十四話 其の六
「ようやく効いてきたか」
ゼンはボルトに細工を施していた。夜に作業をしていたのは、この細工のためである。誰もが寝静まる夜に、一人で細心の注意を払いつつ彼は作業を進めていた。
自然の草木や花から抽出した毒をボルトに仕込んでいたのだ。毒の効果はゼンも知っている。今までは人間相手ばかりに使ってきたため、ドラゴンに対し有効打になり得るかは彼にも不明だった。実戦で効果の不明な物を使用するのは避けたかったが、贅沢も言っていられない状況である。
ボルトを二発打ち込んだ時点で、効果が表に出なかったためにゼンは諦めかけていた。人間相手であれば毒の効果はすぐに表れる。体の末端から痺れが出て、徐々に体が動かなくなる。それを悟った時には心臓も止まっている。
どうやら、ドラゴンの体に毒が回り始めるのには時間が必要なだけだったようだ。本来であればもっと時間が掛かったのかもしれないが、ドラゴンが動き回った結果、毒が全身を巡ったのかもしれない。
今のゼンには、それを確かめる術はない。問題は、毒が効いたかということである。そして、毒は間違いなく効果を発揮し始めている。その証拠に、ドラゴンの動きは遅くなっている。顔色に変わりはないが、息も荒くなっている。
人の身であれば確実に死んでいる。そんな状況下の中で未だにゼンに対し突撃を繰り返しているのは、流石はドラゴンとでもいうべきか。
「貴様、何をした」
「さあ、何の話だかな」
「グァァァァ」
ドラゴンが苦しみ悶え始めた。全身を大きく動かし、駄々をこねる子供の様だ。
「しまっ」
毒が効いたことでゼンは慢心していた。不規則に動く尻尾が彼の体を直撃した。
ゼンの体が飛んだ。宙に浮かんだ彼の体は壁にぶつかり、落ちていく。その衝撃で腰に差している刀も落ちてしまった。
「ぁぁあ」
ゼンの意識はある。朦朧とはしているが、確かに感じることができる。まだ、戦える。痛覚も正常だ。その証拠に、痛みが彼の体の中を駆け巡っている。尻尾が当たった部分が、熱さで痛くなる程だ。
ゼンの視界に赤い筋のようなものが走っている。彼はようやく動かせた右手で自身の額を触った。液体に触れた感触がした。掌を見ると、赤一色に染まっていた。
「……ン。ゼン!」
朦朧とした意識の中で、必死にゼンの名前を叫ぶ声が聞こえた。意識だけではなく聴覚にも影響があったのだ。
「ゼン、大丈夫?」
声の主はエアだ。すぐ近くにいた。そのことにようやくゼンは気付いた。
「――これが大丈夫に見えるか。
どいていろ、まだ勝負はついてない」
ゼンはよろめきながらも、必死に立とうと体に力を入れる。
「ぉぉあ」
ゼンは再び倒れた。体に力が入らない。瞬間的には力が入るのだが、それが長続きしないのだ。加えて、力を入れると彼の体に激痛が走った。
骨が折れている。一本か二本か、それ以上か。思考が痛みによって遮られる。呼吸をするだけでも想像を絶する痛みが体の中を走り回る。
「ゼン、ゼン!
もう止めようよ。このままじゃ、両方とも死んじゃうよ」
「フー、ハー。
俺が死ぬより、アイツが死ぬ方が先だ」
ゼンは壁に背を預けながら、立ち上がる。血が流れ、息も乱れている。端から見れば、いつ倒れても不思議ではない。それでも尚、彼は戦いを続けようとしている。
ゼンは完全ではない視界で武器を探す。持ってきた鈍器類は遠くにある。刀は使えない。今の状態では、まだドラゴンの命を奪うまでには至らない。それ以上に、左手も上手く動かせない。痺れている状態が続いている。痛みはそれほどだが、握力が戻ってこない。刀を握ることすら今の彼には難しい。
今のゼンに残されているのは腰に差しているナイフと、投擲用のものだけだ。今の彼の力では投擲しても、ドラゴンの硬い鱗を貫通させることは不可能だ。全力でやったとしても、できるか否かはわからないが。
最後まで頼りになるのは肌身離さずに身に着けているナイフだけだ。ゼンは右手でナイフをゆっくりと抜く。
まだゼンの足元は覚束ない。一瞬でも気を抜けばすぐにでも倒れてしまいそうだ。
ドラゴンの方もまだ苦しみ悶えている。先程の様に暴れ回るということはないが、動きは鈍くなっている。向こうもまだ戦う意志は失っていない。
「ハァ、ハァ」
呼吸をする度にゼンの体に痛みが走る。熱い鈍い痛みが彼の意識を呼び覚ます。ようやく意識は明確になりつつあった。このまま何もせずに静かにしていても、痛みは増すばかりだ。
ゼンは前に走り出した。やはり痛みを完全に無視することはできない。走る度に、息をする度に、腕を振る度に痛覚が全身を駆け巡る。
それでもゼンは止まらない。今、止まれば、動くことすらままならない状態になると。彼はそれを本能で理解していた。彼に残された道は一つだ。自分が動けなくなる前に、相手を動けない状態に持ち込むこと。それが息の根を止めるまでか、意識を断つまでか、骨を折るまでかは彼にもわからない。今はただ、相手に一撃でも多く攻撃を叩きこむだけだ。
ナイフは持っているが、今はまだ使い時ではない。まだ接近戦を仕掛けるには危険すぎる。こちらがあと何撃ぶち込めば相手が倒れるかはわからないが、ゼンはあと一撃でも攻撃を喰らえば終わりだ。
