
ドラゴンは必死に首を伸ばし、ゼンの肉体を噛みちぎろうとする。が、いくら首を伸ばしても、その牙がゼンに届くことはない。一歩でも前に進めば、彼に届くのだが、その一歩が踏み出せない。
「ハー、ハー、ハー」
ゼンも片膝を付いたままの状態で動かない。彼もドラゴンと同様に動けないのだ。彼の体も悲鳴を上げている。今まで無理をしてきたツケが今になってきたのだ。
今までも痛みを無視して無理に戦い続けてきたのだ。それこそ、いつ倒れてもおかしくない状況で。
ゼンはクロスボウを手放した。いや、落としたと言った方が妥当かもしれない。体中に走る痛みがゼンをその場に固定させる。動きたくとも体が言うことを聞かない。
あのドラゴンを殺す機会は今を置いて他にない。もう二度とこんな機会は巡っては来ない。殺すなら今しかないのだ。なのに、ゼンの体はピクリとも動かない。呼吸をするだけで精一杯だ。
「動け、動け、動け!」
ゼンは自分に言い聞かせるように言葉を発する。歯を食い縛り、全身を使って何とか立ち上がる。まともに立っていることすら、今の彼には難しいのだ。常に体は左右に揺れ、いつ転倒しても不思議ではない。
ゼンはゆっくりと腰のナイフを抜く。今の彼には刀を振る余力すら残っていない。仮に振るだけの力が残っていても、ドラゴンの鱗を断ち切るまでは無理だ。
ナイフを握るだけの握力は残っている。ならば、絶命するまで獲物をドラゴンの肉体に突き立てるまでだ。それが何回、何十回、何百回になってもだ。
「貴様ぁぁぁぁ」
ドラゴンはゼンを視界から外さない。その視線だけで並の人間なら動けないだろう。
ゼンも負けじと視線をドラゴンに集中させる。足を引きずりながら、一歩ずつドラゴンへ近づく。
遂にゼンはナイフを刺せる距離まで近づくことができた。かと言って、正面に立つような馬鹿な真似はしない。そんなことすれば、彼の命はすぐに絶たれる。
「フンッ!」
ゼンは出せる力の全てで、肉の露出している箇所にナイフを突き刺す。硬い、が肉にまでナイフが突き刺さる感触はあった。
「ァァアァァァ」
ドラゴンの悲鳴が聞こえる。耳が聞こえ辛くなっているのが幸いした。普通の状態であれば鼓膜が破れていたかもしれない。
「らぁっ」
ゼンは突き刺したナイフを一気に引き抜く。突き刺す時は勿論、引き抜く時にも多大な力を要する。引き抜く際に勢い余って、彼は尻もちをついてしまう。
「……まだだ」
ゼンは落としたナイフを拾い、再び立ち上がる。立ち上がるのに多大な時間を要した。
「ゼン!もう止めて」
エアが空中から下りてくる。ゼンの進路を塞ぐように、彼の前で両手を広げ浮遊している。
「どけ」
「どかない」
エアの目から映るゼンは恐ろしく見えた。まるで怪物の様に。何度倒れても這い上がり、相手が死ぬまで戦い続ける。後方にいるドラゴンの方がまだ理性的な存在にに見た。
ゼンは黙って前進する。
「いくら言われたって、どかないよ」
ゼンは何も応えない。彼は感覚が戻りつつある左手でエアを押す。エアは羽毛の様に簡単に彼の前から姿を消した。
「まっっっって、って」
思うように前に進まない。ゼンは後ろを振り返る。エアは彼の衣服を掴んでいた。いつもであればエアの力など取るに足りないものであるが、今の状況では文字通り足枷になっている。
「その手を放せ」
「放さない、絶対に。
私が手を放したら、ゼン、殺すでしょ。
そんなこと、私が絶対にさせない」
「お前に何と言われようが、俺はやる。
どのみち、このドラゴンは近い内に死ぬぞ。討伐隊が送られてくる。アイツらはモンスター狩りの専門だ。俺の比じゃない位にな。
数も質も向こうが上だ。俺がこの場でコイツを見逃したところで、いずれ死ぬ。