「ぬあっ」
ゼンはドラゴンの足元を潜り抜けた。ほんの少し触れただけでも終わりのこの状況下で正気とは思えない。それでも彼は奇跡的にも生きているし、立って走っている。
ゼンの目指す場所は決まっている。まずは何よりも武器だ。こんなことならばもっと小型の武器を携帯しておけばよかった、と後悔する暇もない。彼の頭は、どうやってドラゴンを倒すか、そのことで一杯だ。
「だらぁ」
ゼンは振り返ることもせずに、手に取った武器の一つを投げた。右腕だけでは狙いの精度も威力も劣る。狙いは無理でも、威力は速度を乗せることで上げることができる。
当たれ、ゼンは回転の勢いを利用し鈍器を投擲する。狙いは付けていない、付ける余裕がなかった。あれだけの図体だ、当たればどこでもいい。
――ガッゴン。
鈍い音がした。当たった、それだけでいい。ようやくゼンの視界にドラゴンが写った。何処に当たったかは見ていないが、動きが止まっている。これは好機だ。これを逃せば、同じ機会はもう二度とめぐってくることはない。ならば、今の間に徹底的に叩くのみだ。彼は再度、鈍器を拾う。今度は狙いを付ける時間がある。狙うは頭だ。
速度を乗せて、頭を狙い、ゼンは鈍器を手から離す。鈍器は回転しながら、ドラゴンの方へ向かう。狙いは外れていない。真っ直ぐに飛んだ。
「当たれッ」
ゼンの願いが声に出て現れる。彼の願いは叶った。それも彼自身が願った通りに。鈍器はドラゴンの頭に命中した。さしものドラゴンといえども、頭に直撃は効いたようだ。明らかに痛がっている。倒れるまではいかないが、追撃の機会は今だ。今しかない。彼は足を前に踏み出す。
ゼンは前に進む途中で、落ちている鈍器を拾う。
「フンッ」
まずは一撃だ。ゼンは全力で鈍器を振り下ろす、ドラゴンの頭目掛けて。右手に痺れが生じた。この感触は効いている。彼は確信する。直撃だ。
だが、ドラゴンはまだ死んでいない。確かに傷は与えた。まだ傷だ。致命傷には至っていない。
まだだ、ゼンは歯を噛みしめる。追撃だ。相手が立ち上がれなくなるまで何度でも鈍器を叩きこむ。彼は無我夢中で右手の武器を振り下ろす。
右手に何度も痺れが流れた。痺れる度にゼンは武器を落としそうになる。必死に右手を握り直し、武器を振るう。包帯で右手を固定しておけばよかった、と後悔する暇もない。
何度腕を振ったか、何度右腕に痺れたことか。ゼンはもうその回数を覚えていない。数えてさえいない。息も上がっている。握力はないに等しい。鈍器が彼の右腕から零れ落ちる。同時に彼も膝を付く。体の動きが止まったことで、今まで無理していた分が一気に彼の身に降りかかってきた。
体に力が入らない。呼吸すらまともにできない。今は全神経を呼吸に集中させる。指一本すら動かせない。膝を付いたままで態勢を保つのがやっとだ。
「ハァ、ハァ、ハァ」
もはやドラゴンがどうなったかすら、蚊帳の外だ。今もゼンが生きているということは、反撃には転じていない。遂に仕留めたか。ゼンは思い思い頭を持ち上げ、視線を上げる。
「グルルルゥゥゥゥゥ」
まだドラゴンは生きていた。顔の至る所から血が流れ。目も真っ赤になっている。その目はまだ死んでいない。ゼンを仕留める気概は変わっていない。
動け、動け!ゼンは何とかここから逃げようとする。すぐに立ち上がり、この場から一歩でも二歩でも遠ざかろうと、体に力を入れる。
動かない。足に力が入らない。それどころか、急に体を動かそうとしたせいか、呼吸が乱れた。心肺に酸素が届いてない。ゼンの体は後方へ倒れていく。
「ガアァアァア」
後ろへ倒れたことが幸いした。ドラゴンの鋭い牙はゼンの体をかみ砕くことはなかった。
ゼンは尻もちをつきながら、後ずさる。足はまだ動かない。二本の手で少しずつだが、確実に距離を開ける。その作った距離もドラゴンからすればわずかなものだ。ドラゴンが一歩でも前に進めば、彼にその鋭い牙が届く。
ゼンの手に、慣れた感触の物があった。彼は次の一本を装填する。足が動かなくとも手は動く。今となっては慣れた作業が初めての作業の様に手間取ってしまう。
これほどまでにボルトの装填を難しいと思うことは初めてだった。使う機会はないと考えていた、とっておきの一本をゼンは装填する。
目標は眼前だ。この距離では狙う必要もない。ゼンは引き金を引いた。
轟音が響く。音の後には衝撃が。ゼンは無意識の間に両手で顔を覆う。まだ確実にドラゴンが死んだ訳ではない。自分の身を護ることも大事だが、それ以上にやるべきことがある。相手の命を絶つことだ。それを為さなければ絶たれるのは自分の命だ。
ゼンは次のボルトを装填するや否や直ぐに放つ。
またしても轟音と衝撃がゼン耳と目を塞ぐ。自らの視界を塞ぐような真似はしていない。三度、ボルトを装填し放つ。三度目の轟音と衝撃が彼を襲った。
何かがゼンの頬を掠った。掠めた箇所からは赤い血が流れる。耳は轟音の影響で聞こえづらくなっている。だが目だけはぶれずに真っ直ぐ前を向いていた。