俺以上に悲惨な方法でな」
「それって」
「今殺されるか、後で殺されるかだ」
「どうして」
「理由なんていらない。そこにソイツがいるだけで十分だ。
それに今回は人に危害を加えている。遅かれ早かれ討伐されることになる」
「そんな……」
「わかったらその手を放せ」
「エア、どきなさい。
その男は、私が仕留める」
ゼンもドラゴンも闘志を失っていない。どちらかが死ぬまで戦いは終わらないだろう。
エアの頭が思考で一杯になる。このまま放っておけば、どちらかが死ぬことは避けられない。かといって、どちらかに肩入れすれば残りの一方が死ぬだけだ。
ゼンをこの場から退避させれば、彼の命は助かる。だが、残されたドラゴンはどうなる。ゼンの話が本当ならば、生き残る未来はないだろう。
エアの意識が思考に偏り、ゼンを掴む手から力が抜ける。
気づいた時にはゼンは既に前にいた。
「ふんっ」
ゼンはナイフを大きく振りかぶり、ドラゴンの肉に付き刺す。何度も何度も。
血が飛び散り、ナイフが肉を割く音が聞こえる。ゼンの服は血だらけだ。彼の血なのか、ドラゴンの返り血なのか、それすら判別もできない。
ゼンが倒れた。ついに彼の気力も底を尽き、体が動かなくなってしまう。呼吸をするだけで精一杯だ。心臓だけが脈を打ち、動いているのが自覚できる。
ドラゴンは既に生命活動を終えていた。目は開いており、その鋭い目はゼンを見ていた。今にも彼に襲い掛かりそうな迫力は未だに健在している。
「――終わった」
搔き消えるような小さな声でゼンが呟く。
「ン、ゼン」
耳元で高い声が聞こえる。間違いない、エアだ。今は返答すらできない。かといって、何もしなければ耳元で聞こえる高い声は大きくなる一方だ。
ゼンは何とか右腕だけを動かす。上げた右腕は血に塗れていた。彼からすれば自身が生きていることを指し示すつもりが、却ってエアの不安を増大させる結果になってしまう。
「ゼン!
生きてるよね?
立って。
ちょっと、ゼン!」
「……うるさい。
しばらく休ませろ」
ゼンは目を閉じる。もう限界だ。これ以上は指一本も動かせない。彼に必要なものは休息だった。
「っっ!」
体に走る痛みによってゼンは目を覚ました。痛みは体中に走っている。痛みがない場所を探す方が難しい位だ。体のどこを動かしても痛覚が刺激される。呼吸をするだけでも苦しい程だ。
「あぁぁ」
痛みが痛みを呼ぶ。痛みは途切れることなく、常にゼンを刺激する。今まで我慢をしてきたツケが一気に回ってきた。彼はのたうち回り、地獄のような苦しみを味わうことになる。
無論、ゼンの苦悶にエアが気づかない筈もない。エアは彼に近寄るが、苦しみを和らげる術をエアは持っていない。ただただ彼の苦しむ姿を見ることしかできなかった。
今下手に近づけば、エアの身も危ない。ゼンの手足がエアを直撃することだって考えられ得る。加えて、今の彼はエアに気を回せるほどの余裕はない。
ゼンの苦しみは一晩中続いた。痛みで目を覚ましては苦しみ、体力が尽きるとしばしの眠りに付く。それを繰り返すだけだ。彼の額には大粒の汗が浮かんでいる。寝ている際も心安らかな表情はなく、険しい顔をしている。彼もエアも寝不足の状態で次の朝を迎えることになった。
「おはよう。
気分はどう?」
「最悪だ」
「私も」
「ハハッ、痛っ」
まだ痛みは引いていない。骨が痛む。折れている状態で戦い続けたのだ、傷まない方がおかしい。一体、何本折れたのだろうか。治るまでにどれほどの期間を要するのか。
それ以前に、どうやってこの場から立ち去るのか。ここに来るだけでも相当の体力を要した。それも怪我をしていない万全の状態でだ。今の満身創痍の状態では無事に降りる前に、彼の体力が尽きてしまう。
ドラゴンは完全に死んでいる。それはゼンが倒れる前に確認した。最後の一撃で突き刺したナイフは、未だドラゴンの体に刺さったままである。
「どうやって、ここから出たもんかな」
「えっ。
考えてなかったの?」
「そもそも生き残るとすら思っていなかったからな。
よくて相打ち、悪けりゃ俺が死ぬだけだ」
「私じゃゼンを下まで運べないよ」
「そんなことは分かってるよ。
それにこのままじゃ、ここのお仲間になっちまうな」
ゼンの視界には大量の白骨が見える。新しい物もあれば、それなりに年月が経っている物もあった。このままでは彼も近い内に同じ姿になってしまう。
「エア、一つ頼みがある」
「何?」
「薬の袋を取って来てくれ。
下にはセロがいるはずだ。俺のことを見捨てていない限りだがな。
お前の鼻なら薬の入っている袋を嗅ぎ分けることもできるだろ。ここまで持って来るのは重労働だができるか?」
「わかった。やってみる」
そう言うと、エアは飛んで行った。エアがこの場所から降りて帰ってくるまで、どれほど時間が掛かるだろうか。行きはまだしも、問題となるのは帰りだ。ゼンからすれば大した重量でも出ないが、エアからすればかなりの重さになるはずだ。
本当にここまで飛んで帰ってくることができるのか、ゼンの懸念は深まる一方だ。ひとまず彼は体を休めることに専念する。目を閉じて横になっているだけでも、体力の浪費は避けられる。今はただエアが返ってくるのを待つだけだ。
「お、お待たせ~」
どれほどの時間が経っただろうか。洞穴の中にいると外の景色が見えず、時間の経過を推し量ることができない。
エアは帰って来た。その小さな体で、体以上の大きな袋を携えて状態で。
「も、持ってきたよ。
もう限界……」
エアはゼンの所に辿り着く前に体力が尽きてしまった。袋と一緒に地面に落ちていく。
「でかしたぞ」
ゼンは落ちている袋に手を掛ける。少し休んだおかげで、多少は動けるようになった。まだ体に走る痛みは消え去っていないが。
ゼンは袋の中から細長い布を取り出す。
「包帯代わりにでもするの?」
エアはゼンのすぐ近くで浮遊している。まだ体力は戻っていないのか、息は切れていた。
「いや。コイツはこうするんだ」
ゼンは手にした布を適度な大きさに折りたたみ、それを噛みしめる。
「そんなの食べられない……」
エアの言葉は途中で終わった。ゼンの顔は至って真面目だ。ふざけて布を噛んでいるのではないのが見て取れる。彼は手を腹に当て、一気に押し込む。
「ふんっ!」
ゼンの顔が痛みで歪む。折れた骨を元の位置に戻すのはこれが初めてではない。彼が何度やってもこの痛みに慣れることはなく、二度としたくないという気持ちが一番に出てくる。布には彼の歯型がくっきりと残っていた。
「痛くないの?」
「痛いに決まっているだろ。喋るだけでも相当キツイ。
その袋に液体の入った瓶はないか。あったら渡してくれ」
エアは袋を開け、中に潜る。ゼンの言った通り、瓶はあった。匂いはないが、見るからに危険だ。液体は紫色で、とても人が飲むものとは思えない。
「ゼン、あったよ」
「よし、よこせ」
ゼンはエアから瓶を取ると、一気に中身の液体を飲み干す。
「それ、美味しいの?
何の効果があるの」
「不味いぞ。飲んでみるか?
ちなみに効果は痛み止めだ。しばらくだが、痛みを感じにくくなる。
その間にここを離れるぞ」
ゼンは先程までとは打って変わり、俊敏な動きを見せる。すぐさま立ち上がり、出口へと歩き出す。
「ちょっと待ってよ~」
続いてエアが、ゼンの後を追う。